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「追加300円」で得られた極楽。

私を乗せた高速バスが会津若松駅に着いたのは、19時半くらいのことだった。
今日泊まる旅館は、駅から歩いて2分ほど。近い場所の宿を取れて心もウキウキである。
そしてその旅館は、歩いてすぐの場所に温泉がある旅館であった。予約の時点で、追加の料金は少しかかったものの、これまでビジネスホテル泊のシャワーのみ生活が続く私の身体は、大浴場での快楽を心待ちにしていた。
そうして旅館で渡された、大浴場施設の入場券。これは、私にとって、快楽への第一歩となる切符であった。案内された部屋で少しのんびりし、その切符を改めて確認してみると、小さい文字でこう書かれていることに気づいた。
「サウナは別途料金が必要」
この文字を見た瞬間から、温冷交代浴で得られる極楽浄土の妄想が、私の脳内では繰り広げられていた。

温泉施設のフロントで入場券を渡す。そして待っていた言葉が耳に入る、「サウナは別途料金必要ですが、ご利用ですか?」私は迷ったふりをしつつ、こう答える、「サウナ利用します。」こうして、100円玉3つと引き換えに、サウナ利用者のロッカーキーを私は手に入れた。

温泉は、予想していたよりも遥かに豪華だった。「天然温泉100%」の看板が至るところに貼られていることから、基本的にどの湯も源泉かけ流しの湯であることは嫌というほど理解できた。成分は、覚えている限りだがナトリウムやカルシウム、あと硫酸みたいな成分もあった気がする。(調べてみたところ、カルシウムー塩化物硫酸塩泉らしい、化学に疎い私にはさっぱりピーマンである。)
また、なんと言ってもやはり、温泉の種類の多さに脱帽した。単なる源泉かけ流しの温泉だけでなく、酒粕の湯、薬湯、サウナに水風呂、寝湯や足湯のようなものまで、非常にバラエティ豊かで、どのお湯に入浴するか迷うだけでもワクワクした。
まず髪や体を洗って、入った先は源泉かけ流しの湯である大風呂、ノーマルこそトップバッターにふさわしいのである。次に、露天風呂の看板を見つけた私、その扉を開けて寝湯に入ってみることにした。お湯は、さっきの大風呂と同じかもしれない。けれど露天だからか少しぬるめで、それもまた良い。少ししてから、奥の露天風呂ブースもあることが分かり、寝湯から出て奥の方へ進んでみる。すると目に飛び込んできたのは「酒粕の湯」の文字。物珍しいその風呂の名前に入らずにはいられず、よっしゃと風呂にダイブする(気持ちで入った)。酒粕の入った袋が浴槽に沈んでおり、どうやらそれを揉み込むことで、酒粕の成分がお風呂へと溶け込む仕掛けらしい。早速袋を揉んでみると、見たことのある白い粒のようなものが浴槽の中で広がっていく。揉めば揉むほど、お風呂のお湯の色は白濁と化し、酒のほんのりとした匂いも鼻の穴に入ってくる。
とても心地がいい。もうこのまま入っていたい、このお風呂から1歩たりとも出たくない、そう思わせる温泉は魅惑的である。しかし、私の楽しみは、ここがピークではない。のぼせない程度に体が温まったことを確認し、掛け湯をした後に体についた水滴をタオルでふきとってからが本番。サウナに入るお時間は、これからだ。

サウナは天井が高いため階段が多く、4段ほどあった。1セット目なので、はじめは1段目でサウナストーンよりも扉のほうに近い場所でおよそ8分ほど座る。サウナ室についているテレビは、イッテQがかかっていた。イッテQの場面がキリのいいところでちょうど8分ほどになったことを確認し、いざ水風呂へ。もちろん、掛け水を忘れずに。誰もいない水風呂に、ザブンと入る。火照った身体に冷水の羽衣が着せられるこの瞬間、血流の激しく流れる音が感じられる。この瞬間の幸福度は何にも替えがたいものだ。1分ほどキンキンの水で締められた身体は、外の空気を浴びる必要がある。そのため、露天風呂のブースを横目にし、椅子の置かれた外の広場へと赴く。椅子はいくつかあったが、身体を横にできる椅子がすぐ手前にあったため、それにした。その椅子に寝転んでみると、天井には星がいた。快晴の空の下、星の瞬くこんな夜に、追加料金300円のサウナで極楽を味わう。その味わいの良さを噛み締めつつ、椅子に寝転んで目を瞑った瞬間から、あの感覚が、きた。歯の奥と奥が、離れずくっつかずの関係になる、例えるなら欠伸をしているあの時の距離感。そうして脳内が少しグワングワンとする、心臓の音が聞こえる感覚。すると次に訪れるのは、天と地が逆転するかのような、空と大地が混ざり合っているように感じられる、奇妙な妄想。この時、同時進行で、なぜか神様仏様など、あらゆる全てのものに対して感謝の気持ちが込み上げてくる。広瀬香美はロマンスの神様に感謝しているが、私はロマンスだけでは留まらなかった。何の神にとか、どの仏にとか、そういう細かいことは考えていないにしても、とにかく全部のものにありがとうございますを伝えたい気持ちになるのだ。これが俗に言う「スピってる」という現象なのかもしれない、と最近思うようになった。最近の私は、サウナで「整う」というより、若干「スピっている」のである。
2セット目はサウナ室に12分、先ほどより少し長めに入るのが私の相場である。この時は21時を過ぎていたからか、イッテQは終わり、次の番組が始まっていた。「スーツケースに衣類を、しまいやすくする方法」とかいう、旅人である今の私にうってつけの特集が始まり、その時点でサウナ室に入ってから10分が経過していた。少し頭がフラフラになりそうなところでその特集は終わり、12分ほどで無事サウナ室から脱することができた。その状態から掛け水、水風呂、外気浴は先ほどと同じ順番である。サウナにおけるリターンは、サウナ室に入った分数で決まる、これも私の中の相場で決まっており、今回もそのリターンは大きく返ってきた。1セット目で味わったあの感覚が、長く続くのである。ハイリスク・ハイリターンは、サウナにおいても言えることかもしれないが、私は少し違う意見を持つ。サウナ室にいる時間を長くすることは、私にとっては「ハイリスク」というよりも、「我慢強さ」「意地はり」による行動と言ったほうがしっくりくる。「我慢強さ」も、体調によってはハイリスクになりうるが、なんというか、単にあのリターンで得られる感覚を長く味わいたいから、辛抱強くその時(サウナ室から出る時)を待つのだ。それが、私にとっての極楽の近道なのである。

サウナでその極楽を味わい終われば、薬湯や大風呂に入ったりして、私はそのまま大浴場を去った。温泉で飲むコーヒー牛乳は、相変わらず格別であった。



今日のところは、こんなもので。

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