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「本当に日本は良くなると思っているの?」論争から考える民主主義のDX

元日に放送された番組「朝まで生テレビ」で、田原総一朗氏の「本当に日本は良くなると思っているの?」「(思っていないなら)この国から出ていけ!」発言で炎上騒動がありました。いろいろな議論がネット上でも為されていますが、肝心の「日本が良くなるってどういうこと?」は意外とまとまって発信されていません。

本来、視聴者にとっては特定の個人が日本が良くなると思っているかどうかなどはどうでもいいことで、「日本が良くなるってどういうこと?」の中身についてしっかり見たいところです。ただし、マーケティングの観点でも、政治制度の観点でも「日本が良くなるとは?」を決めることは意外と難しいのです。そのことについてこの記事では見ていくことにします。

参考記事:

万人にとって良い政治は存在しない

最初に重要なポイントを述べておきましょう。それは、「すべての国民にとって都合が良い政策・政治は存在しない」ということです。政治とは、国家の限られたリソース・予算をどこに配分するかを決めることなので、ある施策を実行すると、その恩恵を受ける人、受けない人、もしくはマイナスの影響を受ける人が出てきます

例を挙げると、「ふるさと納税」施策は、東京などの都市部から地方に税金を振り分けることになるため、都市部の住民は損をして地方の住民が得をすることになります。また、返礼品に関わる業者が潤うだけでなく、仲介サイトの業者も大きく潤います。所得税率を減らし消費税率を上げることは、富裕層の税負担が相対的に軽くなり、貧困層の税負担が相対的に重くなります。高速道路を無料化すると、実際に高速道路を通る受益者だけでなく、通行しない大多数の国民全体が費用を負担することになります。年金を厚くすれば、現役世代や若者が割を食います。

そのため、「日本が良くなる」という状態は、その人の立場によって異なってきます。定年退職した年配の人であれば、自分が死ぬまで安泰に暮らせるよう年金を厚くしてもらうことかもしれませんし、若者であれば将来結婚して子育てができるような所得を保障してくれることかもしれません。農業を営んでいる人であれば関税を高くしたり円安にして国内農業を守ってくれることかもしれませんし、飲食店の経営者であれば、関税を安くしたり円高にして輸入品を安くしてもらって安い多彩な食材を仕入れるようにできることかもしれません。このようにありとあらゆることについて、利益が相反する人々が存在するのが普通です。

それでも、"多くの" 国民にとって良い方向性のことであれば、それを実現すれば「日本が良くなる」と考えることができるかもしれません。しかし、「GDPを上げる」「少子高齢化を防ぐ」といった事柄は、それ自体に反対する人は少ないかもしれませんが、これを実現する施策のレベルで見てみると、検証がされている、されていない様々な選択肢が出てきて、それぞれに恩恵を受ける人、受けない人、もしくはマイナスの影響を受ける人が出てきます。いわゆる「総論賛成・各論反対」の状態です。

日本国民のセグメンテーション

では、それぞれの施策が "多くの" 国民にとって良いかどうかをどのように判断すればよいでしょうか?それには、国民をその特徴・属性によって分類する (=セグメンテーションを行う) 必要があります。このセグメンテーションはマーケティング戦略でもよく使われる方法ですね。セグメンテーションを行う理由は、同じセグメントに属している人であれば、似たような意見を持っている可能性が高いからです。

ただし、政治でセグメンテーションを考える場合は、企業で商品のマーケティングを考える場合と違うところがあります。商品のセグメンテーションを実施する際は、その商品に関係がありそうな顧客の属性を十数個ピックアップして各々の関連性を考えつつ数個のセグメントに分類すればOKな場合がほとんどです。つまり、ボトムアップで特定の商品に関係する割りと狭い範囲について考えれば良く、どのセグメンテーションにも属さない層は無視して構いません

しかし、政治の場合は「ひとりも取り残さない」ことを基本としており、また、購買行動だけではない様々な属性を考慮する必要があります。さらに、これらの属性の多くはデジタル化されていなかったり、一箇所に情報が集まっていない、個人の秘密情報のため内容を確認できない、といった場合が多いのです。

試しにこれらのセグメンテーションの数を試算してみましょう。主な属性としては、性別、年齢、配偶関係、家族構成、住所、住居の種類、職業、役職、学歴、年収、出身地、勤務地のような国政調査で聞かれるような内容から、宗教、信仰、政党、既往歴、健康状態、ITリテラシー、食の好み、外国渡航歴、趣味、性格、など、考えつくだけでも様々な属性があります。これらを細かく整理していくと50項目以上のデータになりますが、単純に考えるとデータの組み合わせパターンは2の50乗の1,100兆通り以上となります。(ちなみに、これは日本国民1億3千万人よりも桁違いに多いですが、これは多くの組み合わせには日本国民には該当者が不在で項目間に相関がある可能性を示唆しています。)

民主政治で国民に政策を選択する機会が与えられる選挙のときには、どのような政策を掲げると当選しやすいか、また候補者がどのような属性を持っていると当選しやすいか、などを選挙関係者は一生懸命分析します。私が所属している富士通でも、国政選挙の開票速報番組でWide Learningと呼ばれる「説明可能なAI」のテクノロジーを使って、データとして利用可能な過去の数多くの属性情報をもとにした当落予想を実施しました。

このように政治におけるセグメンテーションは数が多く、実際には入手できない属性も多いために、見える範囲で単純化してAIを使って分析することで、間接的にセグメンテーションをあぶり出す手法が取られています。将来的には、これらの分析のフィードバックを政策に取り入れていくことで、より多くの国民を満足させられる政策の実現も行われるかもしれません。

政党政治の限界?では、インターネットを使えばうまくいく?

