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やっぱり私達は「やめる練習」が足りていないだけ。

昨日、小2の長男が「学校に行きたくない」と言い出した事を書いた。

幸いな事?に、その後は深刻な状況にならず。
ここ2日程は「行きたくない」と言い出す事もなくなっている。

でも、「言わない」だけで「思ってる」のかもしれない。

私の中で「ここで順応させる事がベストなワケじゃない」という気がしている。


皆が違和感を感じている


昨日の記事を執筆中に、自分の本棚から以前購入したこの本を取り出した。

本の中で「勉強」について相談された子への答えとして、こんな事が書かれていた。

Eテレでやっていた、中世の学校を舞台にした海外の子ども向けアニメーションを見たことがあります。
普通の人はまだ貧しかった時代だから、教科書を持っているのは先生だけ。生徒には石板しかありません。

先生は教科書の内容をそのまま黒板に書き写し、生徒はそれをそのまま石板に書き写します。
教科書が貴重品で、コピーもなく、ノートもない時代だから、そうするしかなかったんでしょうね。
でも、こんな数百年前と同じことが、いまだに行われています。

生徒全員が教科書を持っているのに、先生が教科書をもとに黒板に書いたことを、生徒はそっくりそのまま書き写している。

石板がノートや液晶タブレットに変わっても、同じことをえんえんとやっているーすごく不思議だし、非効率的です。

著書より

そうなのだ。

長男のノートを見ると、「コレ書く必要あるの?」と感じる事が沢山ある。


例えば、過去の記事で書いた「小2 算数 表とグラフ」の授業。

この授業の中で、最初に「めあて」を書き最後に「まとめ」を2~3行書く。

それも「子供が考えて書く」のではなく、先生が書いた「めあて」と「まとめ」を全員が書き写している。

要る?

コレ、要るの??

ノートの中に「授業の流れ」が再現されているのだ。
後から振り返った時に、この日は何をしたのか?が分かるようになっている。

だけど。
それって必要あるのだろうか?

そもそもノートを読み返す事なんてあるのか?

教科書も、ドリルも配布されているのに。
わざわざノートを読み返して復習する子なんているんだろうか?

勿論、高校生とか大学生位になって「自分仕様」にカスタマイズしたノートであれば価値がありそうな気がする。

だけど「黒板を丸写し」したノートって価値ある??

ノートに限らず、「一斉授業スタイル」に対して「100年前と同じ事をやってる」「時代に合わない」と疑問視する人も沢山いる。

足し算ばかり


2020年からプログラミングの必修化が決まった頃に、小学校で教員をしている友人と話した事がある。

大学卒業後、ずっと「教員」として活躍していた友人は「プログラミング」なんてモノを学んだ事が一切ない。

それなのに「先生」として前に立たなければいけない。
今の業務にプラスして膨大な研修が必要になる。

子供に与えるカリキュラムだって増える一方だ。

プログラミングを必修化する事によって、勿論「授業時間」を減らした教科や省かれた内容もあるだろう。

それでも全体的な方向性に一切変化がない。

この前、石丸伸二さんが「ITスキル」について発言していた事を記事にしたけれど、足すばかりでは負担が増える一方。
一人の教員が全てをカバーできる程、人という資源にゆとりはないのではないか?

やめる勇気が必要


「書くのがメンドクサイ」と言う長男に、「先生にメンドクサイから書きたくないって言えば?」と提案してみた。

「そんな事したら怒られるから無理だ」と長男は言う。

殆どの先生が、立場上「書かなくて良い」とは中々言えないだろう。

だけど、例え「反抗的」と受け止められたとしても
子供自身が「必要ない」と判断したら
本人の責任でやめてみても良いのではないだろうか?

勿論、現状は授業中にノートを書かないからと言って、その時間に他の事ができるワケじゃない。

だけど、「意味があるのか分からない」事のせいで「学校に行きたくない」子が増えてしまうのは本末転倒な気がする。

公教育が100年前と変わらないのなら、親である私達が子供の「違和感」には敏感でいなければいけない。

声をあげ続けなければいけない。

そんな事を思った。

〈あとがき〉
今日も子供が5時過ぎに起きてきて、何だか考えがまとまらない記事になってしまいました💦
書く事が嫌いな筈の長男が、今私の隣で「ドラゴンドリル 漢字」をやっています(笑)
シールを貼れるのが嬉しいみたいです。
動機付けって、工夫が必要ですよね。

今日も有難うございました!

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