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「恥ずかしい」のは挑戦している証拠

「恥」は挑戦している証拠

「恥ずかしい」

避けられるなら、なるべく避けたい感情ですよね。

僕もよく仕事で失敗をした時は「恥ずかしい」と感じて、ネガティヴになってしまうことがあります。

でも、この「恥ずかしい」という感情、実は何かに挑戦している証拠みたいなんです。

恥ずかしいのはチャレンジできている証拠だ

「いくつになっても恥をかける人になる」という本に書いてあったこの言葉から、「恥」という感情について少し考えてみました。

行動する人しか「恥」をかけない

そもそも、自分が「恥ずかしい」と思う時ってどんな時だろう。

・仕事でミスをした
・思い切って意見を言ってみたら的外れだった
・電車で席を譲ろうとしたら断られた
・サッカーでシュートを外してしまった

あげればキリがないほど、「恥ずかしい」思いをした場面を思い出します。

ただ、こうやって改めて並べてみて思ったことがあります。

「恥ずかしい」と思う時は必ず、何か行動を起こして失敗した時や、うまくいかなかった時だということです。

「恥」という感情の前には必ず「行動」がセットになっています。

確かに、何もしない人が「恥」を感じるシーンって少ないですよね。

多分それは、「行動する人」よりも「何もしない人」の方が圧倒的に人数が多いからなんじゃないかと思うんです。

僕が「何もしない側」にいる時のことを考えてみても、多数派の方にいられる安心感があり、みんなと一緒だからまあ大丈夫だろうと思えるので、「恥ずかしい」と感じることはありません。

でもこれ、「恥」はかかないかもしれないけど、こうして文章にしてみてみると「何もしない側」って少しかっこ悪いですよね。

さっきの本には、

「恥をかける人」は、応援される人だ

ということも書かれていました。

確かに、「何もしない人」よりも「恥をかける人」の方が応援したい気持ちになります。

PKを蹴る勇気

そういえば、サッカー選手の名言でも、この「恥」に対する考え方で似たようなものがあったのを思い出しました。

イタリア代表として活躍した、ロベルト・バッジョというスター選手の言葉です。

PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ

W杯の決勝でPKを失敗し、優勝を逃してしまったバッジョ選手。
彼はその後、イタリア国民からたくさんの批判を浴びました。

そしてその次のW杯。
今度は自分ではなく、味方のPK失敗によりイタリアは敗退してしまいました。

その時にバッジョ選手が失敗した選手にかけたのが、先ほどの言葉です。

数えきれないほどの困難にチャレンジし、
数えきれないほどの「恥」もかいてきた、
そんなバッジョ選手のこの言葉はとても重みがあり、最高にカッコ良いですよね。

このエピソードを思いだして、やっぱり自分も、PKを蹴る勇気、つまり「恥」をかける勇気を持っていたいなと思いました。

noteだって挑戦の1つ

最近、自分はどれくらい「恥」をかけているだろうか。

そう思い返してみた時、よく考えたらこうしてnoteを書くことだって、充分「恥」をかく可能性を持った「行動」だよな、と思いました。

きっと今僕の記事を読んでくれている皆さんも、noteで自分を表現して、たくさん挑戦して、たくさんミスして、たくさん「恥」をかいている方の1人。

そんな皆さんと一緒に、僕もどんどんチャレンジして、どんどん失敗して、どんどん「恥」をかいていこうと思います。

「恥ずかしい」のは、挑戦している証拠ですもんね!

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読んでくださりありがとうございました😊 ほんの1ミリでも良いので、あなたの行動や考えに影響があれば嬉しいです。