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旅の終わり?【ハイダグワイ移住週報#19】

この記事はカナダ太平洋岸の孤島、ハイダグワイに移住した上村幸平の記録です。

12/13(水)

外をのぞくと朝日が気持ちよさそう。トレランシューズを履き、犬をつれてビーチに繰り出す。せっかくの陽気なので、今日はたっぷり時間をかけて家のことをしよう。心地よく走った後にシャワーを浴び、ブランチにスパゲティ・カルボナーラをささっと作る。

薪と焚き付け用の木を割って、嵐で散らかった庭を片付ける。敷地が広いということは掃除する場所も広いということ。一人で住むのはなかなか大変だ。

「森を出た。夕方には家に帰るよ」薪を積んでいると、同居人のタロンからメッセージが。彼はすでに二週間近く西海岸でキャンプをしていた。嵐も雪もつづいた二週間で、いくらサバイバル技術にたけた彼だと言ってもさすがに心配していた。よかった。

掃除をしていると、髭を顔中に生やしたタロンとそこはかとなく痩せたウォーリーが帰ってくる。おかえり。精神的にストレスフリーな環境で過ごせてだいぶ気分は回復したみたい。

「17時半からホールでディナーよ。忙しくなかったらおいで」
村のダイアンおばちゃんからメッセージが来る。村のおばちゃんズから誘われて断ることなどできない。急いで着替えて車を走らせる。

村のホールにはすでにたくさんの現地人が集まっていた。最初のころはハイダ族のひとびとしかいない空間に入るとちょっとばかり慄いてしまっていたけれど、今回は誘われた&友達も増えてきたのですっと会場に入ることができた。八月末にポットラッチ会場の入り口で慄いて帰宅してしまったのが遠い昔のようだ。うれしい。

僕が会場に着いた数分後にダイアンとスコットもくる。喋りかけると二人の間に座らせられる。今日はダイアンの誕生日。村のみんながかわるがわるおめでとうを言いに来る。愛されているおばちゃんである。

同じ席にはサラおばあちゃんとリチャードも。リチャードはケベック出身のフランス系カナダ人。軍隊で働いていた時にマセットの基地に配属され、ハイダの女性と結婚して居着くことになったという。「ハイダの女性には気をつけろよ」と冗談っぽく言ってくる。

ダイアンがジップロックからレッドシダーの皮を取り出す。「これでトナカイを編むのよ。あんたもよ?」僕も突如作らされる。シダー・ウィービングはレッドシダーという木の皮を使って帽子や籠を編む技術。食事が出てくるまで必死に編み続ける。

メニューはチキンとターキーのロースト、なんらかのハム、マッシュポテトとなんらかのポテト料理、クランベリーソースとグレイビーソース。ハイダの村ではしょっちゅう食事会があり、いつも無料で振る舞われる。

いつも思うのがメニューがいつも肉・魚・じゃがいもに偏っていて、サラダなどがあまりでてこないこと。やっぱり新鮮な野菜があまり採れない・高いからなのか、そもそも現地人の食生活がそうなのか。振る舞われる量はいつもハンパない。食べるやつポジションになってしまっているので3つもプレートが回ってくる。僕だけフードファイトの様相である。

ルイズおばあちゃんもいるし、JJもいるし、先週面接したダニエルも、先月のワークショップであったアーノルドもいる。いろいろなところに顔を出してきたおかげで、ほとんどの人が友達・知り合い・または彼らの家族ということになってきた。小さなコミュニティである。

12/14(木)

昨夜、タロンが西海岸で釣ってきたタラを味噌ダレにつけておいた。味噌ダラをオーブンで炙り焼きにし、ごはんを炊いてさっと味噌汁をつくり朝食にする。朝から白米をかき込めることほどの幸せってこの世に存在しているのであろうか。一杯目は魚、二杯目はたまご、三杯目はバター醤油。満腹。次にバンクーバーに行った時は岩手産の日本米を買い込んでおきたい。

髪を切りに村に行く。いつも切ってくれる美容師のデゼリーはご機嫌。明後日から四週間ほどヴィクトリアの弟家族のもとにいくのだという。「ハイダグワイは最高だけど、時々街に行けるのって素敵よね」

