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小さな気づきだって立派な「アイデア」だ

自分への基準が高いとアイデアが出ない

noteを書き続けてると、中々何を書いたらよいか良いアイデアが出ない時ってありますよね。というか、僕はそんな時ばかりなのですが。。

「アイデア」が中々でないのはなんでなんだろうと考えていたら、
「いくつになっても恥をかける人になる」
という本にあった考え方に、とても納得させらました。


この本では、「全然アイデアが出ないんです」という人は才能やセンスがないわけでも、努力が足りないわけでもないと書かれていました。では、なぜアイデアが出ないのか?

それは、僕らが自分に厳しすぎるからだそうです。

自分の設定する基準が高すぎるので、自分の基準を満たしていないものを「アイデア」と呼ぶのが恥ずかしくなってしまうんだそう。

確かに、「ちょっとこれいいかも」という考えが浮かんでも、それが「アイデア」という形になる前にいつも

「こんなこと書いても意味があるのかな?」
「もうみんな知ってることなんじゃ」
「何を当たり前のことを今さら、とか言われそう」

こんな言葉たちが頭の中によぎって、結局自分でボツにしまってる気がします。自分にとっては凄いと思ったことが、他の誰かにとっても凄いこととは限らない。そんなふうに考えてしまっていることって多いなと。

でも、自分が設定する「良いアイデア」の基準が正しいとは限らないんですね。

自分にとっての凄いことが、他の人にとって凄いこととは限らない。なら、その逆もあり得るんじゃないだろうかと。

自分にとっては些細なことが、他の誰かにとっては大きなことかもしれない。

自分が勝手に作った基準を外したら、どんな小さな気づきや出来事だって自信を持って、「アイデア」と呼べるようになるんじゃないだろうか。

そんな風に思えれば、「アイデア」もどんどん出てきて、きっと何を書こうか考えるのがもっと楽しくなりそうな気がしました。

同僚の小さな気づきから「アイデア」が生まれた

そういえば、この前同僚の小さな気づきがきっかけで、良い「アイデア」が浮かんで仕事が進んだことがありました。

「全然大したニュースじゃないんですけど、ちょっと気になったので…」

そう言って見せてくれた一つの小さな新聞記事が出発点になって「アイデア」が生まれ、まったく決まらなかったある仕事の方向性がすんなりと定まった。

その同僚が、「大したことじゃないから」という理由で僕にその記事を見せることにブレーキを踏んでいたら、その「アイデア」が生まれることもなかったんですよね。

逆の立場になって考えるとよく分かる。
何もしなければ可能性は0だけど、どんな些細なことでも、思いついたことを自分の中から出せば、それが誰かに影響を与える可能性が1%はでてくるんだ。

だったら、自分の「良いアイデア」の基準なんかさっさと取り外しちゃった方がいいに決まってますよね。

「アイデア」のハードルを下げてみる

この本にも、小さな気づきや改善点でも、気づくことができた自分を褒めてあげよう、と書かれていました。

「アイデア」のハードルを下げる第一歩として、とりあえずこの本の「アイデア」に対する考え方が琴線に触れるような、そんな感性をもっていた自分を、まずは褒めてあげたいなと思います。

皆さんも、「アイデア」のハードルを少しだけ下げて、これまではバイバイしていた小さな気づきも「アイデア」の仲間にいれてみませんか?

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