見出し画像

生息地による価値観の相違。

「あ、タケコプターだ!」

先日、仕事で登戸駅へ行く機会があった。

駅で見かけた4歳位の男の子は、頭にタケコプターを付けて歩いていた。

それを見て、可愛いなと思うと同時にとある本のエピソードを思い出していた。


ディズニー行ったら最初にすること


最近読んだこちらの本。

この中に、思わず関心するエピソードがあった。
要約をするとこういう事だった。

ディズニーへ行ったら、まずはカチューシャを購入して写真を撮って、早速メルカリに出す。
帰る事には売れているので、帰り道で発送して家に持ち帰らない。

確かに、日常でカチューシャ付けて歩く事もないし。
自宅でどこに保管しようか?とか考えるのも手間だし。
即日発送したら購入者も喜んでくれる。

でも、タケコプターを頭につけた男の子を見たらなんだか切なくなってきた(笑)

凄く嬉しかったんだろうな。
家でも飛ぶマネとかしちゃうのかな。
友達とか幼稚園の先生に見せて歩いたりするのかな。

なんて。

SNSの世界と現実世界の境界線

この本を読んだのは、たまたま図書館で借りられたので気軽な気持ちで読んでみた。

内容もライトな内容だったけれど、本題とは違う所で私が「アルアルだな」と感じる事があった。

例えば「結婚はコスパが悪い」とか「大学に行くことはダイパが悪い」といった内容を影響力のあるユーザーが投稿して幅広くその価値観がリーチし、リポストや「いいね」の数、コメント数などによって、多くの人がその考えに賛同しているように見えると、自分の考えはマイノリティ(少数派)のように思てしまう。

バズる事が大衆の相違かのように錯覚してしまっても致し方ない。

例えば私は、過去にホリエモンが「大学なんて行く意味がない」と発言した動画を紹介しました。

この動画のイイネの数が多いか少ないか、私には分からないけれどコメント欄には「同感」という感じのコメントが溢れていました。

また、別の方もこの動画をnoteで紹介しているのを見かけて
「大学進学に対して、懐疑的な人が増えているのかも」と思っていました。

でも、現実世界で出会う保護者さんと会話してると「大学なんて行く意味ないよね」とか「行かなくても良いよね」なんて言う人には会った事がありません。

また、工藤勇一先生の動画を見る度に、日本の「学校制度」が子供の主体性を奪っているのかも。と感じていたし、教育改革系の本や動画に沢山触れてきて、やはりこちらも「皆そう感じているんだ」と思っていました。

でも、現実の世界で出会う人の中には日本の教育に対して疑問を持ったり、「こうした方が良い」みたいな意見がある人はほぼいないのです。


YouTubeで勉強する事も当たり前だと思っていたけど、職場の若手男子はYouTubeにそんなコンテンツがあると知らなかったし(笑)

話が噛み合わなくなる

逆に私はTikTokとか全く見た事がありません。
Instagramも積極的に見る方ではない。

レシピは相変わらずクックパッドで調べるし。

恐らく今の40代以下の人達は、どこかしらのSNSに「自分の世界」を持っていて、そのSNSの世界では「常識」「定番」なネタとか価値観があるだろう。

でも「生息地」が違えば、「常識」「定番」は全く違うモノになる。

同じ職場でも、同じ小学校の保護者同士でも、物理的な距離は近くても、SNSの生息地、見るモノが違えば、全く違う常識を持ち合わせているのかもしれない。


だからこそ「対話」が必要なんだろうな。

決して押し付けるのではなく、「私はコレが好きです。あなたは?」って穏やかにお互いのスキや価値観を共有する時間を持たないと。

「この人何考えてるんだ?」
「非常識なやつ」
「信じられない!」

みたいなセリフが飛び交ってしまう。

本の大筋から逸れて(笑)
そんな事を考えた一冊だった。

〈あとがき〉
少し前に、メンタルが落ち込んで数週間「引きこもり生活」をしていた20代の人とお話をしました。
「1日中ネットフリックスとか見てた」との事。
確かに今は月額1000円程度で、永遠に暇が潰せるよね。
でも、製作者側から見たら、製作費とか制作期間を思うと物凄く切ない時代ではないだろうか。
「ワザワザ映画館に行く」という体験が、スマホの中で完結してしまう。
良い時代だけど、陽を浴びたり、外の空気を吸ったり、何かを体験する事を「意識的に」行わないと、何だか危険な時代に思えてきた。

今日もありがとうございました!


頂いたサポートは書籍や体験に使わせて頂き、またnoteでお返しいたします!