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瞑想が「思いやり」を深める。『なぜ「やる気」は長続きしないのか』 3

前回の記事では、『なぜ「やる気」は長続きしないのか』(白揚社)を取り上げ、瞑想が「思いやり」を通して自制心を高めるということについて述べました。

この『なぜ「やる気」は長続きしないのか』の著者であるデイヴィッド・デステノ氏が「自制心」を高めるということに関して注目しているのは、「思いやりが、自制心の働き方を根本的に変えていく」という仏教の知見です。

心理学者のデステノ氏は以下のように述べています。

仏教徒にとって、本来、感情は善悪とは無関係のものなのだ。感情とは精神のエネルギーの一形態である。そしてあらゆる強力なエネルギーの例にもれず、使い方によっては、建設的にもなれば破壊的にもなる。瞑想の訓練も後半になると、感情を再び目覚めさせる過程に入っていく。しかし、ここではもはや人は感情の奴隷ではなく、むしろ支配者となる。感情を静め、制御する方法を学ぶ最初のステップは終わり、感情を変えることに重点を置いた後期の訓練に移っていく。この段階で僧たちは、思いやりを中心とした感情を、目標を達成するための手段として使うことを学ぶ。

『なぜ「やる気」は長続きしないのか』 デイヴィッド・デステノ 著 住友進 訳 127頁


 そしてこの思いやりが、自制心の働き方を根本的に変えていく。以前は、誓いを守るために意思の力や合理的分析といったもろい力に頼らざるを得なかったところが、いまや誘い込もうとする欲望そのものが消えたかのような状態となる。思いやりは感謝の気持ちと同様、人間がすぐに満足をもたらす物事に見い出す価値を減らし、将来のための忍耐をより容易にする。仏教の僧にとって究極の目的は、生きとし生けるものすべての苦しみを終わらせることにある。


とはいっても著者のデステノ氏は、「思いやりや自制心に関する仏教の考え方を取り上げているのは、なにも読者を仏教に改宗させたいから」ではなく、

数千年にわたって自制心を研究してきた伝統が教えてくれる知見は、真剣に受けとめるべきだといいたいだけだ。自制心を高めるには感情を抑えるのではなく思いやりのような感情を養うのが一番である、という考え方をはじめとした、仏教の知見の数々が、最新の科学的調査の結果とぴったり一致しはじめた場合には、とりわけそうだろう。

とも述べています。

瞑想が思いやりを深める理由の一つは、それが心を平静に戻してくれるからである。仏教的な意味での平常心とは、たんに冷静で落ち着いている状態ではない。むしろ、あらゆる人間に共通する人間性や尊厳に気づくことで、緊張が軽減された精神状態をいうのである。瞑想は人間を違った分類に分けようとする心の傾向を弱め、最終的にはそれを消滅させる。白人、黒人、金持ち、貧乏人、友人、敵といった区別をなくしてしまう。その結果、全員に同じような価値があり、同じようにつながっていると考えるようになる。

『なぜ「やる気」は長続きしないのか』 デイヴィッド・デステノ 著 住友進 訳 152‐153頁


しかしながら、思いやりのある行動を取れるようになることに関しては、デステノ氏は、瞑想することに恩恵があることを踏まえつつも、「瞑想は万人向けの方法とはいえないし、実際に、万人に必要なものでもない」としています。

そして、「瞑想以外に私たちに思いやりの気持ちを抱くよう仕向けてくれる方法があったとしても別に驚くにはあたらない」と述べたうえで、

簡単なやり方で達成できるもっとも有望な手段の一つは、他人とのつながりを――どんなつながりであれ――、見つけ出すことだ。

としています。


次の記事へと続きます……。


お忙しい中ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます😊


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