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試し読み|『眠れない夜の彼ら』

5月19日に開催される文学フリマ東京38にて頒布される同人誌『眠れない夜の彼ら』のサンプルです。

*テキストは作品の途中から抜粋しています。
*本作はBL小説です。


 風呂から上がるとカオルさんは何も言わずに俺をベッドへ押し倒してキスをした。俺の両手を枕の脇に押さえつけながらくり返し唇を重ねた。カオルさんの体は長い入浴のあとであたたかく湿っていた。そのまま眠ったほうがいいと思いながら、俺は黙って舌を捧げた。遮光カーテンの隙間から薄灰色の光が射して、カオルさんの髪の先を白っぽく照らしていた。時刻はわからない。何時でも構わない。もうほとんど意味はない。

 俺はカオルさんの体に触れたいと思うが、それはまだ許されていない。手首を摑んでいる力はそれほど強くないが、そこには明確な要求がある。カオルさんが俺に触れたいのだ。カオルさんが俺にキスをしたいのだ。その逆ではない。俺はそれに従う。

 深く入り込む舌と、のしかかる体に宿った硬質な熱を受け入れる。このままこの人に抱かれてもいいと思う。カオルさんが不意にリードを取りたがるとき、その気まぐれに体を明け渡しながら、俺はいつもそう思っている。それがこの人のしたいことなら何だって構わない。どうせ行き着くところは同じだ。欲しいものは同じだ。夜の過ぎていく早さは同じだ。いいようにされたい。それがこの人のしたいことなら。

 でもカオルさんの気まぐれは常に気まぐれのままに終わる。その波が引いていくのを、俺は肌の上で感じている。キスの合間に吐き出す息が少しずつ満ちていく。熱は崩れるようにその位置を変えていく。気づくと俺の手は解かれている。俺の腕のなかにカオルさんがいる。ひとつの音楽が終わり、次の音楽が始まろうとする。とてもなめらかなトランジションののち、衝動の種類が変わる。

 いつからこういうことができるようになったのだろうと、俺はカオルさんの腹筋のなだらかな隆起を唇でたどりながら考えた。自分の体を誰かの体に沿わせていく方法を、俺たちは一体どんなふうにして覚えていくのだろう。セックスの最中には時々、あまりにも完全な瞬間がある。でもどうしたらそこへいけるのかはわからないのだ。脳みそが肉体のコントロールを手放したあとで、俺たちのおぼつかない意思をはるかに超えたところで、まったく不意に、すべてのリズムが調和する。どうしてこんなことが起こるのだろうと思いながら、同時に、俺たちは本当にこのためにこそ生まれてきたのだと思い知る。その音楽は肉体の深いところにあらかじめ組み込まれている。ひとたびあふれ出したら最後、それはどこまでも流れていく。俺たちはきっと最初から知っているのだ。尽くしきれない言葉を尽くそうとするときのままならなさに比べて、それはあまりにも確かだから。内側の痙攣。まばたきの長さ。その喉が反るときの、その淡い息の震え。

「カオルさん」

 その人はカオルと呼んだ。

 俺は呼べない。

「見なくていいよ」

 手のなかで細いまつ毛が揺れている。傷ついた目がまばたいている。まばたきながら、熱く濡れる。
 
 そのときふたりは南の島にいたのだ。海辺のヴィラに宿をとり、ふたりきりで、食べることも眠ることも捨てて日がな一日抱き合っていた。カオルさんとセックスしながら、俺はいつもそんな蜜月を思う。俺にはその部屋の景色が本当の現実のようにはっきりと見えている。開け放された窓の外には遠く水平線が見えている。無駄なものは何もない。白いカーテン。白い天蓋。白いベッド。果てしなく眠るための場所だ。天国みたいに。そのときふたりはそこにいたのだ。そこにいるべきだったのだ。

 部屋の中央には艶やかなマホガニーのテーブルがひとつだけ置かれている。その上には籠に盛られたたくさんのフルーツが光っている。匂い立つほどに熟れ切った、皮のついたままのホールフルーツ。腹が減ったらベッドの上でそれを齧ればいい。果肉はぬるく、やわらかく、とても甘い。無粋なほどに硬く埋め込まれた種の周りが一番甘い。滴る果汁が素肌に落ちてどちらかの汗と混ざり合う。そのしずくを互いの舌で舐めとりながらふたりはまた睦み合う。幼い獣が戯れ合うときのひたむきさで。いつまでも飽き足らずに、覚めやらずに、一心不乱に。さざなみがふたりを促す。その音楽は永遠に止まない。そういうセックスを思う。俺はとても近くで見ていたのだ。かつてのふたりの、その完全な瞬間を。

(続く)


『眠れない夜の彼ら』

眠れない男たちの夜を切り取る掌編集。
文芸サークル微熱いちばん人気の作品です。

頒布価格:500円
サイズ :A6(文庫) 本文60P
初出  :2021年11月


その他の試し読み

『掌編 微熱』

『intimacy』

『Between Blue』


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(那智)

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