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#135 宮沢賢治と修験道【宮沢賢治とシャーマンと山 その8】

(続き)

話が逸れたが、賢治の詩の最後に登場する
 
「曾ってはこゝに棲んでゐた坊さんは
 真言か天台かわからない」
 
というフレーズは、かつて早池峰を活動の場としていた修験道の行者達が、真言宗系の当山派、天台宗系の本山派の二つに分かれていたことを連想させ、賢治は、地元の人間として早池峰の歴史を知っていたことが予想される。
 
賢治の詩には、「シャーマン山」とフレーズが登場する「測候所」という詩がある。賢治は「シャーマン山」がどの山かは明示していないことから、それがどこを指すのかは所説あるが、有力な候補の1つは「早池峰」であるようだ。
 
「シャーマン山」のように、賢治が作品の舞台を明示していないケースや、何を特定するのかが明確ではない単語を使うケースは多く、このことが、賢治をめぐる激しい議論を読んでいる。

賢治自身は「メタファー=隠喩」を好んで使っていたように見え、「シャーマン山」も、早池峰かもしれず、岩手山かもしれず、比叡山かもしれず、あるいはその全てのメタファーかもしれない。
 
それらを確定させることに何らかの意味があるのかもしれないが、もしかすると賢治自身は、議論が大きくなればなるほど、自らの隠喩に見事さに、どこかでほくそ笑んでいるのかもしれない。

【写真は、日光東照宮裏手の役行者(修験道の開祖)像と鬼達】

(続く)

2024(令和6)年2月26日(月)

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