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上尾市の「大山灯籠行事」が受け継がれている理由

「大山灯籠行事」とは

埼玉県南中部にある上尾市では、お盆の時期になると市内19地区(写真1)で「大山灯籠行事」が行われている。古くは江戸時代後期から始まり、神奈川県伊勢崎市の大山にある「大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)」(写真2)を信仰する「大山講」の人々が代参(講の代表者が参拝)する期間、旅の安全を願い夜道を照らす道標として灯籠を立てたのが始まりだ。多くの地区では木製の組み立て式だが、金属製の火袋が2地区、常設の石の灯籠が2地区あり、「大山灯籠行事」は上尾市指定無形民俗文化財になっている。

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(写真1)「大山灯籠行事」が行われる場所

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(写真2)大山阿夫利神社 下社

「講」とは、神社や寺院へ参拝する信者が集まって信仰する組織で、上尾では「榛名講」「御嶽講」「三峰講」など多くの代参講があり、「大山講」は江戸時代から盛んに行われていた「講」のひとつで、全盛期には関東を中心に東海・甲信越まで広がった。

大山は、別名「雨降山(あめふりやま)」と言って雨を降らす農業の神様(石尊様)として多くの村民が信仰していた。また、出世の神様として男子は15歳になると必ず参拝するものとされていた。近年では上尾市内の農家が減少したことで「大山講」はほとんど解散し、代参もわずか2地区のみになったが、灯籠を立てる行事だけは農家組合や町内会、氏子会によって受け継がれている。

幻の灯籠と言われる理由

大山灯籠」を立てる行事は、大山阿夫利神社の夏の山開き(7/27〜8/17)に合わせた短い期間だけ灯籠が立つため「幻の灯籠」とも呼ばれ、地元の人でも知らない人は多い。地区によって灯籠の形に特色があり立て方や日程もさまざまだ。

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出典:Webサイト「日程表 │ 上尾の大山灯籠行事」上尾市無形民俗文化財活用活性化実行委員会(平成25年)
※日程の変更あり

「大山灯籠行事」を見学

大山灯籠行事」の設置を見学したいと思い、谷津地区の町内会会長さんにnote掲載も合わせてお願いしたところ、快く了承を頂くことができた。

灯籠立ては7/27 PM4:00から始まった。町内会役員8名が集まり、観音堂境内奥の倉庫から次々に木製の組み立て式灯籠や道具が出され、あらかじめ用意されていた竹と一緒に設置場所まで運ばれた。
まず灯籠を立てるための穴を掘り、灯籠の軸となる竿を立て、その外側に木柵が置かれた。そのあと竿の上に灯りを入れる火袋を載せ、灯籠を囲むように高さ2~3mほどの竹を四方に立てて注連縄(しめなわ)を張り、紙垂(しで)を飾りつけ、わずか30分ほどで完成した。

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灯籠は、かつて道標として三叉路や道の角に立てられていたが、区画整理などで集会所や神社境内に移されているところが多い。谷津地区もかつては火の見やぐら近くの道端に立てられていた。火の見やぐらの近くに立てたのは、雨を降らす「火消しの神様」としても崇められていたことに由来する。

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(写真3)藤波地区/天神氷川八幡合社境内の火の見やぐら

その後、通常は集会所に集まって「飲食」となるのだが、今回は簡素化されお土産袋にして持ち帰っていた。本来「飲食」は大山阿夫利神社でもらったお札を講員に配り、来年の代参者をくじ引きで決めるために行われていたが、「講」自体がなくなった今では儀礼化し、盛大に宴会を行う地区もあれば、やらない地区もあるそうだ。

夜の点灯は地区によって違いがあり、昔は灯明皿に菜種油を入れて火を灯していたが、今ではほとんどがロウソクや電気で灯しており、谷津地区のように点灯しないところもあった。他にも「庚申塔」や「富士塚」の横など「講」がまとめられているケースも見られた。

上尾市の「大山灯籠行事」については、上尾市のWebサイトに詳しい内容が書かれており、PDF冊子や動画資料も掲載されている。

出典:Webサイト「上尾の大山灯籠行事」上尾市無形民俗文化財活用活性化実行委員会(平成25年)

「大山灯籠」を探しにサイクリング

全ての「大山灯籠」を見てみたいと思い、上尾市内19カ所を自転車で回ることにした。夏祭りや花火大会が中止になるなか「大山灯籠行事」が行われているか心配だったが、直線距離にして全長約22.6キロ、数日かけて自転車で回ることにした。

暑さ対策、虫除け対策をして、いざ出発!