デゼリーはマセット出身。高校卒業後にケベックに移って美容師学校に通って働いていたらしいが、数年前にハイダグワイに帰ってきた。今では家のガレージを改修したサロンで村の人向けにヘアカットをしている。

「あなたの髪、本当にハイダと一緒よね。黒くて、髪質が硬くて、量も多い。助かるわ」やはり祖先は同じモンゴロイドということもあり、僕の典型的日本人髪質とハイダ族の髪質は極めて似ている。

ここでの新年ていつもどんな感じなの?と聞く。多くの人が子供を連れてプリンス・ルパート(カナダ本土)の先住民バスケ大会に行くのだという。「アラスカ、BC沿岸の先住民がみんな集まるの。そしてみんな風邪ひいて帰ってくるのよ」

3回目にして何の指示もせずとも好み通りに切ってくれる。いいホリデー・シーズンを!といって別れる。

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連載記事をようやく書き上げる。時間がかかった。その月に書いたものの中から一つテーマを抽出して書くという体裁を取っている。この形で外部向けに連載を描き始めて思うのは、「書き直すこと」の重要性だ。

自己表現をするにあたっての僕のアドバイスは、レイモンド・カーヴァーが大学の創作講座で生徒たちにしたアドバイスとまったく同じものです。「書き直せ」、これがすべてです。いろんなものを書き散らすのではなく、ひとつのことを何度でも何度でも、いやになるくらい書き直す。これが大事です。

「村上さんのところ」村上春樹

ものを書くにあたって、一番難しいのは「自分がすでに書いたものを『ちゃんと』読むこと」だと思う。それをアップデートするのはさらにハードルが高い。

それでも、手を動かしていればはっと閃く瞬間がある。同じテーマ、同じ出来事について何度も推敲し、添削し、編集し、さらに洗練された文章にしていく。書き直しの時間、もっと大切にしたい。

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図書館でしか読めないアーカイブの本たちを読み込む。「ハイダ・モニュメンタル・アート」すごい本。

ハイダ族の名前に関するメモ。ハイダの人々のふたつ名前をつけられる。一つ目は母方の家系の名前。各家系ごとに「名前ストック」みたいなものがあり、そこから選ばれてつけられる。二つ目は祖父母世代のすでに亡くなったひとびとの名前。輪廻転生のような世界観を持つハイダ族では、亡くなった人間は子供として世界にまた現れると考えられている。祖父母世代の名前を受け継ぐことで、子供は生まれ変わりになる。

そんな名付け形式のためか、ハイダの歴史上同名の人物が多過ぎて、歴史家や考古学者は頭を悩ませているのだという。不思議。

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7時前にミドリとダンの家に向かう。久しぶりだ。夕食には羊カレー。このふたりはいつも料理がうまい。サッポロビールを出してくれた。嬉しい。

今日の日本語レッスンは自己紹介。「から」「を」「と」などの接続表現のニュアンスを伝えるのに苦労した。

ふたりの関西滞在の計画を一緒に練る。十日間で温泉・スキー・京都観光をしたいらしい。二ヶ月前に新しい仕事を始めたというのに、二ヶ月弱のバケーションをとる。そんなことできるの?と聞くと、新しい仕事を始める際にすでに了承を得ていたという。賢い。欧米人のバケーションへの情熱は見習うべきだ。

12/16(土)

レストランの終業後、お気に入りの桟橋に行く。ダージン・ギーツ村とスキディゲート村の中間にある船着場だ。スキディゲート・インレットを一望できるスポット。スリーピング・ビューティはもちろん、その周りの山々も雪化粧を纏っている。

シェフがお昼ご飯に持たせてくれた「オ・ジュー」を食べる。ローストビーフ・サンドウィッチを牛肉スープにディップして食べる。

暗くなる前に帰ろう。スキディゲートのスーパーに寄ったけれど、砂糖は売り切れ。カナダの巨大精糖会社がストライキで全国的に砂糖の供給不足のようだ。クッキー作りはしばらくお預け。

帰宅したあとは久しぶりに洋二郎さんとビデオ電話を繋ぐ。マウントカーリーはまだ雪が浅いらしい。近況報告とビザ・仕事関係について相談させてもらう。いつも大量のアイデアをくれる。

