幸せとは何か?
中野丈矢です。
何がいい人生で、どれが幸せな人生なのか。
昭和の時代なら、ステレオタイプ的な生き方が幸せな人生だとされてました。
いい学校に入って、
いい会社にさえ入れば、一生安泰な人生が待っている。
そんな幻想(ゆめ)を魅せられながら、一生懸命に働くことが美徳だとされてました。
しかし、今では週休3日制度が導入されたり、「ノー残業デー」という試みも増えてきて、働くことへの意識が昔よりも随分と変わってきました。
まるで夢に向かって志を貫くことが「反逆者」であるかのように。
夢を持て、馬鹿になれ
「夢を持て、馬鹿になれ」
これは故アントニオ猪木さんの言葉で、プロレスが毎週20時にテレビ中継されてた頃は神様的な存在だったアントニオ猪木さん。
僕が持つ彼の印象については、「ビンタ好きな元気のいいエンタメ寄りのおじさん」、それでいて「たま~に北朝鮮に出張する人」という印象です。
世代によって印象が随分と違うようで、神様なのか、僕のようにエンタメの人なのかで世代ごとに変わりますね。
そもそもとして、夢を抱くことへ抵抗を持つ人が多いことに驚かされるんですが、幼少期の頃は「プロ野球選手」「歌手になりたい」と誰しもが夢を持っていたはず。
それがいつしか、「現実って、こんなもんだよ」などと失敗を前提とした言い逃れをするように。
「リスクヘッジ」と言えば仕方ないのですが、自分の個性について考える前に日々の忙しさに流されてしまうのです。
ご冥福をお祈り致します。
どの道を行けば「幸せ」なのか?
幸せとは、
・いい学校に入って
・いい会社に入ること
これが幸せの定義でしたが、そもそも「幸せの定義」通りに生きていれば、昔は幸せだったのか?
僕はそうは思いません。
人間の本質は、この10万年くらいは変わってないと思うからです。
「幸せって何だっけ?」というCMも80年代からあったようで、明石家さんまが歌っています。
幸せの定義は明確に存在していた時代でも、人は幸せとは何であるのかは曖昧だった分かります。
つまるところ、昔から幸せとは自分で定義すべきだから、ではないでしょうか。
幸せかどうかすら、自分で決める
今回のブログは抽象的なテイストになってしまいましたが、人は何かに夢中になれたり、没頭できる時間に幸福感を感じるのだと思います。
80年代はちょうどバブル経済。僕はまだ物心がついてない時期でしたので、どんな時代感覚だったのかは知りません。むしろ、小学生になった頃(90年代)にテレビをつけたら「不況だ、不況だ」とある種のプロパガンダのように流れていた記憶がありますね。
不況だからと言って、「夢を持っては行けない」のではないと思うのです。「夢は今日を精一杯生きること」でも立派な夢だと思うし、夢のサイズまで人と比べていたらキリがありません。
志を貫くというのは、頑固になるのではなく、自分が出した答えに「YES」と言い続けること。それでいて、自分の本音に、素直に愚直になってみることが、自分だけの幸せの定義が手に入ると思うのです。
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