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仮面を外して生きる

人は誰でも、誰かと過ごしているとき仮面をつけるものだ。

会う人に合わせて、無意識のうちに仮面をつけている。

どんなに仲の良い人であっても、深い関係性の仲の人であったとしても、完全に素の自分になれるというわけではなく、薄い仮面をつけていたりする。

では、人が仮面を外すことができる瞬間はいつかというと、一人で過ごしているときか、寝ているときかのどちらかといってもいいだろう。

このため一人で過ごせる時間が、完全な素の自分になることのできる時間であり、心が安らぐ時間になる。

人は仮面をつけると、その分、緊張が生まれるものだから、人と会えば無意識に仮面をつけてしまうし、当然、緊張もすることになる。

だからこそ、緊張を解く時間として一人で過ごす時間が必要になってくるものであり、誰かに気兼ねすることなく、ただただ素の自分で過ごせる時間は、癒しの時間となるため貴重なのだ。

そして、そういった癒しの時間にこそ、自分を忘れ夢中になれることをするといいと思う。

というのも、自分を忘れて夢中になれるということは、普段、自分自身につけている仮面をも外すことができるようになるからだ。

人は知らず知らずのうちに、いい人であろうとする自分や、大人としての自分、社会人としての自分といった仮面をつけている。

そういぅた自分は、いってみれば自我の自分であり、自我とは、ある意味で「私」という仮面でもある。

しかし、自我のない世界には仮面は存在しない。

本当の「私」とは、自我さえ持っていない自分のことであり、生命として純粋な存在といってもいいだろう。

自分と認識する自分さえも一つの仮面であり、そういった仮面さえも外すことができたとき、存在そのものにくつろぐことができるうになるだろう。

だからこそ、意図して無になれるようなことをするといい。

自分にくつろぐ時間とは、たとえるなら童心に戻る時間であり、子どものような好奇心を取り戻して、瞳を輝かせることができる時間でもある。

そういった時間を作って味わうことができると、原点というべき自分に戻ることができるため、疲れを癒すことができるのはもちろんのこと、生まれながらに持っている生命力に触れることができるようになる。

何も気にすることなく、子どものように目の前のことに夢中になる時間を作ることができれば、自分の中の魂と触れ合うことができるようになるだろう。

無我の境地になって目の前のことを楽しめば、自我という仮面をも外すことができるようになる。

幼い子どもは世間体もお金も時間も気にして行動しない。

ただただ目の前のことに夢中になって生きている。

行為とひとつになることで、彼らは目を輝かせている。

人は年齢を重ねるごとに役割や義務が生じてしまうため、結果として、そういったことが人に仮面をつけさせることになる。

人生の中で、仮面をつけずに生きている時間は非常に短い。

自我が形成されていくにつれて、次第に仮面を身につけるようになる。

年齢を重ねれば重ねるほど仮面の数が増えていく。

しかも、同じ役割の仮面をずっとつけて過ごしていると、その仮面が次第に厚く硬くなっていくし、厚く硬くなった仮面が自分であるという風に思い込んでしまうようになる。

しかし、我々の核心部分にあるのは、子どものように何も飾らない純真無垢な輝きであり、そういった輝きに還る時間を作ることができれば、いつでも生命としてのエネルギーを枯らすことなく生きていけるようになるだろう。

そういった瞬間を、日々の生活の中で見出し、生命としてのエネルギーを感じられるようになると、生きることが楽しくなっていき、日々つけている仮面の質が変化していく。

厚く硬くなってしまった仮面も次第に薄く柔らかになっていくことだろう。

表情とは、いってみれば仮面でもある。

難しい顔をしているということは、難しい顔という仮面をつけているということだ。

では、なぜ難しいという仮面をつけているかというと、自我が日々、難しさを感じているからだ。

だから、自分を忘れて何かに夢中になれる時間を作ることができるようになれば、自我の持つ仮面の質を変えられるようになっていく。

そういった自分の中の純粋性に触れることができるようになれば、自我の質に変化を起こせるようになって、表情も変わっていくようになる。

自分の中の純粋性に触れていく頻度が増していけばいくほど、この世界に対する見方を変えられるようになり、自我が生み出す仮面の質を変えられるようになる。

年齢に関係なく、何かに夢中になって生きている人の表情は明るいし、幼子のような輝きを放っている。

そういった人達は、生命としてのエネルギーとともにあるため、生きることを楽しめている。

もちろん、自我という仮面を簡単に外すことはできないし、本当の自分の姿を認識するのは難しい。

でも、自分を忘れる時間を生み出すことができれば、そういった生命としてのエネルギーに触れることができるようになる。

瞑想が勧められるのは、仮面を外せる効果が得られるからだし、瞑想をしなくても、何かに夢中になって今この瞬間に自我を忘れることができれば、生命としてのエネルギーに触れることができるようになる。

そういった意味でも、今という瞬間とひとつになることができれば、我々は内なる輝きとともに生きていけるようになるだろう。

瞑想で瞑想状態になることは難しいけれど、自分の好きなことで夢中になることができれば内なる輝きを再発見できるようになる。

そうやって、内なる輝きとひとつになって生きるとき、人は本来の自分を生きていけるようになるだろう。

無意識のうちに自分自身に課してきた仮面を少しづつでも薄く柔らかくしていけるようになれば、自分らしくいきていけるようになる。

今という瞬間とひとつになれる時間を創れば作るほど、人は自分らしく生きていけるようになる。

自我という仮面を完全に外すことはできないけれど、それを可能な限り薄く柔らかく透明な仮面にすることができるようになれば、自分にも他者に対しても柔和な対応ができるようになるだろう。

そういった人が増えていけば、世の中のあり方も変わっていくはずなのだ。

そんな時代が到来することを期待して、今日も今を楽しんで生きていきたい。


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