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【architect】コンペ③|丹下健三

現在の東京都庁舎(通称『都庁』)は1991年、今から30年前に新宿西口の副都心に完成した

遡ることその6年前の1985年に、戦後日本の最大のコンペと言われる『東京都新都庁舎設計競技』が行われた

このコンペは指名コンペと言われるものであらかじめ東京都で選定した9社から実施設計者を決めるというものだった

その9社は以下
・日建設計東京本社
・日本設計事務所
・山下設計
・坂倉建築研究所東京事務所
・松田平田坂本設計事務所
・安井建築設計事務所東京事務所
・前川國男建築設計事務所
・丹下健三都市建築設計研究所
・磯崎新アトリエ

組織事務所から個人事務所まで当時の最先端の技術、デザインをもつ事務所が集められた

結論から述べてしまうと、この中から選ばれたのは丹下健三都市建築研究所である

丹下健三(1913-2005)は言わずと知れた日本を代表する世界的建築家である
代表作は広島平和記念資料館、香川県庁舎、代々木競技場、東京カテドラル聖マリア大聖堂、大阪万博お祭り広場、”フジテレビ”など多数である

ちなみに新都庁舎の前の旧都庁舎を設計したのもこの丹下健三である
旧都庁舎は有楽町駅前の現在『東京国際フォーラム』がある場所にあった

余談だがこの『東京国際フォーラム』であるがこちらもコンペによって選ばれた建築である
設計はラファエル・ヴィニオリというアメリカで活動する建築家である
建築界ではよく駄作と揶揄されるこの建築であるが、船をモチーフにつくられた圧倒的なガラスの吹き抜け空間は圧巻である
オリンピックの会場にもなっているが、私は好きな建築であるのだが、これだけの一等地にあれだけの吹き抜けを設けた巨大な建築物が必要だったかと問われると疑問が残る
ちなみにこの『旧東京都庁舎』『東京国際フォーラム』があった場所は江戸時代には土佐藩の藩邸があった場所で坂本龍馬も寝泊まりしていた場所である(司馬遼太郎『竜馬がゆく』は私の愛読書)


話を都庁に戻すと、このコンペは丹下健三が選ばれることが最初から決まっていた『出来レース』だったとも言われている

丹下健三は『日本国家の建築家』である
政治との癒着も強い

1964年の東京オリンピックの時に建設された代々木競技場は今回のオリンピック会場にもなっているが、あの建築が日本の建築技術を世界レベルへと到達させたと言っても過言ではない
ちなみに代々木競技場の設計当時、予算の超過をめぐって一悶着あったのだが、直々に交渉に出向いた丹下健三に対峙したのが後の総理大臣の田中角栄である
当時大蔵大臣だった田中角栄は「あまりみみっちいことをして下さるな。足りない分は私が考えましょう」と英断したのだ

またまた余談だが建築士法を議員立法したのは田中角栄であり、一級建築士第一号は田中角栄と言われている


話が逸れたが、都庁舎コンペ時の東京都知事であった鈴木俊一氏の選挙時に選挙応援団体の会長を務めたのが丹下健三である

丹下健三と政治家との癒着は切っても切り離せない関係だったのだ


とは言えこのビッグプロジェクトである都庁を最初から丹下健三に任せるには民主主義が許さない
そんな裏事情を抱えながら行われた茶番のようなコンペであったが予想通り丹下健三が選ばれたのである

当時丹下健三は「ぶっちぎりで勝とう」と相当な覚悟でこのコンペに向かったそうだ

“ぶっちぎり”でなければならない理由があったという解釈もできなくはない


そうして出来上がった東京都庁舎であるが、2本のツインタワーが下半身だけ合体した不恰好な建築とも言えなくない
やはりツインタワーは使い勝手の面でもあまり評判は良くないようだ
またタワー式の庁舎はまさしく日本の縦割り行政の象徴のように見えてしまう


東京都庁舎のコンペについて記してきたが、その設計競技にも因縁とも言えるストーリーが存在していたのである

(つづく)

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