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首を吊ったお父さんを見たはなし

年明け早々にお父さんが自殺した。

その時私は小学6年生だった。2歳年下の妹が1人いて、一緒に毎日寒い寒いと言って炬燵に入りテレビを見て過ごしていた。私たち姉妹は仲間由紀恵の出ているトリックにハマっていて、TSUTAYAで3本ずつ借りてもらっては1週間のレンタル期間中に何度も繰り返し見ていた。

ある日お父さんがTSUTAYAでこう言った。

「何本でも好きなだけ借りたる。選び」

私は大喜びして何にしようかと目を輝かせた。

「嬉しい。何にしようか、やっぱりトリックかな」

しかし妹は不思議そうに

「いつも3本しかダメやのになんでやろ」

そう言っていたが、私は少しも気に留めず並ぶDVDのタイトルを見渡してはウキウキしていた。

「こっからここまでトリック借りよか」

結局お父さんはトリックのシリーズを連番で借りようと提案した。私と妹はそれに従った。実際トリックが一番見たかった。

車の中では妹とお喋りしていたと思う。

その頃お父さんはずっと病気で休職していて実家に帰っており、あまり会う機会がなかったため、私は少しお父さんと話すことや、たまに家に帰ってきて同じ空間に居ることに緊張していた。

前までお父さんはいつも勉強を教えてくれたり、パソコンで最新のゲームができるようにしてくれたり、映画を見れるようにしてくれて優しくて凄く大好きだったけど。

なんだか別の人みたい。

不思議だった。なんとなくお父さんに会うと不安な気持ちになっていた。

そんな私の気持ちに父は気づいていたと思うし、傷ついていたと思う。

だからDVDを借りてくれて嬉しくて、やっぱりお父さんは優しい。私たちを喜ばせようと考えてくれたんだ、と安心した。

でも違った。
子供の注意を引きつけたかったんだろう。

家に着いてさっき借りたトリックを見ていると、お父さんがTSUTAYAの青い袋から残りのDVDを取り出して順番に並べていった。

「このまま上から見ていけば順番通りみれるから」

「お父さんは続き見んの」

「出かけてくるから。ごめんな」

その時私はDVDが見れる嬉しさでいっぱいだった。絶対次のも面白いもん。ここから動きたくないなって思って、行ってきますと言われても、玄関までお見送りもせずに炬燵にくるまったまま行ってらっしゃいと言った。

「いってきます。ばいばい」

お父さんはもう一度言った。

テレビを見たままもう一度行ってらっしゃいと言った。

「ばいばい」

もう一度言った。

行ってらっしゃい、とまたテレビを見ながら言った。

「ばいばい」

もう一度言った。まだ言うのって思って思わず振り向いたら台所の前でお父さんが小さく手を振っていた。

ばいばい、DVDが見たくて、とても雑に言ったと思う。

お父さんは笑顔だった。

「ばいばい」

しつこいな、そう思ってばいばーいって手を振った。大きめに振った。早くDVDの続きが見たいとしか思っていなかった。

変なの。お父さんこんなことするんだ。

少し違和感を感じたけど、すぐにテレビに意識が向いた。


トリックをすべて見終わった頃には外は真っ暗になっていた。

「お父さん遅くない。どうしたんやろ」

妹は言った。

「そろそろ帰ってくるやろ」

私はずっと呑気な返事をしていた。

私たちの家は一階で、外を見たらすぐに駐車場があり、うちの車が置いたままになっていた。

じゃあおばあちゃん家に行ったんじゃないんだ。

車じゃないのにこんな遅くなるなんて変なの。

違和感は増していく。

でも気付かないふりをしていた。

妹は目に見えて不安になっていた。

お母さんはまだ帰ってこない。

この頃お母さんは遅くまで出歩いていたが、何をしていたのか今も分からないままだ。仕事をしていたのか、浮気でもしていたのか。事実を問いただす勇気は未だにない。

とにかく当たり前のようにお母さんはまだ帰ってこないと思っていて、今この場は私が落ち着いて居ないといけないと思っていた。

「ねえ、大丈夫かな」

「大丈夫やろ」

そう言いながら私はウロウロして落ち着きのない妹を見ていた。

「どっか隠れてるんちゃう、驚かそうとしてるんやわ」

そう言って2人でトイレを開けたり、押し入れを開けたりした。

居ないのは分かっていても、家中を探し回った。

段々私も不安になってきていて、家には居ないのは分かっているけどもあっちを開けてこっちを開けてお父さんが隠れている妄想をしては、ウロウロした。

トイレの向かいにお風呂場があるけど、そこは開けなかった。

トイレも押し入れも開けてみたのに、お風呂だけは開けなかった。

でも、探し始めてすぐにお風呂のドアの取手を開けようと掴んでいる。

居るわけないよね。だってお風呂に居るのはおかしいもの。居ないで欲しいから開けたくない。そう思って開けなかった。すごくお風呂に嫌な感じがしたのだ。開けたくなかった。なんとなくだけど絶対開けたくなかった。

怖くなってカーテンを開けてベランダを覗いた。

狐のお面が見えた。

急に何だと思うだろう。

誰にも言っていない。

この一行が書きたくてこのノートを書いた。

カーテンの隙間から狐のお面が見えた。

怖くなって震えた。

狐のお面のような顔の人なのかもしれないがしっかりと目で見た。

鳥肌が立って寒くて、炬燵に入った。

もう本当に怖かったのだ。

「お母さんまだかな」

「お姉ちゃんどうしたん」

「もうここおろ、DVDつけとこ」

「なんなん、どうしたん」

「なんもないわ」

そう言った私を放って妹は部屋をまたウロウロし始めた。そう広い家でもないので少し歩けば全ての部屋に行きつく。

「お姉ちゃん、お父さん死んでる」

急にそう声がした。

振り向いたら妹がお風呂場の前で固まっていた。

お父さん。

私は立ち上がる。

目の前が揺れる。

一歩踏み出すたびに地面がとんでもなく揺れた。

お風呂場を覗いたらお父さんが首を吊っていた。

驚いたが少し納得した。

怖かったが涙はでなかった。

「電話するわ」

そう言って浮いているお父さんから目を逸らして電話機に向かって走った。

すごい目眩がしてふすまにぶつかった。

死んでいるんだから警察だと思って110を押した。

「お父さんが死んでます」

「脈をはかれますか」

「出来ません」

「住所は言えますか」

「はい」

電話のやり取りはうろ覚えだが、電話してすぐに脈をはかれと言われて困惑した。やり方を知らなかった。

電話を切ったあと泣いている妹と2人で電話機の前で抱き合った。

私は涙が出なかった。

涙が出ないのが不思議で仕方がなかった。

お父さんが死んでいるのに。

程なくして警察と救急車がきた。

作業服をきた男の人が家に入ってきて、お風呂場に行った。

お母さんも泣きながら帰ってきた。

おばあちゃんも叔父さんもやってきた。

おばあちゃんはお母さんに向かって

「あんたのせいや」

そう怒鳴った。

お母さんはごめんなさいごめんなさい、と土下座しながらずっと泣いていた。

別の部屋で警察の人から警察手帳を見せられて、お父さんの状態の説明をされた。
死亡が確認されましたと。

それを聞いた時私はお父さんに会えなくなると思って、走ってお風呂場に行こうとしたら知らない男の人に止められた。

「みちゃだめ」

その瞬間私はお父さんがほんとに死んだんだと、初めて大泣きした。