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#05 米国で普通のサラリーマンが、金融資産「100万ドル」(約1.5億円)達成するまで

投資本格化: 30万ドル→35万ドル

日本での1億円と同様、アメリカでは『ミリオネア』(100万ドル)が一般の人々の資産目標として語られます。私は2015年に5千ドルだけ持って仕事の当てもなく渡米し、2024年5月に金融資産100万ドルを達成しました。貯蓄も投資も全くしていなかった私が、地道に米国の金融知識を学び、この目標を達成できました。普通の人がコツコツと積み上げて100万ドルを達成することは、他の人々の励みになると思い、Noteに書くことにしました。前回の投稿では、証券口座を少しづつ調べ始めた、30万ドルの金融資産を築くまでの過程をまとめました。

話の最後に、グアテマラ旅行を中断しヒューストンで過ごし、コロナで混乱が広まり始めたニューヨークに戻るところまで話しましたが、その週から私も妻も仕事は完全リモートになりました。米国ではニューヨークが一番最初に大きく混乱する訳ですが、共働きの2歳児を抱える家庭にとっては大きな苦労を迎える事となりました。

コロナ渦のニューヨーク

子供と共に仕事する場も自宅に

元々、私たちの仕事は定期的に自宅から行うことに寛容な環境で、リモートワークへの移行は比較的スムーズでした。しかし、2つの大きな問題がありました。まず、子供を見ていた高齢のナニーさんが家族の反対もあり見られなくなったこと。そして、自宅は1ベッドルームで、狭い部屋で子供を自分たちで見ながら在宅業務をする必要があったことです。家の中で子供と缶詰で、業務に集中できる環境ではありませんでした。幸い家からセントラルパークへは徒歩15分程だったので、毎日散歩がてら子供を遊具のある場所へ連れて行きましたが、公園内では「野戦病院」が開設される状況でした。

リモートワークになり、同僚の何人かは家族が持っている別州や郊外の大きな家や別荘に避難しました。逆にニューヨークに取り残されたのは、大きな家を持つ親族がいない中流以下の家族や移民が多かったです。田舎に避難した同僚の中には、ニューヨークの公園で集まる人々のニュースを見て、その人達の状況を顧みず文句を言う人もいましたが、こうした米国での持つ者と持たざる者の格差が目に見えるようになりました。

塩漬けにしていた証券口座で投資を開始

住宅購入向けだった現金でSP500連動ETF購入

コロナがニュースとして大々的に報道されていた2月24日以降、株価は急激に下がり始めました。詳しくは知らなくても、石油先物価格がマイナスになったりと、周りでは毎日何かしらの話題になっていました。急落時に買い始めようと思っていたこともあり、数日置きに徐々にSP500連動ETFを購入しました。

それまでは家を買おうと思い、不動産業者とマンションの下見をしていたのですが、彼には投資を優先するため家探しは一旦停止すると伝え、住宅購入を考えて手付かずだった証券口座の現金を利用することにしました。

後から振り返るとボトムをつけた頃にはまだだいぶ現金の状態でしたが、どこまで下がるか分からないので、購入は少しずつ、恐らく5月頃には8万ドル近く(当時レートで約840万円)分、ETFや株購入に使いました。よく言われることですが、暴落してもどこがボトムか分からず結局タイミングを逃すので、暴落など待たずさっさと買っておけば良かったです。

SP500連動ETF以外も一通り手を出してみる

ただ、これくらいの額を購入するともう少し勉強したくなり、色々な人の情報を聞いて、石油関連、銀行、工業、アジア太平洋地域等の業界・地域別ETFや、マイクロソフトやアマゾン等個別株、不動産信託のREIT等色々試しに売買したりしました。3月16日には米国では前代未聞のゼロ金利となり、財政政策も出動する事となり株価は上がっていくことになるので、それ以降は基本的には安全に個別株も買える状況でした(元々そこら辺の株価への影響は全く無知でしたが、後々の勉強で知ることにはなるのですが)。結局後々にはSP500、テクノロジーETF等だけのシンプルな構成にすることになるのですが、色々勉強する過程を考えると有意義な時間だったかと思います。そんな中、妻は転職して2年経たない会社からレイオフを言い渡されました。