やはりハイダグワイという場所を掘り下げるのは、ライフワークレベルのものになりそうな感覚がある。カナダでの労働ビザ・移民を獲得できるチャンスがあるなら、もう少し時間をかけてみてもいいかもしれない、と思う。

もちろん、今時点でカナダにずっと住みたいという思いがあるわけではない。ただ、自分の納得のいくまでハイダグワイのことに取り組みたいし、納得がいくまではかなりの時間がかかりそうだ、ということだ。

写真や文章、そして場所というものにどう向き合いたいか。僕にはいろいろなロールモデルがいるけれど、もちろん彼らの中でも場所・移動・作品作りのプロセスは大きく異なっている。日本に軸足をおいて国内外を飛び回るか、それともどこか別の場所に拠点を置き、その場所のローカルの一員として深くまで踏み入るのか。僕はどちらをしたいのだろう。スウェーデン、遠野、ハイダグワイ。ライフワークにしたい場所が多すぎて困る。

それはそうと、本作りに関してはちゃんと動き出さなくては、と尻に火をつけられた心持ちになる。タイヤなんかに悩まされている場合じゃない。ちゃんと企画書・構成を練って、編集のひとたちにみてもらう。やるしかない。フェールラーベンとの繋がりもうまく使えればいいな。

12/17(日)

子供の声がして起きる。隣のレイチェルがエレーナを連れてきている。エレーナは毎日喋れる単語が増えている。「わわ、わわ(ウォーター)」といってくるのでお水を出してあげる。

昨晩のホタテの残りがあるので、鮨飯を炊いて朝から手巻き寿司にする。ハイダグワイのホタテ、とてもバタリー。濃厚な口当たりが最高である。

レイチェルは午後からのパレスチナ連帯イベントに行くという。僕も一緒に車に乗せてもらうことにする。

15時過ぎにレイチェルから電話が来て、一緒に村まで向かう。彼女はバンクーバー島のヴィクトリア出身。ハイダグワイ出身のルークと結婚し、五年前からマセットに住んでいる。「ホリデーシーズンはいつも島で過ごすのよ。静かで人もいないし、都会のクリスマスよりよっぽどいいわ」

村の集会場にはすでにたくさんの人が入っている。今日はパレスチナ連帯コンサート。ローカルのミュージシャンやダンサー、小学校のハイダダンスクラブが演技し、その入場料などはパレスチナの子供たちの支援に使われる。

ガザの状況は日に日に悪化している。このような人道危機がいまだにこの世界で起こっていることが信じられない。イギリス帝国主義とカナダ政府によるジェノサイド、エスニック・クレンジングの被害者であり、今もなおその社会的な後遺症に苦しむハイダにとって、パレスチナの状況は言葉にならない悲しみがある。

大学では国際人道法を勉強していた。戦時国際法とも呼ばれ、いかに戦争状態において人道に反した行いを取り締まるか、というものだ。大学一年生の時に素敵な先生に出会い、国際人道法のゼミに通うようになった。

転機になったのは2020年のナゴルノ=カラバフ戦争。2019年にアゼルバイジャンで二ヶ月ほどインターンをしていた時に知り合ったたくさんの友達がSNSで大量のプロパガンダを投稿し続け、双方が残虐極まりない戦争犯罪をこれ見よがしにメディアに垂れ流していた。実際に、身近に感じられる場所での紛争において、これほどまでに国際人道法は、僕が勉強しているものは無意味なのか、と思わされた。

「悲劇は無くならないが、ほんの少しずつでも世界はよくなっている。それを糧に進むしかないんですよ」そのことを先生に問いかけた時、古谷先生はそういった。

僕は常々、すべての人間はそれぞれの世界の守り方を持っており、その使命を一歩づつでも達成していくことしかできないのだ、と考えている。僕はいま、ウクライナやパレスチナの現地にいるわけでもなく、紛争処理にかかわる役職にいるわけでもない。現状を学習し、資金援助に貢献し、悲しみを分かち合う。できることをやっていくしかない。

世界の片隅から、会場のみんなで祈りを捧げる。パレスチナの子供達に一日でも早い平和が訪れることを祈ってやまない。

12/19(火)

