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幸せとは、違和感のない状態

自我とは、何だろうか?

それは、違和感を察知する能力といってもいいかもしれない。

では、違和感とは何か。

それは、心地よくないということを感じる作用といっていいだろう。

人は、嬉しいと感じるときや楽しいと感じるとき、違和感を覚えることはない。

嬉しさや楽しさは心地よさであり、心地よさを感じているときに、人は幸せを感じるものなのだ。

人の初期設定は心地よさにある。

生れたばかりの赤ん坊が声を上げて泣くのは、お腹が空いたときや排泄を行ったとき、眠くなったときであり心地よさが損なわれ状態だ。

また、寂しさを感じているときに誰かに抱かれて安心するのは、そこに心地よさがあるから。

自我とは、心地よさを感じられないときに強まるものであり、違和感が自我を養う。

前回の記事で、何かに夢中になっているとき人の自我が消え、その対象とひとつになるということを書いた。

たとえば、夢中になって本を読んでいる最中では、本の内容に自分が同化し自我が消える。

こういった同化は心地よさであり、違和感のない状態といっていいだろう。

仲のよい友人と一緒に過ごしているとき違和感を感じないのは、その友人と自分との関係性が心地よいから。

しかし、辛いと感じる人と過ごしていると心地よさを感じられないため、そこに違和感や分離意識を覚えることになる。

こういった違和感や分離意識は自我を強化させるものであり、自我性が強まれば強まるほど、その場から遠ざかりたいと思うもの。

また、違和感や分離意識が強くなればなるほど、人の自我は拡大していくことになり、自他を隔てる壁がどんどん厚くなっていく。

しかも、自我が強くなればなるほど違和感を覚えやすくなっていき、心地よいと感じることが少なくなっていく。

その一方で、どんなときでも心地よさを感じられるようになれば、自我性が弱まり自他の壁の隔たりがなくなっていき、色々なことに一体感を感じて過ごせるようになっていく。

心地よいと感じる時間が増えていけばいくほど、人は幸せを感じるようになるものであり、自己一致ができている状態となる。

幸せとは自己一致が起こった状態であり、違和感を感じていない状態といっていいだろう。

また、自己一致が起こっている状態とは、他と同化し自我がなくなっている状態でもあるため、幸せが拡大していけば自然と自我は小さくなっていく。

幸せとは、自我の消失で起こるものであり、自他の同化で感じられることである。

何かに夢中になっているとき、自分とその対象と同化が起こっているものであり、そいういった「自他の同化の時間」を多くすることができれば、幸せが拡大していくことになる。

そして、幸せを実感していけばいくほど自他の境界がなくなっていき、至福の状態で生きていけるようになるだろう。

こういった至福の状態で過ごせるようになるのが、我々、人間の理想の形といっていい。

ワンネスとは自他の境界がなくなって、常に至福の状態でいられるようになることであるから、我々が最終的にたどりつく姿は、そういった状態である。

おそらく、そういった状態になることができたなら、我々は、この人間界から卒業することになるだろう。

我々は、分離意識という自我性を体験するために、この地球で様々な経験を積んでいて、自我性がなくなっていけば、ここで経験することはもう存在しなくなるといっていい。

自我がもたらす分離意識を体験するということは違和感を感じることであり、それを改善していくということをするために、我々はこの星で様々な体験をしている。

幸せは、日々の生活に違和感を感じることなく、どんなときでも心地よい状態でいられるということであり、生活の中で違和感を感じることがなくなれば、自我を使う必要がなくなっていくことだろう。

自我は、ストレスを感じるときに強まるものであり、違和感という不一致を知らせる合図でもある。

ストレスによって自我が発動し、そのストレスを改善したいと思うことで、人の欲求が生まれるし、その欲求が満たされたならストレスを感じることがなくなっていく。

欲を持つことは悪いことではない。

欲を持つということは、現状を改善したいという思いがあるということであり、そういった欲を通じて現状を改善できれば、欲を持つことがなくなっていく。

欲を持たなくなるということは、未来を思い煩うことがなくなっていくことである。

未来を思い煩うことがなくなって、今という瞬間を幸せという自己一致の状態で過ごせるようになると、無我、無心、夢中の状態で生きていけるようになることだろう。

こういった状態が、我々が目指す姿だ。

そうなるためにも、何かに違和を感じ、自分の自我が強まっていると感じたなら、それは改善すべき課題と考えていいだろう。

自我が感じ取る違和感は、もっとよくなれるという合図でもある。

違和感を感じるごとに、それを改善していけば幸せに近づいていけるようになる。

違和感という自己不一致の状態を、違和感のない自己一致の状態に近づけていけけば幸せは拡大していく。

我々は、今という瞬間を何かに夢中になって過ごしたり、心地よい状態で過ごしたいという欲求を持っている。

そういった欲求に導くのが自我であり、そんな自我の訴えを可能な限り応えていけば、幸せを実感して生きていけるようになるだろう。

もちろん、幸せが拡大し自我が小さくなっていったからといって、何もしなくなるわけではない。

自我は常に、今とひとつとなって生きていきたいという欲求を持っているから、無我、無心、夢中になれることを探し続けることだろう。

幸せは、退屈を嫌うものであり、むしろ幸せを感じれば感じるほど、今という瞬間にアグレッシブになることだろう。

今という瞬間にアグレッシブに生きるとき、幸せと同化することができる。

幸せとは、今という瞬間に満足することである。

違和ではなく、和とひとつになることで幸せは実現される。





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