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不登校を乗りこえて11最終回 喜ぶことの大切さ


これは、息子と娘が不登校になった頃の記録です。

全11話の今回が最終回です♡

ご興味を持っていただけましたら、不登校を乗り越えて1~今悩んでる人へ~からお読みください!(^^)!

不登校をのりこえるとは

「不登校を乗りこえる」とは、「学校へ行けるようになること」ではなくて起きたことを一旦受け入れてたち止まる勇気を持つことだと思う。

そして悩み、行動して、喧嘩して、支えてあげる。

道のりは長いし暗いし、前が見えないけれど、祈ってその子の将来を信じて待ち続けるって、、、

って、全然簡単じゃない!!汗
結局いいことは言えない…。泣

子供が不登校になったら、だれだって動揺してしまう。瞬時に解決する方法なんてないと思う。

「こんなはずじゃなかった。どこで間違った?まさか自分の子供が学校へ行けなくなるなんて…」

実際に事実を受け入れる事はなかなかできない。

不登校の親の精神的負担も実際かなり大きい。できたらこんな経験はしたくなったと思う。

それでも、親同士のつながりは本当に有難かった。

噂を聞きつけて連絡をくれた人もいたし、私も積極的に声をかけた。

経験した人にしかわからない不安や辛さ。手を取り合ってくれる人がいる事はとても心の支えになった。

「よく、学校は無理していかなくてもいいっていうけど、それは私達だってよくわかっているよね。でも、本当に自分の子供が学校にいけないっていう現実は、家族全体にも影響を及ぼすし、子供が毎日毎日1日中家にいる現実がそこにはあるわけだから、健康や将来の不安は数えきれないしね。やっぱり不登校は涙なしでは語れないよね〜」といつも話す。お互いの目にはうっすら涙が浮かぶ。

