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試し読み|『intimacy』

5月19日に開催される文学フリマ東京38にて頒布される同人誌『intimacy』のサンプルです。

*テキストは作品の途中から抜粋しています。
*本作はBL小説です。


 「マコ、」

 今更のように、それはミナトの癖だったと思い出した。

 この男はなぜだかいつも話しかける前に名前を呼ぶのだ。マコ、マコ、と。ちょっと鬱陶しいくらいに。

「お前も俺に会いたかったでしょ、本当は」

 それはもう独り言ではなく、質問ですらなく、確認だった。

 そうであることはわかっているけれど、一応訊いておく、というような感じで。

 ミナトは俺の目を見なかった。それは俺のためかもしれないと思った。おかげで俺はロックグラスを握る指を見つめることができた。バーカウンターへ向く横顔を見つめることができた。俺たちは確かに変わったけれど、何が変わったのかわからないと思った。

 それからミナトは三十分くらいかけて取り留めなく自分のことについて話し続けた。

 アルコールは芋焼酎以外なら何でも飲めるけれど、正直そこまで強くないこと。この店は職場の女性の先輩に教えてもらって知ったこと。想像以上に男性客が少なくて、俺を待っているあいだ落ち着かなかったこと。普段の夕食は外食かコンビニ弁当ばかりで、さすがにそろそろ自炊を始めようかと思ってとりあえずいい包丁を買ってしまったこと。仕事は楽しいけれどそろそろセールス以外も経験したいと思っていること。このごろは先輩や同期の結婚ラッシュで半年で五回も式に参列したこと。一年前から社会人向けのフットサルチームに入り始めたこと。未だに身長が伸びていること。今日のコーディネートはネットのスナップで見かけたルックをほぼそのまま真似したこと。

 そして、今つけている香水は大学時代からずっと変わらずに使っているものだがどう思うかと尋ねるので、お前が酒臭いからわからないと答えておいた。ミナトは何も言わずに笑った。


 店に入ってからどれくらいの時間が経ったかわからなかった。途中からスマホの画面を気にすることをやめていた。金曜の夜で、客の数はなかなか減らない。カウンターに入れ替わり立ち替わり訪れるカップルたちは皆濡れた傘を持っている。外は本格的に雨らしい。

「マコ」

 琥珀色の液体は確実に減っていて、透き通る丸い氷は手のひらの熱に少しずつ溶かされている。

 赤らんだ目元が重たげに瞬いて、視線が向く。

「俺、あと二十分で終電いっちゃうからさ」

 気怠く間延びした声は、素面のときより低く響いた。

「お前んとこ泊めて、今日」

 意味を考えかけて、やめる。そんなものはない。あってたまるか。

「……自分のキャパはわかってるんじゃなかったのかよ」
「読みが外れた」

 揺れる氷が涼しげに鳴る。

 どこに住んでいるかなんて伝えるんじゃなかったと後悔しても遅かった。

 アルコールとは無関係に、頭が痛くなってくる。

「タクシー使えよ」
「俺が部屋に行くのは嫌ですか」
「人にものを頼むときの態度じゃない」
「十年前と変わらないだろ」
「そこは成長するとこだろうが」

 酔いの回った目で楽しげに笑う。だってさあ、と、開き直るときの言葉はそれこそ十八歳のままだった。ミナトが変わったなんて俺の早とちりだったかもしれない。酒が飲めるようになったことと、スーツが似合うようになったこと以外、この男はやっぱり少しも変わっていないのかもしれない。それならそれで、俺は別にいいのかもしれない。

 見つめる瞳がふっと細まる。

「このまま帰したら、次いつ会ってくれるかわかんないじゃん、マコ」

 何も言い返せなかった。俺もそれなりに酔っていた。ミナトの、やけに素直に微笑む顔を眺めながら、俺は今日こいつを部屋に泊めるのだと思った。ほとんど無意識に、ベッドの上に洗濯物を放り出してきたことを思い出して、冷蔵庫に何があったか考えていた。本当に馬鹿だと思った。

「……お前絶対ひとりで歩けよ」

 ミナトは満足げにうなずくと、またひと口グラスを煽る。喉仏がゆっくりと上下して、体に染み込む酒の深さに耐えようとするみたいに、ミナトは軽く目を瞑った。纏ったシャツの濃い緑が肌の火照りを際立たせて、指の先まで染まって見える。眺めているだけで息が上がりそうだった。一番厄介な酔い方だ。無理をさせたくないのに、崩れるところが見たくなる。

 まぶたが開いて、ミナトは笑う。

「そんな顔すんなよ」

 自分がどんな顔をしているかなんて、正直考えたくもなかった。

 あと三十分で日付が変わろうとしていた。

(続く)


『intimacy』

ずっとこじらせている男たちが好きです。片想いこそ至高。
表題作ほか、高校生ふたりのアオハル掌編を収録しています。

頒布価格:500円
サイズ :A6(文庫) 本文80P
初出  :2021年11月


その他の試し読み

『眠れない夜の彼ら』

『掌編 微熱』

『Between Blue』


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(那智)

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