1.谷津地区(谷津観音)

まず最初は上尾駅近くの谷津観音の境内。灯籠立てを見学させてもらった場所だ。大山阿夫利神社の方向に向けられた灯籠の火袋と竿の正面には水に関連した生き物として迫力のある龍の彫刻が施されていた。

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2.柏座地区(春日神社)

続いて、谷津観音から自転車で約5分のところに春日神社はあった。鳥居をくぐるとすぐ左側に立てられていた。木製の灯籠の周りを囲うように竹を四方に立て注連縄を張り、紙垂が飾りつけられていた。火袋のガラス越しには電球のような影が見えた。町内会の方に話をうかがうと、火袋の中にはお供物の御神酒とお米が入っているそうだ。

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3.弁財地区(浅間神社)

弁財地区の浅間神社は地図に載ってないためちょっと迷った。およそ神社らしからぬ箱庭のような空き地に富士塚があり、その近くに木製の灯籠が立っていた。周囲に竹を四本立て注連縄を巡らし、紙垂が飾りつけていた。火袋には和紙が貼られ、灯りはソーラー式の電灯のようだ。

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4.向山本村地区(稲荷神社)

稲荷神社境内に入るとフェンスそばに「大山灯籠」は立っていた。木製の灯籠を囲うように竹を四方に立て注連縄を張り、紙垂が飾りつけられ、灯りは火袋に電球が取りけられていた。

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5.向山新田地区(道端の庚申塔横)

向山新田地区の道端の角にある庚申塔横に「大山灯籠」が立っていた。木製の灯籠で、他の地区と違い四方に竹を立てず、火袋の下部に注連縄を巻いて紙垂を飾りつけ、灯りは電球を使用していた。

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6.堤崎地区(愛宕神社)

愛宕神社の本殿右側に木製の「大山灯籠」は立っていた。竹囲いはなく、火袋の周りに直接注連縄を巻いて紙垂を飾りつけられていた。雨避けのビニールで分かりづらいが、灯りはソーラー式のライトになっていた。

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7.地頭方地区(氷川神社)

氷川神社の狛犬の近くに木製の「大山灯籠」が立っていた。四方に竹を立て注連縄を張り、紙垂が飾りつけられていた。灯りは電球のようだ。

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8.畔吉地区(諏訪神社)

諏訪神社鳥居の右側に石製の「大山灯籠」が常設されていた。市内では石灯籠は2カ所しかなく、上尾市指定有形民俗文化財になっている。四方に竹を立て、囲うように注連縄を張り、紙垂が飾りつけられていた。火袋には新しい和紙が貼られ、後ろからロウソクを入れるようになっていた。石灯籠の竿部正面に「大山石尊大権現」、背面には「元治元(一八六四)年子歳六月吉日」と文字が刻まれていた。

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9.領家地区(領家農村センター)

領家農村センターには石製の「大山灯籠」が常設されており、畔吉地区と同じ上尾市指定有形民俗文化財になっている。自粛しているのか、それとも片つけた後なのか分からないが、よく見ると火袋の中には木札が置かれていた。苔の侵食で文字が見えづらいが、竿部正面には「阿夫利神社」、右側面には「明治三十六(一九〇三)年一月吉日」と刻まれていた。

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10.中分地区(中分公民館)

中分公民館の敷地内に「大山灯籠」が立っているはずだが、どこを探しても見当たらなかった。自粛したのかもしれない。

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11.藤浪地区(天神氷川八幡合社)

天神氷川八幡合社の境内にある狛犬の前に「大山灯籠」が立っていた。他の地区と違い火袋は金属製のガス灯のような形をしており、ロウソク台が見えた。竿はシンプルな木製で、灯籠の周りに竹は立てず注連縄も張っていない。小ぶりで可愛らしい灯籠である。

