「根を断ちて葉を枯らす」
今年に入ってからわりとすぐに2回目の離婚をしたんだけど、そこからことあるごとに「仏の顔も三度まで」とか「二度あることは三度ある」とか「三度目の正直」とか、そういう2とか3とかの入ったことわざや慣用句が脳内に滑り込むようになってきた。
つまり、1発だけの失敗はまあよくあることというか、偶発的なものとして処理できることなんだけど、2発やってしまっているとなると、そこには何らかの意思や癖が少なからず関係しているんだろうということ。必然的な失敗だということ。
ここで何かに気づいたり、外部刺激から気付かされたりして、軌道修正をがんばれば「三度目の正直」になるし、そうでなかったら「二度あることは三度ある」になったうえに周りから「仏の顔も三度まで」だぞ(さっさと気づいて軌道修正やれや!)という評価になるわけなんだな。
ということまでは頭の片隅の小さなわたしが考えていたものの、ワシかて別に離婚したくてしとるわけじゃないですからね……と深く思い巡らすことをせず、他責にも自責にもなれず、ただぼんやりとした日々が続いていた。
そのタイミングで、「noteでエッセイを書いたら?」ということを複数の友達に言ってもらうことがあった。どういうことを書けばいいのかなぁとつぶやいたら、「しゅうこさんはなんだかんだで恋愛の経験が多くて一家言ありそうだから恋愛について書いたら」と勧めていただいた。
そこそこの回数の経験してるのは確かだし、「三度目の正直」をするための自己分析につながるかもしれへんね、という気持ちになり、古来よりあまたの人が書いているだろう恋愛系エッセイというものを我も書いてみようといろいろ考えたのだった。
それで、わたしはエッセイを書こうと思っていろいろ思い出したり、分析したり、カウンセラーさんに整理してもらった結果、わかったことがある。
恋愛上手・恋愛下手なんて言葉があるけど、恋愛に上手やら下手やらがあるかは疑問だ。でも「愛する」のが上手とか、「愛される」のが上手はあるような気がする。
恋愛上手と、愛し愛され上手とは、明確に違う。
それで、わたしはこれまでたくさんの人を好きになってそれなりの数の恋愛経験があって、もしかしたら恋愛上手だったかもしれない。だけど、愛するのも、愛されるのもとっても下手だったと気づいた。
そういうことに、2回結婚し、2回離婚して、37年生きて、やっと気づいたのだった。
トライ&エラーしてるのに、まったく分析をしてこなかったツケだ。
でも気づいたからには修正もできるはず。目をかっぴらいて、これまでの負け試合をスローでコマ送りで見て戦況分析しなければならない。
これまで37年間もの間ずっと自己流でやってきたことを正したい。
すっ転んだ今がチャンスなのだと思う。
アンジュルムの「七転び八起き」を聴こうね。
これまでnoteには日記を主に書いてきたけれど、こんなふうに恋愛に関する反省と考察をときどき書いてみようと思います。失敗談って恥部モロ出しみたいなものなので、中年のそれは見苦しいでしょうけれども、お付き合いいただければ幸いです。
文章が非常に粘度のあるものになりそうなので、せめてカバー写真は自分の撮った美しい風景にしていく所存でございます。
以下は次回以降の予告です(複数の予告がありますが、どれから書くかはバイブスに任せます)。
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