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『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』は、絶望ではなく<希望>を見出すために読むべき一冊。【書評・感想】

近代の帰結がもたらす、出口なしの閉塞的で絶望的な状況を解決する道は、もしかしたら先史時代にあるのではないかと思うことがあるが、近頃、クリストファー・ライアン『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』(河出書房新社)を読んだら、そのことを確信した。

人々のほとんどは、何らかの物語を信念として内面に抱えていると思われるが、本書の第Ⅰ部でまず語られるのは「オリジン・ストーリー」についてである。


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 この本は、物語――オリジン・ストーリー――の物語である。文明以前、洞窟の壁にオーカーで絵を描いたり、火を操ったりする前ですら、私たちの祖先は物語に魅せられていた。人類初の発明は今もって最強だ。物語を語る者が世界を創造する。

(クリストファー・ライアン『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』 鍛原多惠子 訳 p22)


 人は過去の出来事について物語る。ところが、私たちが語る物語によって実際に起きることが決まる場合がある。物語がパラダイムになるのだ。オリジン・ストーリーは説明するだけでなく、予測し決定するからだ。私たちがどこから来たかを示す地図によって、今後どこに行くかが決まる。(p23)


しかし「文明以前の人間の生活にかんするホッブズの文明観が最大の前提」であり、「文明の優越性を当然の事実として認める」<不断の進歩の物語>があり、この<不断の進歩の物語>については、「自己の内面と外面のあいだに葛藤をもたらす行動や信念から解放」されるには見直す必要があると著者のクリストファー・ライアンはいう。

ちなみに<不断の進歩の物語>とは、以下のようなものだ。

 私たちはみな自分たちが何者で、どこから来たかについて、次のように教えられた。

 先史時代、人類の祖先は飢え、病気、捕食者、隣人との戦いに明け暮れていた。もっとも強く、賢く、冷酷な者だけが、自分の遺伝子を未来に残すことができた。しかも、こうした幸福な者たちさえ、三五年ほどしか生きられなかった。ところが一万年ほど前、名前すら残していない天才が農耕を発明し、人類を野獣のような暮らしから豊かな文明、余暇、洗練、充足へ導いた。以来、ときおり小休止はあったものの状況は良くなる一方だった。(p23)


一方、クリストファー・ライアンは、『文明が不幸をもたらす』のなかで、「私たちの祖先の社会、身体、心理にかかわる基本的な原理」として以下を挙げている。


徹底した平等主義と共有」・・・「互恵が基本であり、人に隠れて食べ物をため込むなどの利己的な行為は許されない。」

移動性/合流と分裂」・・・「集団は頻繁に合流や分裂を繰り返すので、争いが起こりそうなときや周囲の人的環境を変えたいときには、いつでも近くの集団に移ることができる。」

感謝」・・・「採集社会では、人びとは自分を豊かな環境と善意ある霊的世界に恵まれた幸福者と考えがちだ。土地が必要な物すべてを与えてくれるのだから。」

(p33より一部抜粋)


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日々、快適で幸福な生活を送るためには、「環境」「健康」「経済」の3つが何といっても大切だ。

しかし経済的格差による貧困はもちろんのこと、気候変動による猛暑日が続く日々や台風、原因不明の体調不良や感染症などに悩まされる毎日が当たり前のように続くようになると、決して文明や資本主義がもたらす未来は進歩的で明るいとは言えなくなるような気がする。


来年や再来年は、今よりももっと状況は良くなると信じたいのは山々だが、実際は、これまでの「当たり前」がますます当たり前ではなくなるような、今よりももっと悲惨な状況が待ち受けているかもしれない。そう考えるだけで(マスクをしなくても)絶望的な気分になって窒息しそうになる。

日本で「普通」に生活していると、仕事や学習、子育てや医療のことなど、生活を成り立たせるためにはたくさんのお金が必要であるという雰囲気が漂っていて、どうしてもお金が人生の全てを決めると錯覚してしまって、暗い気持ちになってしまう。


しかし閉塞した状況において何らかの希望を見出せるとしたら、そのひとつは、文明以前の人々の生活は、貧しくて、野蛮で、寿命が短かったという先入観や思い込みを捨て去り、先史時代を生きた人々の叡智を自分で探ってみることだ。

(近年出版された本ならば、例えば『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』や『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』などあるし、日本ならばやはり「縄文」にこれまでの常識を見直すヒントが隠されている)。