起きると同居人がすでにサウナに火を入れていた。朝イチのサウナは外気欲が特に気持ち良い。ブランチにはパンを焼いた残りの生地でピザをつくる。三日寝かせた生地はもちもち。

2時にキーランと村の高校で待ち合わせをする。今日は高校の製作室のマシンを借りてパドルを彫り進める。先週は角材からパドルの型をくり抜いた。今回はより精密なバンドソウを使い、パドルのブレード部分にかけて傾斜をかけて削っていく。

高校の製作室は開放的で明るい作り。高そうなマシンもある。ここで村の高校生たちはツールの使い方を学ぶのだろう。キーランの弟子のような男の子はハイダカヌーのミニチュア版を彫っていた。

中央線をパドルの四面すべてに入れる。シングルブレードのカヌーパドルではなく、デュアルブレードのカヤックパドルを作るにあたっては、XYZ軸すべてにおいてシンメトリーに彫り上げなければならない。慎重な作業だ。

糸ノコギリのマシンバージョンのようなバンドソウを起動し、慎重にブレード部分を削っていく。手元が狂わないように細心の注意を注ぐ。イエローシダーの削りかすが空中に舞う。芳しい香りが広がる。

とりあえず大まかにマシンを使って削り出した。あとは手作業になる。また一緒に作業する約束をし、今日はキーランと別れる。

***

「ウェルネスハウスでクリスマスディナー。17時過ぎにおいで」デラヴィーナおばちゃんからメッセージ。ウェルネスハウスにはすでに十人ほどが集まっていた。オーガナイザーのダンとモリーンは二週間ぶり。あとは馴染みのエルダーが数人、初めましてが数人。

「コーヘイです。他の人からはコーホーって呼ばれたりもします」と自己紹介で言うと大体ウケる。コーホーとはハイダグワイにおける食文化と切っても切り離せないコーホー・サーモン(銀鮭)のこと。九月にひとりのエルダーに名前を聞き間違えられてから、コーホー呼びが定着しつつある。覚えやすいし呼びやすいし、僕も銀鮭好きだしいいと思います。

チェックインではイーグルの羽を回しながら今週何があったかを共有し合う。ダン曰く、このグループで毎週集まってもう5年ほどだという。毎週定期的に時間をとって集まって、食事を取りつつ近況を話し合う。日々のクオリティをあげるには必要な時間なのかもしれない。

そうこうしていると、窓から見える入り江にデコレーションされたボートがパレードしているのが見える。マセットのクリスマス風物詩だという。時折花火が打ち上げられるが、どれも不発だったりぱっとしない花火だ。「どれも賞味期限切れの花火だろうな」とリリーおばあちゃんがいう。

夜の8時まではおばちゃんたちとカードゲームをする。「フェイズ10」というちょっとUNOっぽいゲーム。思ったより盛り上がる。「明日はみんなでデイ・トリップに行くんだ。コーホーも来るよね?」ダンに誘われて即答する。おやすみ。

12/20(水)

朝8時過ぎに起きる。9時前まで真っ暗なのであまり起きた気がしない。なにはともあれ、今日はいつものウェルネス・グループでデイトリップ。みんなでバスに乗ってスキディゲートに行く。公共交通機関なんて存在しない島なので、バスに乗るのは新鮮だ。

オーガナイザーのひとりであるジェンの話によると、ウェルネス・グループはハイダグワイ病院が取り仕切っていて、今回の交通費や食事代も病院が出すのだという。公的機関がそれなりに予算を持っているのは先住民居住区あるあるだ。

バスには街のおっちゃんおばちゃんが十人ほど集まる。クリスマスが近づいている。ホリデーシーズンはハイダグワイでもビッグイベントで、みんなそわそわしながらお互いの予定を聞き合っている。

「クリスマスは毎年バンクーバーの孫たちと過ごすの。待ち遠しにしていたのよ」デラヴィーナは金曜日にバンクーバーに飛ぶらしい。いいな。

村のコーヒーショップでラテをテイクアウトし、バスで一路スキディゲートを目指す。いつも通勤している道だけど、誰かに運転してもらうのは本当に楽。予定では博物館を見て、僕の職場であるビストロで昼食をとって、少し買い物をして帰る。

