移住うつと産後うつは似ている
30代になり、身近な人が出産する場面が増えてきた。私自身はまだ子供を産んだ経験はないけれど、学生時代を一緒に過ごした友人が「お母さん」になることで、もろもろの興味は湧いてくる。妊娠ってなんだろう、出産ってなんだろう。
それらについて調べていくうちに、「産後うつ」のことを知った。妊娠出産は奇跡の連続で非常におめでたいことだし、華やかな面に注目されることが多いと思う。でも実は、離婚するタイミングで最も多いのが産後1~2年なのだそう。どうしてせっかく赤ちゃんが生まれたのに離婚に至ってしまうのだろう。
不思議に思った私は、産後うつや産後の離婚についていろいろな方の文章を読んだ。そして涙が止まらなくなった。わかる、わかる、わかるよ。心の中で何度も頷きながら体験談を読み漁った。共感する一方で、ある疑問も浮かんできた。
「なぜ私は子供を産んだことがないのに、産後うつの症状に共感できるのだろう」
そう、私には子供がいないのだ。それでもまるで産後うつを体験したことがあるかのような、圧倒的な既視感があった。そこで私は気が付いたのだ。
産後うつの症状は、移住してからの自分の症状にそっくりではないかと。
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産後うつについては、厚生労働省のサイトが参考になる。ここでは詳しくは触れないけれど、女性は男性より2倍うつ病にかかりやすく、12人に1人が一生のうちで一度はうつ病を体験するらしい。そしてまさに産後というタイミングで発症しやすいそう。
私が読ませて頂いた体験談はリアルなものだった。
体調がなかなか元に戻らない辛さ、初めての育児にたちこめる不安、仕事ができなくなった恨めしさ、変化するのは自分ばかりで変化しない夫への怒り、自分なんてどうなってもいいやという無気力、なんのために生きているか分からなくなってしまった心の空白……。たくさんの感情が込められていた。
大粒の涙が静かに何度も頬をつたった。
重ねて言うけれど、私は子供を産んだ経験はない。それでも「移住」という経験をとおして、同じような場面に遭遇している。湖畔の田舎町へ移住して丸二年が経つけれど、未だに定期的に苦しさに襲われることがある。
夫の出身県への移住、慣れない土地柄・人柄への警戒心、初めての田舎暮らし・古民家暮らしへの不安、何もかもが広いことで増え続ける家事と雑務による負担、目まぐるしい変化に付きまとわれる自分と変化の少ない夫の比較、いつの間にか消え去った自信。
「未知と不安」が多すぎるのだ。代わりに「自信と安心」が少なすぎるのだ。
よく分からない不安な環境に身を置いている時、やたらと時間が長く感じることはないだろうか。夫は朝6時に家を出て、18時に帰宅する。約12時間、私の心は大蛇のようにのたうち回り、不安と平穏を行ったり来たりする。
ここでは書ききれないけれど、一人で対応しないといけない事態もよく起こる。双子のやんちゃなヤギと過ごさないといけない時間が負担になって、彼らから離れたくなることもある。でも大切な命を預かっているんだと自分に鞭打つ。ただでさえそんな感じなのに、夫が涼しい顔で一泊外出するときなどは限界を超えてこう思う。
「なんでこんな場所でこんな生活をしているんだっけ」
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どんな事柄にも問題は付き物だ。
出産や移住は一見華やかな事柄に思える。実際、メディアではポジティブな面を捉えられることが多いし、脚色されやすくプラスのイメージが強い。でも事実はそんなに甘いものだけじゃない。必ず闇の面もある。それを心得ながら事柄に臨まないといけない。
闇の面があるということは、そこで「苦しんでいる人」が必ずいるということでもある。
移住について、今はまだないけれど「移住うつ」という言葉は今後定番になっていくだろうと勝手に思っている。行政もメディアも地方移住を盛り上げようと必死。そのせいか、移住を促進するためのサービスや補助金は充実してきたけれど、その後の生活を長期的にサポートする仕組みや悩み相談ができる場所がない。
群馬県のとある町では、その役割を一人の市役所職員が担っていると本で読んだ。残念ながら私が移住した先にはそんな人材はいない。しかも移住する前から「移住後の生活を二年、三年見守ってくれる人」が大切だなんて想像もしていなかった。
移住は始まるまでのサポートより「始まった後のサポート」の方がよっぽど大切なのだ。私がいま欲しいのは、移住してから繰り返しやってくるようになってしまった虚しさの受け皿的存在だ。
とはいえ田舎は自然豊かで、気持ちの持ちようによってはリラックスできる環境が整っているとも言える。しかし不安になるのも事実。だからこそ、「大丈夫だよとりあえず庭に出て鳥の声でもゆっくり聴いてみなよ」とニコニコひと声かけてくれる存在が重要だと思うのだ。
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幸せはあくまで主観的なものだと思う。
たとえ夫であっても妻の幸せのことは分からない。「あなたは幸せだと思う」と勝手に思い込んでいたとしてもそれは夫目線での幸せなだけであって、妻が本当に幸せを感じているかどうかは分からないはずなのだ。だって妻の幸せは妻本人しか体感できないのだから。
逆にいえば、自分の幸せは「誰かが運んできてくれるものではない」ということを意味する。
結婚や移住について、正解だったとか失敗だったとか、そういう二項対立的な考え方はしたくない。ただ心にゆとりを持って安定して幸せに生きたい。
10年前と比べれば、世間や政治に向けてSOSを出したり声を上げやすい社会になってきたと思う。助けてください、改善してください、と小さくても声を出せば何かが変わるかもしれない。
そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。