とはいっても、「過去に学ぶ道」を選ぶのに、文明社会を過度に拒絶したり、文明が与えてくれた恩恵を否定したりする必要はないし、過去に遡ることが出来ないという点で、現代人の視点から狩猟採集民の生活を極端に理想化しすぎることにも注意が必要であるように思う。

このことに関して著者のクリストファー・ライアンは、

 私たちは岐路に立っている。もう、後戻りはできない。私は、ホモ・サピエンス・サピエンス――自分がものを知っていると知るヒト科の動物――には選ぶことのできる三つの未来があると思う。

としているが、「否認」と「怒り」(右)、「取引」と「抑うつ」(左)の間の真ん中には、「ピア型進歩ネットワーク」や「グローバルなベーシック・インカム」など、「狩猟採集民的な思考を戦略的に現代生活にもち込むのはどうだろう」とする「受容」の道があるという。

この辺りの詳細については、実際に本書『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』を手に取ることで確かめていただきたいと思うが、「過去に学ぶ道」には、個人のライフスタイルにおいても、「環境」「健康」「経済」の綻(ほころ)びを繕(つくろ)うためのヒントが隠されていると思う。


 道に迷ったら一歩戻るのが正しいのかもしれない。毎日のように大勢の人が、文明の神話が喧伝する生き方が孤独、混乱、不安、絶望につながる、という結論に達している。現代の暮らしのほぼあらゆる側面が再検討を必要としていて、私たちは祖先が暮らした環境に全般的なヒントを求める。自然分娩、動物の放し飼い、人工肉、有機栽培の果物や野菜、水平的な企業組織、シェアエコノミー、ノンバイナリーなセクシャリティと柔軟な人間関係、LGBTQの権利、ミニマリストのシェルターやパーソナルファイナンス、補完医療、幻覚剤を用いた精神療法……増えつつあるこれらのトレンドと似たような傾向は、古の世界の法則だった。(p251)

この本では、家畜化される前の人類の暮らしを理解することで、出産、子育て、仕事、お金との関係、幻覚剤を用いる精神療法、死との向き合い方のヒントが多数得られることを見てきた。こうした法則にかんする本やドキュメンタリー映画が毎年数十も世に出て、住みたい家、健康の維持や回復の方法、資産管理にかんする人びとの考えを変えつつある。(p251)


また、「人間の本質にかかわる議論は、とかく都合の良い証拠の集まりになる。この本がそうした自己満足の深みにはまらないようにするため、巻末に豊富な資料と参考文献を収めておいた」とあるように、これからの時代を生きていくなかで、本書は「絶望」ではなく「希望」を見出すために、非常に説得力のある内容となっていると読了後に感じた。

希望は見えないだけで、けっして無いわけではないのだ。


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 読書の中には、私が非現実的なノスタルジアに浸り、持説に合う証拠だけを選り好みしていると非難する人もいるだろう。それは私にも理解できる。驚くまでもないが、文明以前の人の生活にかんする肯定的な意見を言下に否定するのはたいてい文明人だ。人間の本質にかかわる議論は、とかく都合の良い証拠の集まりになる。この本がそうした自己満足の深みにはまらないようにするため、巻末に豊富な資料と参考文献を収めておいた。(p36)

黄金時代の神話は世界各地に広く見られるし、誕生してもない人類の無知ゆえの無邪気さに対する心理的な憧れに支えられている部分もあるに違いない。しかし、だからと言って、過去をより正確に理解することで現代を批判的に調べる必要性が否定されるわけではない。進歩の概念は普遍的に見られるが、時を経るにつれて物事は良くなりつづけるという確かな証拠はない。それに、進歩を妄信する心理的な動機は、ノスタルジアに浸りたいという衝動と同じくらい明らかに間違っている。(p36)



クリストファー・ライアン『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』河出書房新社 目次

はじめに 汝の種を熟知せよ

第Ⅰ部 オリジン・ストーリー 

先史時代を語るときに私たちが話題にすること
文明とその不調和

第Ⅱ部 永遠の黙示録現代の「不断の進歩の物語」)

野蛮な野蛮人の神話(平和への宣戦布告)
不合理な楽観主義者

第Ⅲ部 古代の鏡に映る自分(人間であること)

自然主義的誤謬の誤謬
野生児になるべく生まれた
子育ての深い闇
荒れ狂う十代
不安な大人

第Ⅳ部 未来につながる先史時代の道

終わり良ければすべて良し
聖なるものが失われたとき

おわりに ユートピアが必要である理由



ここまで読んでくださり、ありがとうございます(^^♪


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