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自分の周りに理解者がいないと思ったら大声で考えを発信してみる

人生がガラッと変わったきっかけは意思を示したこと

物心ついた時から育ててもらった親がいてバレエ教室の師がいます。愛されて大切に育ててもらい、感謝も愛情もあるけれど価値観が違うとき、どういう選択をするか、は自分の人生を変えていきます。

良い学校、良い就職、良い母親、良いおばあさん、という価値観の親。

舞踊研究所の中で師に仕え、感謝しながら一生ご奉公が当たり前の世界観を持つカリスマ。

愛されて愛しつつもそこに同じ価値観がないのであれば、いつかは自分は違うんですと表明しなければ、自分の人生を生きたとは言えないのです。

親からの教育は芸術では食べていけない。就職して趣味で続けるもの。結婚したら家庭が最優先。というものでした。結果的に全て路線を外して来ましたがハッキリ言うと親が悲しむだろうと反論もせずに行動だけ沿わずに来たのです。

それで済むわけはないんですよね。言いなりになると思っているから、ずっと非難され罵倒されて自己肯定感をぺちゃんこにされながら信じた道を歩いていくのは心も体もボロボロになっていきます。

相手が悲しんでも怒っても言語化しないと次のステージには進めません。

師の場合はピラミッド組織の中、SNSは禁止。教師の一人として見本になるべく、自らの発信は総て避け、お仕事で関わった行政、バレエ関係の方とも個人的な付き合いはしないよう、釘を刺されていました。勝手に学びにいくのも禁止です。お金を稼ぐことも踊りが汚れるから?禁止。

一生踊り続け、学び続け、表現を追究していきたい希望を持っているのは、教師仲間では誰も居らず、舞踊団仲間でさえいませんでした。

このままでは自分は破綻するだろうことは薄々感じてはいたんです。

ほんとうはこう生きたいんだと表明することは全てを捨てることを意味していました。

たぶんそれしか納得して生きる道はないとわかってはいても怖かった。

全てを捨てても踊って生きれるだろうか?そこが一番の望みなのに、表明して踊れなくなったら本末転倒ではないか。ずっと崖の上で足踏みしていたんです。

40年お世話になった研究所を出れたきっかけは、踊る場がだんだん減っていったからでした。それなら居ても仕方ない。師に仕えて生きてないと罵倒されたのが背中を押してくれました。

発信したら世界が変わった

研究所から離れた瞬間はひとりぼっちになりました。天涯孤独。体の鍛錬だけは怠らず、会う人全てに自分の信念と希望を語るようになりました。

一生踊り続けるために体の使い方の探究をしていること。表現を磨くのが人生の全てと思っていること。ユニークな個性を尊重する創造性に寛容な社会を作る一端を担いたいこと。ジャンルを超えて同じビジョンを持つ人たちでつながっていきたいこと。

語るたびに仲間があらわれ、応援者があらわれ、つながりが広がっていきました。

偶然という名の必然。出会う人たちはみな人生の転機を迎えて自分の人生を歩み始めたり、同様の経験をした人ばかりでした。

ひとりぼっちなんだと思いつつ、崖から飛び降りたら実は羽を持っていて、空中に仲間が沢山いたんです。

自分には本当の世界は見えていない。特に八方塞がりのときは見えません。それでも今の自分に納得できないなら、暗闇の中を一歩踏み出すことです。大声で理想を語ることです。

思いもしなかった幸せな出会いが待っています。

いつも応援ありがとうございます。サポートしていただいたお礼はアートプロジェクト事業費として創造空間の作成やアーティスト活動、仲間への感謝の気持ちの一部とさせていただきます✨