話せる人がいる事は本当に心強いものだ。

私は、不登校ではないママ友達にも普通に話していた。

すると息子が学校へ行く様子を見かけた友達が連絡をくれたり、元気になる様子を喜んでくれたりした。

今になって思う。子供が元気よく「いってきまーす!」と笑顔で出かけていくことはあたりまえなんかじゃないんだと。

世知辛い世界でも、楽しみを見つけてつよく生きてほしい

そして今二人の子供がそうして玄関を出ていくことに涙が出る。

そうなるまでには長い時間がかかった。

子供が傷つき、行きたくないと思う場所なら親は行かせたくはない。

だけど、やっぱり学校へ行ってくれたことにほっとしている自分もいる。

これからも辛く苦しいことは、人生で山ほどあると思う。

だけど、この経験をバネに強くたくましく、そして楽しみをみつけて道を歩いてほしい。

転んだらまたゆっくり立ち上がればいいんだ。

そして、一人きりで生きないでほしい。

見ててくれる人も支えてくれる人も必ずいる。

この辛い経験はつよさとやさしさとなって現れ、またそのやさしさを人へ繋いでいけるはず。

実際人生はずっとキラキラなんてしていない。

たとえかっこいいゴールを決めても、あっという間におしまいなのだ。←SMAP 「がんばりましょう」笑

未来ある子供には少々世知辛いかな。

でも世知辛さにはぶつる時は誰にだってくる。

次のステージへ進むサイン

2年間も毎日息子のお昼ご飯を作り続けて疲れてしまったのか頭が回らなくなりこのごろは限界を感じていた。

何をするにしても昼食が頭から離れない。でかけるにも不便。

そこで息子が別室登校が毎日できるようになったタイミングで給食に合わせて登校してはどうかと提案した。

毎日給食を食べて帰ってくるまで回復したころ、時間の余裕が気持ちにつながったのか私の体調もぐんとよくなり始めた。

運転も近所なら再開でき、友達と出かけられるぐらいになった。

疲れやすいけど、日常生活がまぁまぁ普通に送れるようになった。

辛かった日々が少しだけ遠くに感じたら、きっと次のステージへ進むサイン

本当は働きに出たいが実際まだ怖い…。疲れやすく、いくつも予定が重なるとすぐ寝込む。

一度大きく壊した心と体はなかなか元には戻らない。泣

そこで体を少しずつ慣らすため、地域のボランティア活動へ登録をすることにした。

私にとっては大きな一歩だ。今少しづつ外へ出始めたところ。

中学生の裁縫の授業の補助や、小学生の芋掘りのお手伝いなど、再び子供達と接している。

気づくと子供達と笑ってる自分がいて「やっぱり子供好きなんだなぁ…」と思った。

私も変化しつつある。次ステージに進んだのだろう。

人生にずっと同じ事なんて続かないし、起こらない。いいことも悪いこともずっと日々形を変えていく。

とはいえ、あれは何だったんだろうと思うまでにはきっと長い時間がかかるだろう…。

それに一度大きな傷を負ったんだから前のようにスイスイとはいかない。

また、子供達も「不登校」という大きな傷を負ったからやっぱりスローペースで見ていかないとすぐに戻ってしまう。

人と会う時が続くとよく昼寝してる。会いたい人に会っても、楽しいことをしても刺激になるようだ。たまに3人ともがそれぞれ疲れて昼間寝てるなんてこともある。笑

でも私はそう言う時、休めてよかったと思うようにしているし、子供にも寝られてよかったねと言うようにしている。

「長くかかるけど、大丈夫。道はあるよ。」

不登校を乗りこえた親御さんが言ってくれた一言。

暗闇にいた時はとてもそうは思えなかった。

だけど、今はなんだか前へ進めてる気がしている。

どんなことも空の雲のように時とともにカタチを変えて流れていくのを実感している。

♡♡♡

子供達へ

「この道を私も一緒に歩ませてくれてありがとう。

辛いと声を上げてくれて、本当によかった。

大変だったね。辛かったね。

でも一緒に過ごせた時間は宝物だよ。

家族をあるべき姿へ導いてくれて、ありがとう。

辛った事も楽しかった事もすべていい思い出。

これからも、ボチボチと明るく歩いて行こうね。

これから先どんな事があってもずっとずっと、応援しているからね!!」


そして、支えてくれた友達、家族に本当に感謝♡

絶対に1人では乗り越えることは出来なかった。

大切な人に会って話すこと、家族が笑っている事の安心は、他の何かと比べる事ができないほど私たちにとって大切なことだ。
コロナ渦はそんなことを教えてくれたように思う。

人は一人では生きていけないとはそういう事なんだ。

これからも、自分の大切な人を身失わないでしっかり歩いていきたいと思う。

♡♡最後に皆さまへ♡♡

そして皆さま、長い文章をお読みくださりありがとうございました。(*^^*)

今不登校や子育てで悩みの中にある方、いつもお疲れ様です。
残念ながらその辛さを、一言で取っ払うことは私にはできません…。

どれほどの辛い道を歩いているか手に取るようにわかります。でも、一言で辛さを取っ払えるそんな魔法のような方法はないはずです。

私もまだ手探りで探しています。
実際またいつそうなるかもわかりません。

不登校は長期戦です。まさに一歩進んで二歩下がるなのです。

でも、この文章を読んで少しでも皆様が元気や勇気を持っていただけて、心の持ち方や考え方に影響を与えるきっかけとなれたなら。

もうそれだけで私はこの経験をした意味があると言えます!

そして、一つ一つゆっくりでも歩いていけば、

その長い長いトンネルの向こうに小さな光が見える日は来ます。

そこがどんな景色かは、人それぞれですね。

私も失ったものを数えればきりがありません。

悲しみに暮れればその通りです。

それでも、今できることをゆっくりひも解いて気づき、少しでもポジティブにとらえられるように進んでいってほしいのです。

本当に一歩一歩なのです。

そして、少しだけ事が落ち着いたと思ったらお子さんや家族の事だけではなく是非自分の人生を大切にしていってください。

何から始めたっていいです。

何もできないと思うなら道端に咲いている花を眺める、歩く、好きな公園のベンチに座るからでもはじめて見てください。

私はめまいがひどかったときは家からすぐの自販機にも行けませんでした。
せっかく転ぶのなら何か学びを見つけたり、ほんの少しだけいいのでポジティブな方へ進みましょう。

