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#98 賢治が生きた時代【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その36】

(続き)

○ 賢治が生きた時代

宮沢賢治が生きた明治後半から第二次世界大戦前までの期間は、植民地の獲得などや、貿易の拡大を通じたグローバル化とともに科学技術や産業が急速に発展しました。賢治が生きていた1913年当時のグローバル化の進展の状況は、1980年代と同様の水準だったとも言われています。

また、先進国の一部の人々へ富が蓄積し、知力や経済力を手にした人々は、海を越えて交流し世界中の最先端の知識を吸収しながら、文化や思想などを変化させていったと思われます。それ以前の長い期間、伝統的な宗教などの規範の中で生きてきた人々は、神や国家のあり方などに疑問を抱き、急速に、新しい思想や社会体制が生み出された時代と言えるのではないでしょうか。

日本国内でも、明治維新後、日清戦争や日露戦争の勝利などを経て、世界のグローバル化の流れに乗って海外との交流を拡大しました。また、明治維新の廃仏毀釈によって伝統的な宗教の在り方が揺らぐ中、田中智学などによって日蓮主義が拡大しました。そして、第一次世界大戦のヨーロッパの混乱や、日本の帝国主義の高揚などを通じ、日蓮主義者の一部は、国内に留まらず、海外にまで越境する思想の伝道を夢見ていたように思われます。

一方で、東京帝国大学教授で「千里眼」と呼ばれるテレパシーや透視能力についての実験を行った福来友吉は、超能力的な力まで、科学的なアプローチで実証しようとしました。福来を指導した元良勇次郎教授は、心や精神などの働きを、質量を持った物理的なエネルギーと同様に捉えようと試み、賢治も元良教授の影響を受けたとも言われています。「銀河鉄道の夜」の初期段階にも、テレパシー実験のような場面が登場します。

余談ですが、民藝運動の主導者として有名な柳宗悦は、福来の仕事に惹かれて東京帝国大学に入学しました。賢治と柳に直接の関係はありませんが、賢治が名付け親でもあり、「注文の多い料理店」を出版した「光原社」と柳は関わりを持っていることから、その関係性についても興味深いものがあります。

従来の科学を超え、精神や霊魂のような非合理なものまで解き明かそうとする姿勢は、日蓮主義がその思想を海外まで越境しようとしたのと同様、一見非合理なものにまで科学を越境させようとする姿勢にも見えます。

(続く)

2023(令和5)年11月8日(水)

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