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12.浅間台地区(氷川神社)

氷川神社境内の拝殿近くに木製の「大山灯籠」が立っていた。竹が灯籠を広く囲うように四方に立てられ、注連縄を張り、紙垂を飾りつけられていた。灯りは電球のようだ。

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13.町谷地区(町谷公民館)

町谷公民館の入り口横に木製の「大山灯籠」は立っていた。灯籠の四隅に竹を立て、さらに竹を横に二本、正面と左右側面を対角線上に交差させて頑丈に組まれていた。上部には注連縄が張られ、紙垂を飾りつけ、竿の正面に御幣(ごへい)が固定されていた。火袋には複雑な透かし彫りが施されており、正面は水面の金魚、横は菖蒲の花(?)、後ろは記号のようなマークが彫られていた。側面は、時代を感じさせる幾何学模様の擦りガラスになっていた。気になって調べてみたら、ふじみ野市立福岡河岸記念館にも全く同じ模様の擦りガラスがあった。どうやら明治時代の建造物らしく、この灯籠もその頃造られたガラスを使用しているのかもしれない。

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14.上新梨子地区(上新梨子区集会所)

上新梨子集会所敷地内の交差点近くに木製の「大山灯籠」は立っていた。灯籠を竹で囲い、注連縄を張り紙垂を飾りつけられ、竿の正面には御幣が固定されていた。火袋下の台にはお神酒(?)が供えられており、左右側面には、他の灯籠でも多く見られた「月」と「日」の透かし彫りがあった。

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15.箕の木地区(箕の木公民館)

箕の木公民館の脇にテントが貼られ、その横に木製の「大山灯籠」は立っていた。四方を囲むように竹が立てられ、注連縄を張って紙垂を飾りつけ、灯籠竿の正面には御幣が飾りつけられていた。火袋は手の込んだ木彫刻で装飾され、正面は天女、側面は鷹と牡丹のように見えた。

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16.須ケ谷地区(第六天神社)

第六天神社境内に「大山灯籠」は立っているはずだが見つからなかった。自粛しているようだ。

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17.菅谷地区(庚申塔横)

北中地交差点にある庚申塔の横に木製の「大山灯籠」が立っていた。竹を四方に立て、注連縄を張り、紙垂を飾りつけ、竿の正面に御幣が縛りつけられていた。火袋は鮮やかな朱色に塗られ、正面は金魚と浮き草、側面はぶどうのような植物が透かし彫りになっており、ガラス越しに電球が見えた。

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18.西門前地区(庚申塔横)

西門前の道路沿いに庚申塔があり、その前に「大山灯籠」が立っていた。竹は灯籠近くに立てられ、注連縄で火袋の周りを囲い縛って固定されていた。火袋は金属製でガス灯のような形をしており、ガラスの中にはロウソクを灯す台があった。竿の下部と庚申塔の覆屋の柱の下には御幣が置かれていた。

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19.二ツ宮地区(二ツ宮公民館)

二ツ宮公民館とブロック塀の隙間に「大山灯籠」が立っていた。他と違って四本ではなく五本の竹を立て、注連縄は上下横に二本、そこから交差する縄を二本張って紙垂が飾りつけられていた。資料によると、縄は途中で接ぐことなく一本で仕上げているそうだ。この日は火袋が空いていて、中をのぞくと電球の後ろに御幣とお札が納められていた。右には「二ツ宮大山講新築建衲 平成三十一年四月十七日」と書かれており、新しく作り替えられたようだ。町内役員の方にお話を伺うと、火袋の中のお札は、近くにある氷川神社の宮司からもらい受け、5年に1度「大山阿夫利神社」に参拝しているそうだ。

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大山阿夫利神社を参詣

続いて、神奈川県伊勢崎市にある大山に登り、中腹の「大山阿夫利神社 下社」と、頂上の「本社」を参詣した。駐車場からケーブル駅まで宿坊や土産物屋が立ち並び、ケーブルカーは「大山阿夫利神社 下社」近くまで登ることができた。