あなたが自身が幸せである事、それはとても大切なことです。

あなたが喜ぶことは、笑顔としあわせを生み出します。あなたが出発点となり喜びで満たされて家族を照らすと、家族は安心します。

人は安心すると今度は外に目を向けることができて何かに挑戦したくなります。子供達や家族が何か新しいことに挑戦する。

それはあなたからいい影響を受けているサインです。

でもはじめからうまくはいきません。

失敗や挫折も多々あるでしょう。なのでまずは小さなことから始めてみてください。

すると今度は挑戦できた事に喜びが生まれます。

喜びが生まれると今度はもっと挑戦したくなりますし、それをみた周りも影響されていきます。

感情が喜べばまた周りを照らし、それを見た人はほっと安心することができ、また挑戦したくなります。

ポジティブもネガティブもいい意味で連鎖しますよね。

人は崖っぷちにいたり余裕がないときにわくわくしたり新しいものに挑戦する気持ちにはなれません。

踏み出すはじめの一歩があまりにも大きすぎると初めからあきらめてしまいます。

まずベースが整っていないと安心して踏み出すことはできません。

不登校になってしまったうえに、家族の状態もよくなかったら安心して外の世界に一歩踏み出すことは難しいでしょう。

あなたが喜んで幸せでいられる状態というのはお子さんはとても安心します。

状況がどうであれ、家族の心が安定して穏やかでいる事は必要不可欠なのです。

家族が不幸で自分だけ幸せということもあるかもしれませんが、家族も幸せでいる方がより自分も幸せではありませんか?安心してしあわせになれませんか?個々が個々で幸せである事はとても力になります。それだけで安心して最初の一歩は踏み出しやすくなります。

私は息子が不登校になって、息子がやる事がなくて毎日過ごしていたとき、隣の部屋でアコースティックギターを弾いて歌っていました。←笑。(自分も心と体をこわして休職していたのでどうしていいかわからず、昔少しかじってやりたかったギターを出してきて弾いてみたのです)

すると息子がギターを貸して欲しいと言ってきたので貸しました。

何日も何日も練習して彼はお気に入りの曲を1曲弾けるようになりました。

ある時はカリンバという楽器を見つけて、面白そうと挑戦していました。

すると息子も触りにきました。だから息子用にひとつ買ってあげました。

実はメダカも息子が小さい時私が育て可愛がっていました。思い出したのでしょう。不登校中に歩いてペットショップまで行きメダカを2匹袋にぶら下げて帰ってきたのです。

子供はちゃんとみているのですね。

どれも途中で終わりましたし、(わたしも。笑)続かなくてオッケーです。挑戦したという事実が喜びになります。

はじめはあなたが出発点だったとしても家族の幸せはあなたの幸せ。
その幸せはきっとあなたへかえってきます。

私は今以前よりもとても幸せを身近に感じています。リビングで子供がテレビを見ながらおやつを食べているとき、一緒に映画を見るとき、ベットで娘がゴロゴロしているとき、息子が笑った時、あとどれぐらい一緒にいられるだろう。そんなことを思うとこの一瞬一瞬がとても輝いて見えるときがあります。

あなたから小さな喜びの発信をしていくことで、あなたがダメになりそうな時、喜べない時、今度は家族から喜びを発信してくれるかもしれません。

子育てはかならず終わりがきます。

ある人は大金を払ってでも戻りたいとおもうそうです。そして子育てに奮闘しているこの大変な時期を人生の黄金時代と表現する方もいらっしゃいます。

とはいえ簡単ではない子育て。残りの子育て、お互い楽しみながら、喜びながら頑張りましょう。

最後までお読みいただきありがうございます。

応援していますよ!

♡終わり♡








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