見出し画像

放任と見守りの間 ~自立に向けて~

「ねぇ、消しゴムどこにあるの?」

「え?多分後ろのロッカーの中」

酷い。
あまりにも酷い。

それは先月の授業参観中の事だった。
授業中に、PCで調べものをするという内容だった。

「読めない漢字とか出てくると思うので、是非お子さんのフォローをしてあげて下さい」

という事で、私は長男の机の隣に立ち様子を見ていた。

すると。
机の上には、鉛筆1本と赤鉛筆1本とPCしか出ていない。

筆箱どうした?

聞けば、消しゴムどころか筆箱が後ろのロッカーにあると言う。

授業中なのに。
既に2時間目なのに。

授業の後半では、大きな画用紙を配られて「色鉛筆で絵を描く」という一幕があった。

長男は鉛筆と赤鉛筆の2本で乗り切っていた。

「オイオイ、色鉛筆もないのかよ!」

長男の持ち物についての「親のスタンス」をちょっと見直さなければいけないかもしれない。

最近そんな事を感じている。


ランドセルが宇宙


長男のランドセルは宇宙だ。

教科書は常に持ち歩いている(時間割を確認するのが面倒らしい)。
筆箱は大体入っていない。
鉛筆2本位が、ランドセルの奥底や手前の仕切りに入っている。
折った折り紙の作品が大量に入ってる日もある。

以前は連絡帳袋に入れていた宿題や親に渡すプリント類も、直接入れて埋もれている事が多くなってきた。

先週は「筆箱をそろそろ持ち帰ってきて」と言ったら持って帰ってきた。
中を見てみたら消しゴム1個しか入っていなかった。
鉛筆は学校の机の中らしい。

その代わり?色鉛筆を持って帰ってきていた。
中を見たら半分位しか入っていなかった。
他の色は学校の机の中らしい。

分からない。
長男の感覚がサッパリ分からない。

机の中に、鉛筆類がバラバラと入っていて気持ち悪くない気持ちが分からない(ややこしい)。

机の中も宇宙


長男の学校の机も宇宙だ。

授業参観に行った時、お道具箱を開けるシーンがあった。
中身がグチャグチャである。

鉛筆、色鉛筆がバラバラと入っているし。

本来お道具箱に入れておくべきものを持ち帰ってきたり。
家にあるはずのものがずーっとお道具箱の中にあったりする。

授業参観へ行く度に、机の中のグチャグチャ具合を見てはため息が出る。

「よくあんなグチャグチャで平気だな」と、やはり気が知れないのだ。

全然困っていない


長男が授業参観の「絵を描く」という時間に、鉛筆と赤鉛筆だけで乗り切った件を、私は夫に話した。

「それは酷いな」という展開になるかと思いきや。

「ピンチを工夫して乗り切る事は良い事だ。よくやった!」と笑っていた。


オイ(-_-)!

夫の言いたい事は分かる。

だけど「ピンチ」だと、本人は感じていない。

全く困っていないのだ。

1年生の頃に、皆で共有している「給食当番の帽子」が、金曜日に持ち帰った巾着の中に入っていなかった事がある。

この時はとても困っていた。
先生に伝える事をとても「気が重い」と感じている様子だった。

この時、一切手を貸さなかった事は「危機管理」、「失敗を経験させる」という意味で大きな出来事だった。

でも、筆箱やお道具箱の中身については、長男にとって
「あってもなくても困らない」という領域に既に達してしまっている気がする。

整理整頓は大事


振り返れば、元々そんな感じだった。

就学前に幼児教室へ通っていた頃も、鉛筆が直接鞄に入ってる事があった。
私にとっては「あり得ない事」でとても驚いた。

その後、小学校へ入学してから。
最初の1ヵ月位は一緒に「明日のしたく」をしていた気がする。

当時は、きちんと筆箱を持ち帰ってきていた。


だけど、「もう手出し口出しはしなくて良いだろう」と付き添わなくなり。
気が付いたら色々な場所が宇宙になっていた。


あくまでも自分で気が付いて、自分で何とかして欲しい。
そう思ってきた。

だけど最近はちょっと自信がなくなってきた。


長男みたいなあらゆる所がグチャグチャは「男の子アルアル」かもしれない。

学校へ着いたら友達とお喋りしたり、朝の校庭遊びがしたいので整理整頓は後回し。

帰宅したら早くTVが見たいので、片付けも準備も適当。


だけど、身の回りがグチャグチャしてるから「メンドクサイ」というセリフが出てくるのではないか?

そんな気がする。

筆箱の中身を整える(鉛筆を削る)事、持ち物を確認する事は
「やらなければいけないこと」である。

大人だって休憩したい。
休憩したいのは山々だけど、帰宅後すぐに炊飯の準備をする。

「やらなければいけないこと」を急いで片付けて楽しい事がやっとできる。


タスクというのは大体面倒な事ばかりだ。

だけど
「面倒だから」という理由で何日も洗い物をしなければキッチンは汚くなる。
洗濯しなければ、着る服がなくなる。

やがて「洗濯していない服」を、渋々着る事になるかもしれない。

最初は「嫌だな」と思っても、徐々に自分の嗅覚や感覚もマヒしてきて
「洗濯していない服を着る事」が気にならなくなるかもしれない。


たかだが学校の持ち物の件で大袈裟だと、自分でも思う。

だけど、「メンドクサイ」で目をそらしていたら、そこから改善するのって相当難しいと思うのだ。

それこそ小6位まで放置して、好きな女の子が出来て。
その女の子から「あんた、汚いね」とでも言われない限り治らない気がする(笑)

昨日しんちゃんさんが、お子さんの持ち物や宿題について夫婦のスタンスの違いを書かれていた。

基本的には私も同じ考えだ。

ただ子供の自立を促しつつも「見守りとフィードバック」はあっても良いのかな?という気がしてきた。


低レベルな話で大変恐縮だけど。

筆箱を持ち帰る。
鉛筆を削る。
プリント類は連絡帳袋へ入れる。


せめてこれ位は、「基本的な生活習慣」として、どんなに急いでいる時もできるようにサポートした方が良いのでは?

と感じるようになった。


大人でも自分のタスクを洗い出して、1つ1つクリアして、自分で自分にOKを出すというのは、結構骨の折れる作業だ。

小2の長男にとって、「筆箱の中身を整える」というのは、まだまだ他者からのフィードバック(承認)が必要なのかもしれない。


長い目で見たら放置しても何ら問題ないのかもしれないけれど。

申し訳ないけれど、子育てなんて実験みたいなもの。

過干渉にならない程度に見守り続けたい。

〈あとがき〉
この記事を書いてる側から、長男が「お道具箱のセロテープなくなった」と言い出した。
「そういう事はもっと早く言って!」というセリフ、もう50回目位な気がする(-_-)
手のひらにメモするの領域に早く達してほしいものだ。

今日も有難うございました。

この記事が参加している募集

頂いたサポートは書籍や体験に使わせて頂き、またnoteでお返しいたします!