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(写真3)大山ケーブル駅近くの地図掲示板

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(写真4)ケーブル駅

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(写真5)大山阿夫利神社 下社への参道
ケーブルカーから降りて下社まで長い階段が続き、脇には講中が寄進した玉垣が並ぶ。大山山中には約2,500〜2,600本の玉垣があるそうで、「〇〇講」や名前が刻まれ赤文字で彩色されていた。

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(写真6)上尾市原市の講中(今はない)が寄進した玉垣が残っていた。

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(写真7)大山阿夫利神社 下社

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(写真8)大山「登拝門」
山頂「本社」に向かう登山道入り口。昔は、ここから「本社」までは夏山開き(7/27〜8/17)の間だけ「登拝門」の扉が開かれ、入山が許可されていた。明治20年になると春山開きも行われるようになり、今ではいつでも登拝できるようになった。その名残なのか、山開きの期間のみ両扉が開かれ、期間外は片扉のみ開かれているそうだ。

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(写真9)大山山頂
標高1,252メートル。もとは修験場だけあって、思った以上に登るのが大変だった。その分お札のありがたみが増す。

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(写真10)大山阿夫利神社 本社

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(写真11)大山阿夫利神社のお札

大山信仰の歴史

ここからは大山の歴史を紐といていく。755年に奈良東大寺の別当良弁僧正が「大山寺」を創建したことが始まりとされ、平安時代になると山岳仏教の流行により相模の山岳修行の中心道場になる。その後も源頼朝など時の権力者の庇護を受け繁栄するが、江戸時代になると徳川家康が行った寺院統制により多くの修験者たちは下山を命じられ、山ろくに居住して「御師(現在の先導師)」となり、関東を中心に東海・甲信越にまで布教活動を広げ「講」が組織された。この頃から大山に向かう参詣の道「大山道」のルートが開拓され、大山を中心に放射状に広がっていったことで「関東地方の四方八方の道は、すべて大山に通ずる」と言われるまでになった。

神社の参道には今も先導師たちが営む宿坊があり、代参者は決められた先導師の世話になる言わば檀家の関係が結ばれていた。上尾市の原市講中は、宿坊の庭に石灯籠を寄進している。

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(写真12)上尾市の原市講中が宿泊した宿坊「かすみ荘」

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(写真13)宿坊「かすみ壮」の庭に寄進された石灯籠。上尾市原市の銘が刻まれている。

江戸時代中〜後期になると信仰と物見遊山を兼ねた庶民の社寺参詣が大流行し、「大山講」は最盛期で20万人が参詣した。上尾市でも約20種類の代参講が存在し、その中では「大山講」「榛名講」「御嶽講」が最も多く、旅をする機会が少なかった人々の娯楽として、大山詣りの帰りに江ノ島、鎌倉に立ち寄る観光も兼ねていた。また、出世の神様として男子の成人儀礼色が強かったのは、山岳信仰の修験場であったこと、遠隔地で宿泊しなければ行けない距離だったことが起因して埼玉県全域で同じような傾向が見られた。

また、川越や熊谷などの商業都市では、商売繁盛や防火・厄除けの意味合いが強く、行事に付帯する「納め太刀」(写真15)や「御神酒枠」(写真16)も盛大に行われていたようだが、上尾市ではその形跡はない。他にも「熊谷うちわ祭り」や「坂戸八坂神社夏祭り」など祭りとセットで行われていたところもあったが、上尾市について書かれた文献は少なく存在感は薄い。

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(写真14)大山阿夫利神社 下社にある巨大な天水桶
1904年(明治37年)、川越の有力者や青果講、魚商、大工、鳶職らによって奉納された。

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(写真15)大山阿夫利神社 下社境内にあるシンボルモニュメント
「納め太刀」とは、願い事を書いた木製の太刀を「大山阿夫利神社」に納める行事のことで、源頼朝が平家打倒のため必勝を祈願して奉納したのが始まりとされている。

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(写真16)東海道五十三次細見図会 程ヶ谷(歌川広重)
神奈川県立歴史博物館蔵。「御神酒枠」は大山から酒や水を持ち帰るためのもので、担いで大山詣りをした。埼玉県では川越市、熊谷市、鴻巣市、坂戸市、さいたま市などで行われていた。

