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旅後半にして、〇〇デビュー。

今日の朝、私は今までで1番感動する朝を迎えた。感動したのは、景色の美しさではなく(それも感動に値するけども)、人の優しさである。

そんな今日の始まりは午前5時。阿蘇山近くで行われる熱気球体験のため、久々に早起きをした。朝からタクシーを呼べばいいやという昨日の自分のアイデアが、愚考になることなんてつゆ知らずの私は、颯爽と阿蘇駅へと向かう。駅に着いた瞬間、昨晩の私の浅はかさに気づいた。タクシー会社の電話をかけても応答しない。そりゃそうだ、なんてったって今は朝の5時なんだもの。タクシーが捕まらない、つまるところ今の私は徒歩1時間のルートしか残されていない状態になった。その上遅刻確定で、希望も何も無い。一日の始まりから、絶望の果てを味わった気分になる。
早朝は、車通りの多い国道でさえ、通るのはトラックのみ。スピードと重みのあるトラックを見つけては、「あの荷台になりたい」と祈るばかりだった。駅に立ち止まっていても時間は止まらずに進み続けるので、とりあえず私も阿蘇駅から離れ、歩いて進んでみることにした。
歩いていて気づいたのは、熊本の家の造りは、随分昔に訪れた奄美大島のそれに、少しだけ近いような感じがした。なんとなく、屋根瓦の素材や形、家の塀のブロックの感じなど、随所で南国のような雰囲気が感じられた。
そんなこと感じつつ悦に入っても、やはり徒歩は徒歩。現在地が目的地から一向に近づいてくれない。困り果てながら民家を通り過ぎると、少し広い道に出た。どうやらこの道も国道らしい。「救いはここにあるかもしれない」、そう思っていると、少しずつ車通りが増えてきた。1台、2台、軽トラや普通車がバンバン通り出した。チャンスは今しかない。
恥を捨て、とにかく手を広げて大声を出してみる。周りの目なんか気にしていられない(というか田舎すぎて周りに人がいないので気にする必要も無い)。やはり世間は甘くない、数分だけ立って手を振っただけで相手にしてもらえるわけがなかった。それでも、何もやらないよりかは、やるしかない!その思いのまま、車が見えたら手を振って叫ぶという奇行を続けた。
すると、対向車線の車が、ウィンカーを出して停まってくれた。ウソ、そんなことある?車を停めた張本人は、驚きのあまり、目の前の光景が信じられなかった。よく見ると、ナンバーが熊本ではない。なんと新潟だった。先月、日本酒の美味しさに気づかせてくれたあの県の方だった。
「お急ぎのところすみません、もしお時間あれば〇〇まで送っていただけませんか?ここから車で10分ほどで行ける場所なんですけど……」無理を承知で私は聞いてみた。
「僕これから道の駅に行くんだけど……まぁ……時間はなくはないから……ちょっと待ってね」
ちなみに道の駅は、私の目的地とは真逆の方向である。ああ、これは無理かもしれないな。そう思っていたら、運転手さんは近くの広い場所に駐車し、後部座席に乗せた荷物を整理し始めた。すると人が1人乗れるほどのスペースが出来た。
「狭いですけど、ここに乗ってもらったら……」
思わず泣いてしまった。ありがとうございますと言いながら、目から涙が溢れて止まらなかった。目的地がカーナビ検索で出てこない場所だったので、私がその都度「ここを右折していただければ」などとお願いする形でナビをした。その方のおかげで、会場に無事たどり着くことができた。お礼するにも何も持っていなくて、お金を渡すしかないと思い渡そうとしたが、「いやいいですよそんなの、大丈夫ですから」と受け取ってもらえなかった。頂いた恩を返せる手段がなくてもどかしかった。後部座席から降りてから、発車した車が見えなくなるまで、とにかくお辞儀をした。ずっとありがとうございましたと言い続けた。見えなくなってから、私はまた泣いた。

目的は熱気球だったはずなのに、記憶に色濃く残ったのは、あの方の優しさだった。ちなみに、熱気球体験ももちろん楽しかった。気球の準備を手伝ってみたり、実際に乗ってみたり、普段できない貴重な体験ができて楽しかった。それでもやっぱり、ここに来るまでの道のりの記憶が、これを書いてる今も、頭の中に焼きついて離れない。熱気球帰りのバスの車窓から、近いようで遠くに見える阿蘇山を見つめる。人の優しさや暖かさに触れた経験を、心の中で反芻しては目からまた涙が流れた。


日本一周の旅を続けて、約1ヶ月と3週間が経とうとする今日、私はついに、ヒッチハイカーデビューを果たした。ここで得た恩を、私はどうやって返せばいいのだろう。あの新潟ジェントルマンに、いつかまた会えるだろうか、日本はなんだかんだで広いから、また会うのは難しいかな。
恩を返すって、字面だけ見ても実際行動に移そうとしてみても、極めて困難なことのように思える。そもそも、恩を返せた状態がどんなものなのか、私には正直分からない。
結局、今の私が出した結論は、「私の周りの人に、幸せになってもらいたい」そう祈ることである。何も持っていない今の私には、そう祈ることしか出来ない。だからせめて、私と会った時にたくさん話したり、遊んだり、ご飯食べたり、それこそ旅行に行ってみたり。そうやって周りの人との関わりを、これからも大切にしたい。

いいことも嫌なことも山ほどある世の中だけど、人の幸せは不幸の上に成り立つとか言う世の中だけど、それでも私は、他人と、自分と、向き合って生きていきたい。私にとっての幸せは、人と向き合うことで得られる「対価」だと思うから。こんなご褒美は、人と生きていかないと得られないらしい。今日は朝から、そんなことを学んだ日。

(一時期は人との関わりを一切持ちたくなくて、SNSも見るのもやめて、自分の部屋で一人塞ぎ込んでいた私が、「対価」とか言うなんて。人生は何があるかわからんね。)




今日のところは、こんなもので。

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