いつもの仕事場である博物館につく。いつも通り暇そう。ビストロはシェフの体調不良で臨時休業。残念。マセットのみんなに食べて欲しかったな。

それはともかく博物館の中に入る。いつも一人で見学しているから、仲のいいハイダのおばちゃんたちと展示を見られるのは嬉しい。基本的にどの展示も彼らの誰かしらの家族が関わっているものだという。「俺の父親はアージェライトの彫刻家だったんだ。2年前に亡くなっちゃったんだけどね」とベン。

それにしても、ハイダグワイ博物館は本当によくできた博物館である。毎回来るたびに新しい発見がある。今日見つけたのはウミガメにまつわる話。

ハイダ族にとっての富の象徴であるコパー・シールド(銅の盾)は台形を二つ貼り合わせたような特徴的な形をしている。その形の由来がウミガメによるものだという説だ。

アラスカ近海はアオウミガメの典型的な生息地ではないが、小笠原諸島などで生まれたウミガメは黒潮に流されてBC州沿岸で観測されることがまれにあるのだという。「富をもたらす海獣」としてハイダやトリンギット族の神話に登場する架空の幻獣は、そうして流れ着いたアオウミガメであるかもしれないという。ウミガメのひたいの紋様をよく見てみると…ハイダやトリンギットのコパー・シールドにそっくり。偶然でしょうか…?

みんなでわらわら展示を見て、お腹空いたねと言ってバスに戻る。お土産屋さんでは久しぶりにレオナおばあちゃんに会う。元気そうで嬉しい。J&Tという中華料理屋に行くことになる。ハイダグワイにきて外食したことすら数えるほどないのに、中華料理なんて本当に日本にいた時ぶりだ。

選べないので、六人ディナーセットみたいなものを注文する。前菜に頼んだフライドポテトをつまんでいると、出てくる出てくる。次々と料理が。

春巻きとチキンの天ぷらに始まり、甘めの回鍋肉、ハニーチキン、エビの天ぷら、チャーハン、シンガポール風焼きそば。どれもいわゆるアメリカン・チャイニーズスタイルで、日本の町中華スタイルやガチ中華とは全く違う料理。パンチは弱いが、どれも美味しい。

シェアした六人のなかではもちろん僕が最年少で、一番食べさせられる。ハイダグワイにきて最もはち切れんばかりに満腹になる。またもフードファイトだ。

帰り道の一時間半、心地よい揺れと満腹感に酔いしれつつ、皆と同じように寝落ちする。誰かが運転してくれるって幸せなことだ。マセット村について解散。みんないいクリスマスと新年を。

***

家に帰る途中、先々週ジョブインタビューを受けたダニエルから電話が。家に着いて折り返す。「選考の最後のステップとして、実際に働く場所を見てもらいたい。明日朝10時に来れる?」いい兆候のはず。明日会う場所の住所をもらう。

家に戻るとタロンも薪ストーブを焚いてくつろいでいた。僕も読書。「INTO THE WILD」をついに読み始める。英語でノンフィクションを読んだことは数えるほどしかないけど、とてもスリリングで読みやすい。

12/21(木)

今日は午前中から仕事場の見学に行く。村の一角にある小綺麗なお家がそれだ。ハイダグワイ・コミュニティ・ピース協会という団体がやっているグループホームのケアワーカー職。ハイダ族の支援の必要な数名が入居しており、彼らがコミュニティのなかで自立できるようにサポートする仕事だ。

マネージャーのダニエルが家の設備やスタッフルームを見せてくれる。2年前にリノベーションされたばかりで、とても状態がいい。ちゃんとしたシャワールームもベッドルームもある。

「まだ正式なものではないけれど、君にジョブオファーを出したいと思ってる。仕事、受けてくれるかい?」もちろん、イエス。レファレンスの協力をしてくれたシェフのアーモンド、村のデラヴィーナおばちゃん、そして遠野醸造の袴田さんに大感謝だ。紹介がものを言うカナダの田舎のジョブハンティングにおいて、多様な人からのポジティブな推薦は相当な決め手になったはずだ。ダニエルは労働ビザや永住権の支援も全面的にサポートしてくれるという。