このように大山からの距離や地域性によって信仰の形態も変わるようで、農村(雨乞い・五穀豊穣)、商業都市(商売繁盛・厄除け)、漁村(航海安全・大漁祈願)とあらゆる人々に受け入れられた。
また、大山が見える神奈川近郊では「死霊鎮座的性格」を持ち、お盆に大山へ集まる先祖の霊を供養する意味も兼ねていた。

明治元年になると神仏分離が政行され、中腹の「大山寺」は現在の「大山阿夫利神社」に、山頂の石尊大権現を祀る「石尊社」は現在の「本社」に改称されている。上尾の人々が今でも「石尊様」と呼んでいるのはその名残りである。

上尾で「大山灯籠行事」が継承される理由

現在では、埼玉県内で「大山灯籠行事」を伝承しているところは少ない。その中で特筆すべきなのは、上尾市は埼玉県域の中でも「大山灯籠行事」が数多く残されていることである。兼業農家や非農家が増えたことで講員数が減り、母体となる「大山講」がほとんど解散しているにもかかわらず、なぜ19地区で「大山灯籠行事」が継承されているのだろうか。そして、市内にたくさんあった「講」が消えていく中で、何故「大山講」の行事は残っているのだろうか?

村社会で「講」は信仰だけでなく寄り合いや相互扶助など村の結束を強める意味合いが強く、複数の「講」に加入し情報やネットワークを広げる場の役割も果たしていた。人々は助け合いや繋がりを大事にしていた。
ここからは私の推測だが、他の「榛名講」や「御嶽講」は農業に特化した信仰だったが、「大山講」は農・商・漁のあらゆる職業に受け入れられたことで、農家が減っていく中でも信仰が守られたのではないか。
さらに、木製の灯籠は少人数で簡単に組み立てられ、期間が終わるとすぐ解体できるので手間がかからず容易だった。また、上尾市の「大山灯籠行事」は、他の地域と違って大掛かりなお祭りや「御神酒枠」「納め太刀」の付帯もなくとても簡素だったため、続けやすかったのではないだろうか。現に、夏祭りや盆踊りが中止になる中で「大山灯籠行事」はほとんどの地区で行われていた。
今では形を変え、代参しない代わりに灯籠を大山の御神体として献灯するようになったが、地元の大切な伝統行事として受け継がれている。

日本人の根底にある民間信仰

かつて日本人は農耕社会の中で自然を崇拝し、山の神、水の神、田の神を信仰の対象とし、畏敬の念を持っていた。そうした民間信仰は、日本人の根底にある精神として生活の中で受け継がれ、その一つの形として「講」が派生し、現在の日本人の核となる思考を形成する重要な役割を果たしたのではないだろうか。

山を信仰する日本古来の生活習慣の中から生まれた「大山信仰」だからこそ、時代が変わり儀礼化されても自然に受け入れられ、前述した継承される数々の要因も重なったことで、今日まで続けられているのではないだろうか。

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■参考文献

図書
・『上尾市史 第十巻 民俗』上尾市教育委員会(2002年03月)
・『上尾の歴史概観*上尾のこと三題』上尾市教育委員会(2005年08月)
・『川越の大山信仰』川越市立博物館(2001年03月)
・『相模・武蔵の大山信仰』関東民具研究会/岩田書院(2011年9月)
・『富士・大山信仰-山岳信仰と地域社会 下-』西海 賢二/岩田書院(2008年11月)
・『民衆宗教史叢書 第22巻 大山信仰』東京/雄山閣出版(1992年8月)

Webサイト
「上尾の大山灯籠行事」上尾市無形民俗文化財活用活性化実行委員会(平成25年)
 【冊子】上尾の大山灯籠行事
 【動画】「大山灯籠 -伝統のともしび
 【動画】「大山信仰 -上尾市域の大山講と先導師のきずな」
「上尾の指定・登録文化財一覧」上尾市教育委員会
「大山阿夫利神社」大山阿夫利神社 社務局



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