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長い坂道

「焼ける、暑い」

帽子を忘れじりじりと髪が太陽の熱で焼けていく。
色素の薄い髪はそれだけでダメージが大きい。

「あー帽子被れば良かったー」

自転車を立ち漕ぎしながら上り坂をえっちらおっちらと進む。漕ぐ度に体の中の熱が少しづつ上昇していく感覚に包まれる。背中を一筋の汗が伝うのがわかる。
その感触にぶわっと鳥肌が立つ。

「うへー気持ち悪い、早くシャワー浴びたい」

ボソボソ文句を言いながら長い坂をまたもえっちらおっちらと登っていく。だんだんと体と自転車がずっしりと重くなっていく。重力に負けるな。
またも背中を伝う汗。そしてまた、鳥肌が立つ。なれない気持ち悪さに余計にシャワーが恋しくなる。早くこの暑さと汗の気持ち悪さをシャワーで洗い流し、清潔な自分へ脱皮したい。

漕ぐ度漕ぐ度そんなことを思うもんだから太陽の熱がより一層増したような感覚を覚える。

「はぁはぁ」

口で呼吸をし、肩で呼吸をし、呼吸に合わせ動く足は重たさに加えゆっくりとじっくりとペダルを漕ぐようになっていく。

隣では軽自動車が何台もさわやかに、汗ひとつかかず自分を追い越していく。

自分も車があれば、この瞬間も太陽に焼かれず汗もかかずに瞬間的に乗り切ることが出来るのだろう。

はぁはぁ言いながら長い坂を自転車で登る。


ここの土地は昔川があり、川につながっていた谷間を川と一緒にそのまま埋め立てたため長い坂がその名残として今も残っている。

この辺の地形はどこもかしこもそのような場所ばかりで、斜面に立つ家や坂のてっぺんに構える家、かつての谷底に面している家は大雨が降ると冠水するなど、人が住むには少々奇抜な土地だ。

そんなところに長く住んでいるとはいえ、坂道はやはり堪える。緩く短い坂なら良いが、こうも急で長い坂は乗り越えるだけで心拍数が上がる。

人が住むには適していないなと改めて感じる。

えっちらおっちら漕がれている自転車も一所懸命にその細いタイヤをくるくる回して前へ進んでいる。
健気だ。
愛着が湧いてくる。

だが積まれた荷物に愛着がわかない。

自転車の前後に取り付けられた大きな籠。
そこに積まれているのはチラシの山。

これが紙だけなのに、まぁ重たい。
そしていくら配っても配っても無くなる気配が見えない。
ポストに投函する度、減ってきたなと手応えを感じるが、実際は知らないうちに自然発生でもしているのかと疑うほどチラシがなくならないのだ。
今日中に配り終える。というノルマが無いのがありがたい。
明日も同じ量を同じだけの時間自転車を漕ぐのであれば、なるべくは今日中に1件でも多くチラシ配りを終えたい。

この暑い中、自転車を漕ぐ自分と漕がれている自転車だけでなく、無造作に積まれたチラシたちもどこか太陽の熱でぐったりと元気のないように見える。

元気なのは姿を見せ無いにしもそこら中で求愛の大合唱をしている蝉たちだ。
彼らはこの暑い季節にわざわざ生涯の伴侶を探しに地中から地上へ現れ、その短い生涯を木の上で過ごすのだ。
もっと長生きできそうで過ごしやすい季節があっただろうと言ってやりたいが、彼らはそんなことに構っていられるほどの余裕はないのだ。

そして人間たちはそんな蝉の鳴き声にまた季節を感じ、暑いこの季節を乗り越え次の季節へと向かっていくのだ。


太陽に焼かれ蝉の大合唱に背中を押されながら、はぁはぁと吐く息。吐き出される息もまた生温かく、季節を感じた。

「も、もうちょっと」

自分で自分を鼓舞しながら登る坂道。
見えるは頂上。
近づくは頂上。

ゴールはすぐそことマラソン大会で最後に力を振り絞る選手のように、これでもかと重くなった足を持ち上げては下ろし、持ち上げては下ろし、ペダルを漕いでいく。

「もうちょっとっ」

「へぁー」

情けないため息と共に頂上へ辿り着く。

そしてそのまま風で体を冷却しその加速を楽しむように坂道を猛スピードで下っていく。
この時ばかりは車より早く、車より気持ちよく下っているような感覚に陥る。

顔を隠していた髪の毛が風になびかれ後ろへ流れていく。心地よい。

「ふぅぅ」

疲労感を含ませたため息も風に流され空へ吸収されていった。

この季節特有の生ぬるい風も疲労と汗を癒す自然の扇風機だと思えば悪くない。

坂を下り左に曲がった先が次の配達エリアだ。

次の信号で水分補給をし、それまで残っていた疲労と暑さが食道を通りそして胃に入り胃酸に溶かされていく。体温がしばし下がり、チラシ配りへの力もみなぎってきた。

向こうの方では空が影ってきたように見える。
暑さの次は雨だ。降る前にチラシを配り終え、雨への対策をしたい。

まだまだ今日も忙しくなりそうだ。

終わり

#創作大賞2023 #オールカテゴリー部門

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