『つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方』(ウィリアム・パワーズ 著 有賀裕子 訳 プレジデント社)を最近、読み終えた。
「スマホ脳」という言葉はよく知られるようになったが、この本を読むと、情報の洪水に襲われ、注意力が散漫になり、ひとつのことになかなか集中できないことは、スマートフォンやタブレット端末が身近にある今に始まったことではなく、かなり昔から問題とされてきたことが分かる。
そして、この『つながらない生活』のなかで、ワシントン・ポスト紙の元スタッフライターである著者のウィリアム・パワーズ氏が、スクリーンとつながり、スクリーン上をあれこれ探し回ってしまうことで、失われてしまうのは、「奥深さ」であると述べていることが印象的だった。
しかしながら、「「生産性を高めるツール」であるはずのスクリーンのせいで、実は、本来の生産性に欠かせない集中力が途切れてしまって」おり、
「デジタル世界の慌しさは、奥深さにとっては敵なのだ」
とする一方で、「悪いのはスクリーンではな」く、
「それどころか、スクリーンはとても好ましい。問題は、調和が崩れていることである」
とも述べている。
要するに、スクリーン(スマホやパソコン、テレビなどの画面全般)が悪いというわけではなく(私も毎日、映画や動画を見るために重宝している)、大事なのは「つながり」を生むツールとしてどう使うか、その工夫の仕方なのだ。
さらにウィリアム・パワーズ氏は、「広告では、ありとあらゆる商品が自己表現や解放の手段として謳われているが、現実には、自動車もコカ・コーラも巷に溢れている」(つまり、個性や自分らしさを重視せよと言いつつ、結局はみんなと同じになる)としつつ、
と述べている。特に、
という一節は、自分自身の内面に長い時間をかけて向き合わない限り、SNSなどでつながっていても、「つながっているのに孤独」を感じるが、真の孤独によって内面が充足すると、「孤独なのにつながっている」という境地に達するという、<孤独であることの逆説>を的確に説明していると思う。
なお、本書は、プラトン、セネカ、グーテンベルク、シェイクスピア(ハムレットの手帳)、フランクリン、ソロー、マクルーハンの知恵から「ネット世間」との距離のとり方」が示されているが、騒がしい世間との距離を置き、自分自身の内面と向き合う時間をもつようにすることは、いつの時代でも魂の滋養のために必要だったのだ。
『つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方』は、デジタル化が加速する社会において、奥深さに到達すること、もしくは奥行を取り戻すことが、人生に充実感を与えるのだと確信できる一冊だった。
『つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方』 目次
Ⅰ.つながりに満ちた暮らしのミステリー
第1章:忙しい! とにかく忙しい!
第2章:母との電話を「切った後」に訪れた幸福
第3章:携帯が使えなくなって気づいたこと
第4章:なぜ「メール禁止デー」はうまくいかないか
Ⅱ.「適度につながらない」ための知恵
第5章:プラトンが説く「ほどよい距離」の見つけ方
第6章:セネカが探訪する内面世界
第7章:グーテンベルクがもたらした黙読文化
第8章:ハムレットの手帳
第9章:フランクリンの「前向きな儀式」
第10章:自宅を安息の場にしたソロー
第11章:マクルーハンの「心のキッチン」
Ⅲ.落ち着いた生活を取り戻す
第12章:無理のない「つながり断ち」7つのヒント
第13章:インターネット安息日
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お忙しい中ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます😊