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試し読み|『掌編 微熱』

5月19日に開催される文学フリマ東京38にて頒布される同人誌『掌編 微熱』のサンプルです。

*テキストは作品の途中から抜粋しています。
*本作はBL小説です。


 最後にセックスしたのがいつだったかは思い出せないが、今よりもっと夜が冷える頃だった。全部が終わった後で順番にシャワーを浴びて、二人とも死ぬほど腹が減っていたのに冷蔵庫には大葉くらいしか入っていなかった。服を着て二人でコンビニまで歩いた。外は寒かった。冷える季節の乾いた空気の中で体が熱を手放す直前、一際強く火照るように感じるのが俺は好きだがナカノはそういうことを少しも理解しない。夜の住宅街に煌々と光るコンビニは昼間よりも現実感が薄くて、俺はそのことを心地よく思う。二人ともカップ麺とビールを買った。ナカノが寒がるのを無視してわざと遠回りして帰った。部屋に着く頃にはさすがに俺も冷えていて、ナカノは機嫌が悪かった。湯を沸かしてカップ麺を作って二人で食べた。食べながらナカノは映画を見ていた。古いアメリカ映画。昨日の夜に途中まで見ていたんだとナカノは言った。俺は一度見始めた映画を中断するというのが理解できないがナカノは平気でそれをやる。スマホの画面の上で焼けた肌の男たちがバイクを走らせていた。ナカノの部屋にはスマホよりでかい画面がない。俺は映画を見ていたというより映画を見ているナカノの横顔を見ていた。外の空気に奪われていた体温が少しずつ上がって、腹も満たされて眠かった。俺はビールを飲み終わってベッドに入った。しばらくしてナカノもベッドに入った。ナカノの背中に向かって俺は映画の結末を尋ねた。まだ分からないとナカノは答えた。ナカノの耳元だけが最後まで冷えていて、それがナカノ自身の体の温度に戻っていくまで、ずっとくちづけていたような気がする。



 電気を消すとワンルームは真っ暗になる。
 
 それは最初、本当に真っ暗に見える。物の位置が分からなくて、踏み出した足の先で空のペットボトルが何本か倒れる。「そのままでいいよ」。暗闇の中からナカノが言う。「ペットボトルの日、昨日だった」。ナカノはベッドに入っていて、さっきから軽く咳き込んでいる。多分熱も上がっているが、明日の朝病院に連れていくと伝えると渋った。

「俺いつも寝てれば治るじゃん」
「病院連れてけって言われた」
「誰によ」
「薬剤師」

 返事の代わりに咳が聞こえる。部屋の暗さに目が慣れてきて、ナカノの体の輪郭が分かる。白いかたまりがベッドに腰掛けている。咳き込むたびに形が歪み、ぐらりと揺らぐ。

 俺はキッチンでグラスを見つけて水を注いだ。咳が止むのを待って手渡すとナカノはひと息に飲み干した。もっと飲むかと尋ねると頷くので、俺はもう一度グラスを満たして与えた。ナカノは半分まで飲んでグラスを返した。俺は残りの半分を飲んでベッドに入った。

「空気清浄機、」
「ん?」
「……さっき、なんか光ってたけど」
「ああ。なんか、交換しろって」
「交換?」
「うん。なんか、分かんないけど」
「交換したの」
「してない。電源切った」

 なんか、チカチカしてうるさいから、とナカノは付け足した。
 
 この街の夜は明るすぎるといつかナカノが話したとき、俺は初めてこの男の言うことが分かると思った。この街はどこもかしこも、夜でもいつでも明るすぎて眠るのに苦労するとナカノは言った。みんなよく見えないのが怖くて何もかもを照らしたがるから。でも暗い場所は必要だと言った。そうでなければ眠れないから。俺はちゃんと暗いのがいいんだと言った。俺はナカノの言っていることがよく分かった。でもこの部屋のカーテンは短い。俺はいつも窓側で眠る。この部屋と、この部屋の外との境目が、いつも一筋光るのを見る。

「……だめだ、熱い」
 
 喘いで、ナカノは深く息を吐いた。

「死ぬかもしれない」
「やめろよ」

 背中にナカノの体が触れる。それが肩なのか、腕なのか、額なのか分からない。それは俺の体と同じように硬く、俺の体よりも熱い。

「……お前は、何がどうなったら、俺に優しくするの」
「してるだろ」
「明日の朝、俺が冷たくなってても、後悔しないわけ」
「やめろって」
「最後に一回、キスしときゃよかった、とか、思わないわけ」

 背中の熱がくすぶっている。それは確かに病だと思う。俺は対処法を知らない。いつか、本当に冷める日を待つだけ。

 脱いで、と、傷んだ喉が乞う。

「触りたい」

 暗闇はもう青いばかりで、ナカノの目は真っ直ぐに俺を見ていた。左の瞼だけが重い。俺たちの体は暗さに耐える。だからこの部屋は、照らさなくていい。

 ナカノを先に脱がせて、自分も脱いで背中から抱いた。肌が熱を吸い込んでいく。夏のあいだに乾いた地面が秋の初めの涼しい雨に満ちるときのように。気持ちよかった。初めて深く息をした気がした。首筋にくちづける。ナカノの息の通う音がする。手のひらで心臓の位置を探るとナカノは俺の手を冷たがった。冷たくて気持ちいいと。でもそれもじきに温む。二つの体は同じ温度で、唇は唇を乞う。

(続く)


『掌編 微熱』

「これがうちのBLです」と言える話にしたくて、タイトルにサークル名を付けました。
ちょっと弱った男ふたりのささやかな恋愛小説です。

頒布価格:300円
サイズ :A3 特別仕様
初出  :2023年11月


その他の試し読み

『眠れない夜の彼ら』

『intimacy』

『Between Blue』


ビネツのノートでは、文芸サークル微熱の同人活動報告イベント出店時の宣伝のほか、創作やBLにまつわるあれこれ等々を不定期に発信していくかもしれません。興味があればフォローしてね。
(那智)

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