【呟き】やっぱりね、「死ぬ」って簡単に言ってほしくないんだよね
何かあるたびに「死んでやる」と口走る人がいるけど、そういうのを連発されるとドン引きしてしまう。
そういう人ってファッションでつぶやいてるのかなって。
ここんところ、メンタル不全を引き起こしていて書くことすらしんどい日が続いていました。会社に行くのもしんどいくらいで、上司に相談するレベルだったのです。
――それに向けて、今後のことをまた相談する次第です。
それはさておき。
ファッションで「自殺する」「死にたい」という人は、だいたい「生まれてからずっと死ぬことしか考えてなかった」というけど、それは違うと思っています。
生まれたばかりの赤ちゃんは、誰かの庇護のもとにいないと何も出来ません。ミルクをのませるのも、おむつを変えさせるのも、自分の力では出来ません。だから、親が言葉かけをしてあげるのが当たり前で、赤ちゃん自身も「死にたい」とは思えません。ただ、この親の言葉かけ次第で将来につながるのは知らないので、無抵抗でいることでいろんな言葉を投げかけます。
幼児でも同じです。自分の力で出来ることは限られているけど、誰かの庇護がないと生きていけません。ただ、受け止める力が育ってるので「あんたなんか産まなきゃよかった」といわれても、「生きてはいけないんだ」と簡単に思い込めません。ただ、無条件に親の愛を欲しがるので、そっちが勝ってしまうのです。
だいたい「死にたい」と思えるようになるのは自我が育ち、自分自身とは何かを考えるようになった年代からじゃないでしょうか。ちょうど思春期あたり、反抗期ぐらいで。それまでの経験値と環境の影響で「ちょっとまって」と思えるようになり、アイデンティティについても考えるようになります。「ずっと死にたいと思っていた」という人たちは、この年代ぐらいから考えるようになったんじゃないかと推測しています。自分の育った環境や好んだ本などの影響、いろんなことで感じたのかもしれません。そして、違和感があったために「生きていてはいけない。死ぬしかない」と思い込み始めたんじゃないかって。
「死にたい」と思うことが善悪でわかれたり、ずっと付着していたりしていたのは成長してからで、「死ぬ」ことへの価値観が変わっていきます。この時点で精神疾患を患った場合は、「死ぬ」ことについて病気が操作させているということもありえるかもしれません。しかし、大体の人はそれがわからず、「簡単に『死ぬ』っていうけど、それってファッションなんでしょ?」と思い込んでいます。「死にたい」といえば、周りがなんとかしてくれる……小さい子どもと変わらないなあと思っています。
SNSでも「死にたい」と呟けば、専用の電話番号が出てきて、同時に同じようなつぶやきをしている人に出会えます。座間の事件みたいに「死にたい」と書き込んだら「死なせてあげるよ」というアクションが来たから行ってみた、というのもありましたがそんなことは稀です。大体の人は「そうなのね」「死にたいと言うけど、どう対処したらいいの?」と思っています。周りが戸惑ったり、なんとかしてくれると思うからそういう言葉をつぶやくんじゃないかと感じています。
精神的疾患を持っていて、たまに「死にたいなー」と思っても365日ずっと思っていたわけではありません。思考的に病気がそういう操作をさせるので、落ち着いた時はそんな考えが浮かんでも来ません。つまり、やれそうなことがたくさんあるから生きてるわけで、死んだら何の意味も持ちません。
生きてる限り、どんどん死に向かっていくでしょうけど、その間に死生観が出来上がっていたらまた違うかなって思っています。
同時に「生きていたらなにか出てくるかな」ぐらいで小さな幸せを持っていれば、前向きに歩いていけるかなって思えるのです。だから、簡単に「死ぬ」と言ってほしくない。それが身近な人間であればあるほど、強く思っています。