もしオファーを受けた場合、来年四月はスウェーデンに行く用事があって休みが必要だということも事前に了承してもらう。ミドリたちの「プレ・アプルーブド休暇」作戦を踏襲する。こういうことは早めにシェアしておいた方がいい。

とにかく人手がすぐにでも必要なようで、今日中に最高責任者に話を通して正式なオファーを出した上、その場でオリエンテーションを始めたい、ということ。握手をして一度別れる。

家に帰って電話を待っている間、なかなかにそわそわする。ある意味でひとつのターニング・ポイントになりえるものだ。もちろんこの仕事を受けたからといって自分のカナダでの、ハイダグワイでの滞在が自動で伸びるわけではない。きっとビザ関係は時間も労力もかかるものになるだろう。成功するかの保証もない。伸ばしたいかどうかもまだわからない。

ふと星野道夫のエッセイに、アラスカで家を建てることを決心する際の心情を綴ったものがあったのを思い出し、日本から持ってきた数少ない作品集を開く。

この土地で暮らしてゆこう——。そう思うと、周りの風景が少し変わって見えてきた。春に南から飛んでくる渡り鳥、足元の花々や周りの木々、いや吹く風さえも自分と親しいつながりを持ち始めている。その近さはまた、今という座標軸にとどまらず、遠い過去の時間へも伸びてゆく。

「旅の終わり」星野道夫

これまで、いつも1年、2年というスパンで考えなければならないものを無意識に避けてきた。なにかひとつのものにコミットすることは、他の選択肢を無くしてしまうのと同じ意味だと思っていた。

ただ、こうしてハイダグワイにいて更に滞在を延ばせる、ひいては自らのライフワークのようなものを手にいれるチャンスが転がり込んできた今。この島に旅行者として滞在するのではなく、住人として生活する——その営みはきっとある種のコミットメントを必要とする分、僕に違う視点と時間軸をもたらしてくれるかもしれない。そう考えると、緊張と不安は和らぎ、好奇心が新たな章に突入するような感覚がある。

これが僕の「旅」の終わりになるかはわからない。その可能性もあるし、全く違う風が僕をどこかに連れて行ってしまうかもしれない。フランシス・フクヤマが大作「歴史の終わりと最後の人間」を書き上げる前に世に放った論文を「歴史の終わり?」と命名したように、この日は僕にとっての「旅の終わり?」といっていいかもしれない。

ある夏の夕暮れ、売りに出た森の倒木に腰掛けていると、資金もないのに急に夢が膨らんできた。ほおをなでてゆく風が、移ろいゆく人の一生の不確かさを告げていた。思いわずらうな、心のままに進めと…。

「旅の終わり」星野道夫

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一時間半後に電話がかかってきて、オファーが決まる。午後からオフィスで書類のサインとオリエンテーションを始めることにする。やった。

協会のオフィスはいつもの図書館の向かい側。ダニエルが団体のスタッフを紹介してくれる。ハイダグワイの地において、マネージャーのダニエルはドイツ人、JJはクロアチア人、そしてバンクラデッシュ人のスタッフもいた。不思議なほどのコスモポリタンさ。

ビデオの研修が三日間、実地研修が四日間、そして年明け早々から実戦投入される予定になる。なかなかの強行スケジュールだけれど、これがカナダスタンダードなのだろうか。ただ、フードセーフ認証やファーストエイド、先住民コミュニティにおける脱植民地主義化などのレクチャーをお金をもらって受けられるのは嬉しい。契約書にサインし、協会の倫理規範などを読み合わせる。パーマネントの週3.5日の仕事だ。自分の時間も十分にある。いいチョイスのはず。

全ての作業が済んだらとっくに日が暮れていた。また来週のトレーニングで会おう、とダニエルと挨拶をして別れる。うまく事が運んでよかった。

家に帰ってのんびりしていると、僕がオファーをゲットしたことを聞きつけたJJが遊びにきた。「うちがハイダグワイに来た時はちょうどコロナの時で、ビザ失効ぎりぎりでこの仕事を見つけたんよ。それまで3年カナダのビザで頭を悩ませてた。あんたはうちの屍を超えてゆきなさいよ」英語は母語ではないはずなのに鬼の断末魔の如く喋り散らかす女である。タロンと笑いながら聞いていた。

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