よく出てくる議論として、「現代はニーズが多様化しており2~3の主力政党のみでは政策の組み合わせニーズを満たせないのではないか」「インターネットが発達しているのだから、国民による直接の多数決を取ればいいのではないか」というものがあります。両方の主張とも一理あるのですが、実際にはそんなにうまくは行きません。

ちなみに、国民が署名・投票行動などを通じて直接政治に参加する制度を「直接民主制」、いまの日本のように代議士のような代理人を選んで政治を任せる制度を「代表民主制」「間接民主制」と呼びます。

集合知と直接民主制の限界

インターネットを使った投票を行えば、多くの人の意見を低コストで直接知ることができます。昔からの調査といえば調査員が自宅に訪問したり、投票所を設けたり、電話やはがきなどの簡易調査など、いくつか方法はありましたがいずれもコストと時間がかかりました。国民が直接アクションを取ることができるため、今の代表民主制に幻滅している国民を政治参加させるのに有効だと考える人もいます。

インターネットを使うとなりすましとかセキュリティが気になる、とかデジタル格差が存在して不公平・信頼性がないという人もいますが、これらは技術的に解決可能な課題ですので、解決されているものとみなします。

ただし、インターネットによる投票の信頼性に問題なかったとしても、「直接民主制」としての課題が存在します。直接民主制は、約2600年前、古代ギリシャで始まった仕組みで、フランス革命などの近代革命後に有権者が爆発的に増えて「代議制」に取って替わられるまで、かなり長い間に渡って「民主主義といえば直接民主制」という時代が続きました。しかし、直接民主制には以下のような課題があり、国家レベルの複雑で専門的な課題を客観的に解決するには向かないと言われています。

● 意思決定にはYes/Noで答えられるような単純な問題でないと解決が難しい
● 専門家ではない国民のみの集合知では正しい答えが導かれない場合がある
● 国民の顔色を伺うポピュリズムが横行し、決定がコロコロ変わる
● 個人の利益誘導が横行する

インターネットによる直接民主制を一部取り入れる試みとしては、2010年にドイツ海賊党が提唱した「液体民主主義」があります。これは間接民主主義と直接民主主義を融合させたようなもので、委譲民主主義とほぼ同義と言われています。投票の際に賛成・反対の選択肢の他に、自分が詳しくないことについては第三者に委任する「委任」の仕組みがあります。また、実装によっては自分の一票を100% 特定の意見に投票するのではなく0.7票は意見A、0.3票は意見Bに投票するといったことも可能です。登場してからまだ時間が経っておらず社会実験の段階ですが、「民主主義のデジタルトランスフォーメーション」ということで今後研究が進んで行き、従来の民主制の欠点をうまくカバーできる実装に進化するようであれば、面白いかもしれません。

投票のパラドックス/アローの不可能性定理

また、民主主義で使われる投票という行動には不完全性が常に付きまとうことも知っておく必要があります。このため、投票行動のみで国民の民意を汲み取ることが難しいのです。

投票は投票方式や投票の順番によって結果が変わる場合があることが知られています。つまり、投票の手続きの決定権を握っている場合は結果を操作することができてしまいます (投票のパラドックス)。「多数決を行うことで参加者全員が意図しない望まない結果になる」こともしばしば起こります。また、2人以上の投票者と3つ以上の選択肢があるときに、個々人の選好順位を共同体全体の順位に変換する完全無欠な投票方式がないことも知られています (アローの不可能性定理)。

最適な国家運営は人類の未解決問題

以上、「日本が良くなるってどういうこと?」という疑問から、日本人のセグメンテーション、そしてそれらの意見を反映する制度までざっと見てきましたが、日本国民全体の意見を総括するのは現代の最新理論とテクノロジーをもってしても一筋縄ではいかないことが分かりました。どこか一点に課題があるというよりは、マーケティングの観点でも、政治制度の観点でも何重にも難題がありそうです。最適な国家運営の形態は、様々な理論やテクノロジーが発達した現代においても相変わらず人類の未解決問題のひとつです。

アクションが取れることがあるとすると、個人のレベルでは自分にとって「日本が良くなるってどういうこと?」をしっかり考えて間接民主制の元で投票をすること、社会のレベルでは代表民主制の元でマーケティングやAI、インターネットなどの最新テクノロジーを取り入れて、より確かな民意を調査する、そしてインターネットを使った液体民主主義のような新しい時代の制度を適切な部分に取り入れていく、といったところでしょうか。その上で、今のところ政策のプロである為政者に任せるしかなさそうです。

最後までお読みいただきありがとうございました! なお、冒頭の挿絵は2022年に話題になった画像生成AI「Stable Diffusion」に描いてもらったうさぎ年のイメージです。

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