ひとりで生きるということ
10月下旬の平日、思い立って、ひとりでささやかな旅行にでかけた。
行き先はどこでもよかったのだが、さほど遠くない、手近な「渓谷」あるいは「渓流」を歩いてみたいと思った。
水がある風景が好きだ。
そのことを、初夏に家族旅行で奥入瀬渓流を歩いたときにあらためて気づいた。
とりわけ清流の響きを身近に感じ、水の流れと樹々が茂る山々と空とが同時に視界に広がるような、そんな場所に強く惹かれるのだ。
初日は昼頃に発って、夕方、群馬県の桐生駅前のビジネスホテルにチェックインした。
二日目は、桐生駅から「わたらせ渓谷鉄道」のトロッコ列車に乗って通洞で下車、足尾銅山を見学してから、日光市営バスに乗り、東武日光駅経由で、東武線の鬼怒川温泉に到着。温泉ホテルに一泊した。
三日目は、ホテルを遅めに出て、タクシーで龍王峡入口まで送ってもらい、龍王峡のハイキングコースをゆっくり、のんびりと川治湯元まで歩いた。そして、あらかじめ予約済みの川治湯元駅15時43分発の東武線リバティ号で帰途に就いた。
二日目はどんよりと曇って気温も低く、トロッコ列車はただただひたすら寒かった。用意してあった薄めのダウンジャンパーでは歯が立たなかった。通洞で下車した後も震えが止まらなかったほどだ。
景色も期待していたほどではなかった。トロッコ列車が思いのほか猛スピードで走るので、眺望が開けた、と思う間もなく、視界が飛ぶように移り変わっていき、のんびりとカメラを構える余裕もないほどだった。あいにく紅葉にはまだ少し早かったせいもある。
そのかわり三日目は天気も回復して、穏やかな晴天となり、龍王峡では、鬼怒川沿いの爽快な渓流歩きを楽しんだ。
今回久しぶりに、出張や単身赴任を除けばそれこそおそらく数十年ぶりに、ひとりで旅行に出かけ、ひとり旅の気楽さと自由さをしみじみと堪能した。
縦横無尽、と言ったら少し大げさだが、そんな気ままさがあった。
とくに龍王峡のハイキングコースでは、平日ということもあり、行きかう人もさほど多くはなく、歩きながら、しばしば周囲の景観を独り占めにしているようなぜいたくな感覚を味わった。
そのように、たったひとりでゆったりと水の流れに浸っていると、果たして「私」にとって「他者とのつながり」が本当に必要なのか、とすら思えてくる。
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ドストエフスキーの『罪と罰』という小説を、時空を隔てていま読み続ける意味は、「神への信仰を持たない現代のわれわれが、果たしてどのように他者とつながることができるのか?」という問いに向き合うことなのだ、と論じた。
「人はどのようにして他者とつながることができるのか?」
しかし、この問いに先立つ「問い」として、そもそも「人は他者とつながらなければならないのか?」あるいは「人はひとりでは生きられないのか?」という問いにも向き合う必要があるのではないか。
「人はひとりでは生きられないのか?」
もちろん、現実的なレベルで、人はひとりでは生きられないことは間違いない。
通常の日常生活を送るうえで、人は様々な商品やサービスを消費しながら生きており、それらの商品やサービスは他者から提供されなければならないからだ。
しかし、そのような商品やサービスの交換において、「真の」人間関係はかならずしも必要ではない。それらの商品なりサービスなりの提供者が人間でなくロボットであっても、日常生活上はとくに支障はないのだ。
極論として、仮に未来社会においてすべての労働がAIや機械に代替されるならば、表面的な日常生活のレベルにおいてすら、人間関係というものがまったく不要となるかもしれない。
いずれにしても、ここでは、そのような表面的・定型的な人間関係は除外して考えてみたい。
「人はひとりでは生きられないのか?」
家族もなく、友人もなく、それでもひとりで生きている人たち、あるいは家族があり、友人らしき者があるにはあるが、真の意味でそれらのひとたちとの「つながり」を失ったまま生きている人たち、そうした人たちは、現実に多数存在するのではないだろうか?
そうだとして、それは、哀しむべき、憐れみを受けるべきことだろうか?
家族があり、友人もあるにはあるが、真の意味でそれらのひとたちとの「つながり」を失ったまま生きること! それは、まさにラスコーリニコフが陥った運命である。
金貸しの老婆を斧で殺害した直後から、ラスコーリニコフは「いっさいの人間といっさいのものから、自分の存在を鋏で切り離しでもしたように」感じる。
ラスコーリニコフは、殺人を犯すことで、自ら神との絆を断ち切ってしまったために、世界中の誰とも「つながり」を持てなくなった、というのが私の解釈である。
そのような孤独を持ちこたえられずに、ラスコーリニコフは、ソーニャに導かれるようにして自首におもむく。
選ばれた人間であることを信じ、自らナポレオンたらんとするような、病的に高い自尊心の持ち主のラスコーリニコフであってさえ、「ひとりで生きる」ということができなかった。
なぜか?