妻の仕事探しとニューヨークから引越し

コロナ禍の失業と仕事探しの日々

コロナ禍ということで、政府からの失業手当が通常の金額に加え週600ドルほど支給され、妻の金銭面のストレスはある程度軽減されました。しかし、コロナで人と会う機会が減る中、仕事が突然なくなるストレスは大きく、二人三脚で妻の新しい仕事を探す日々が続きました。2ヶ月ほど経つと、私が代わりに応募した会社の中で面接に漕ぎ着け、新しい仕事を得ることができました。上司も会社もバラバラの地域でリモート勤務となります。私の仕事もさらに小さなチームの新規事業に移動することになり、コロナ禍ということもあって、多国間のチームと仕事をする機会が増えました。夫婦共に今後もリモートで仕事をする環境に身を置くことになります。

リモートの仕事に就き、住む場所の選択肢が無限に

コロナから数ヶ月が経過し、教育機関は徐々に再開し始めましたが、新しい子供を受け入れてくれる場所が見つからず、子供もまだ小さかったため、夏頃にはフラストレーションが最大に達していました。少なくとも、子供を家で育てながら、二人とも在宅勤務をする環境には全くありませんでした。妻の提案で、地元の首都DC近郊で2ベッドのアパートを見つけ、当時状況が劣悪で今後どうなるかよく分からないニューヨークから脱出し、妻の地元へ引っ越すことになりました。私はアメリカの他の地域で住んだことがなく、全く未知の生活が始まることとなります。

グアテマラ旅行から緊急帰国しコロナ禍のニューヨークに戻る所から始まり、妻はレイオフされ、子供も預ける場所がなくなり、生活が大きく変化した数ヶ月でしたが、その時期に本格的に投資を始めました。9月にニューヨークから引越す際には、資産は約35万ドルになっていたと思います。大きく株価が上昇した時期ではありましたが、投資金額を少しづつしか増やさなかった事、妻の失職、引越しなどの影響で、増加額はそこまで多くはなかったかもしれません。

生活状況のまとめ (2020年3月〜2020年9月)

  • 住居: 2800ドル/月 ※当時レートで約29万円(マンハッタン)

  • 仕事: 20年の世帯年収 28万5千ドル ※当時レートで約3,050万円

    • 自分: 本業の年収 15万ドル ※当時レートで約1,605万円(時給55ドル前後の仕事も少し掛け持ちしてました)

    • 妻: 転職先の年収 12万5千ドル ※当時レートで約1,337万円

  • 金融資産: 30万ドル→35万ドル

  • 資産内訳:

    • 普通預金口座 (Checkingアカウント) 6%

    • 預金口座 (Savingアカウント) 22%

    • 課税対象証券口座 54% (個別株、ETF約半々)

    • 確定拠出年金 401(k) 16% 

当時の振り返り

  • (よく言われる事ですが)暴落を待っていても、結局最適な価格で購入できる訳無いので、マーケットタイミングを待たずさっさと投資は始めるべきだった。

  • 家の購入を考えており、株の販売時の税率等よく分からず、現金を残している事にしました。結局、いつ購入するか分からないので、投資に回しておくのが正解だったのですが、無知だと行動をなかなかせず、行動をしないと調べようと思ってもなかなか進めず無知のままと、悪循環になるので、少額でも行動する事が重要だと思いました。

  • ひどい環境だったかもしれませんが、セントラルパークやメトロポリタン美術館が徒歩圏内にあったり、工夫して楽しい生活を考えたりと、後から思うと、当時苦しいと思っているような事が結構思い出に残っていたり、楽しかったなと思えたりするので、苦しい時はそれを思い出すようにしています。

  • 個別株投資や、テーマや地域ETFを素人ながら手を動かして売買しました。恐らく、総合的なパフォーマンスという意味ではよくなかったんだと思いますが、真剣に会社やマーケットを知る機会になるので、個人的にはやってみる事をお勧めしてますが、今でも全体資産の10%位をいじってるくらいです。

次は、初めてニューヨーク外で住むことになった生活の中身をお話します。車も購入する事となる21年初頭で、資産はその頃には金融資産約50万ドル(当時レートで約5040万円)になっていたと思います。

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