それは、ドストエフスキーが、「人はひとりでは生きられない」と考えていたからなのだろうと思う。
そのうえで、ドストエフスキーにとって、人と人とがつながるための回路こそが「神」にほかならなかった。だからこそ、ドストエフスキーには神の存在が「必然」であったのだ。
神の存在のもとでは、あらゆる人間は等価である。
しかし、もし神が存在せず、それゆえ個々の人間がそれぞれ自力で「世界」と対峙しなければならないのだとすれば、「私」は、私をとりまく「世界」全体と、少なくとも等価でなければならない。言い換えれば、私の「内」は「外」に対して少なくとも等価でなければならない。
そうでなければ、「私」は「世界」に圧し潰されてしまうだろう。
こうして、近代以降の人間の自意識は、世界とのバランスを保つために、おのずと肥大化した。しかし、それはある意味で「自然なこと」であり「仕方のないこと」だ。
近代人としての自意識に強く囚われた『地下室の手記』の主人公は、「たとえ世界が破滅しようと、僕がお茶を飲めなくなるよりはましだ」と言った。これは極論に聞こえるかもしれない。
しかし、現実に、我々は、世界のどこかで戦争が続いていても、どこかの街角で150人以上が亡くなる大惨事が発生しようとも、そして、それらの事実に心底から胸を痛めたとしても、結局は、自身のなんでもない日常を優先しながら生きている。
「神」という「他者との回路」を失った世界において「汝自身と同じように汝の隣人を愛せよ」という教えは、ナンセンスだ。
なぜなら、あらゆる人にとって「私」とは唯一絶対の存在であり、また、そうでしかありようがないからだ。
★
話を元に戻そう。
「人はひとりでは生きられないのか?」
「ひとりでは生きられない」ということが、他者に期待し、他者から何かを求めるということであるならば、むしろそれこそが、人間のあらゆる不幸や苦悩の源泉と言えるのではないだろうか?
そもそも、人は他者に何かを求めるからこそ、傷つき、苦しむのだ。そうであれば最初から何も期待しないほうが賢明な、潔い生き方ではないか?
自分をとりまく他者との間で、(表面的・定型的な人間関係は別として)いかなる真の「人間的な」つながりを持てなくなったとしても、人間というものは、案外しぶとく生きていくものかもしれない。
そして、実際に、そのように天涯孤独の身の上で、それでも気ままに、気丈に日々を生きぬいている人々は、決して少なくないのだろう。
たとえ他者とつながることができないとしても、だからといって死ぬこともできないとすれば、生きていくしかないからだ。
ただ、そのこととは別に強く思うのは、他者とのつながりがあろうとなかろうと、「私」が生きていくためには、なにかしら、「私」を「世界」につなぎとめるものが必要ではないか、ということだ。
言い換えれば、たとえ他者とのつながりを失ったとしても、それでもなおこの世界に留まるようにと引き止めるものがあるならば、人は生きていけるのではないか、と思う。
そのようなものを「生きがい」と呼ぶのだろう。
私にとっては「書く」という行為が、それにあたるのではないか、と思うことがある。
例えば、ここまでつらつら綴ってきたような、曖昧模糊とした想いに、漠然とではあれ形を与えてみるという試みが、まさにそのようなものだ。
しかし、このようなとるに足らない文章であっても、それらを懸命に書き、ここに投稿するという行為は、実は、それを読むであろう「他者」を想定したものなのだ。
誰に読んでもらえるかもわからないのに、誰かが読んでくれるかもしれないと思って、書いている。
つまり、「読み手」という他者を求め、不特定多数の他者と「つながる」ことを期待しているのだ。
かくして、堂々巡りに陥ってしまう。
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先日読んだ新聞の読書欄で、小熊英二氏が、ハンナ・アレントの『人間の条件』をとりあげていた。
記事の中で、小熊氏は、『人間の条件』が、西洋古典思想を基本教養として習得済みの読者を念頭に書かれているため、プラトンやデカルトを読まずに挑んでも到底理解できない難物であるとし、それでも多くの読者に読まれている理由として、それが「「生とは何か」「死とは何か」「人間とは何か」という人類普遍の主題を扱っているからだと思う」と述べている。
そして、小熊氏は、次のように続ける。
ハンナ・アレントの「人間は一人では存在しえない」との主張が意味することは、どういうことなのだろう?
いま私が『人間の条件』を読んでもなにも理解できない可能性がきわめて高いけれど、それでも読むだけ読んでみようか、と思った。
さしあたり、それまで「人はひとりでは生きられないのか?」という問いへの答えは保留にしておこう。
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