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【アニメレビュー】ゾンビランドサガ、思ってたのと違う

ゾンビランドサガ、もしかしてメチャ面白いやつかもしれない。

面白いと言ってもギャグ的な面白さではない。いやギャグも面白い。だがそれ以上に骨太で真摯なエッセンスを、『第6話 だってセンチメンタルSAGA』から感じた。

この記事はゾンビランドサガの視聴おすすめ記事かもしれない。

ゾンビランドサガは『ギャグ死』『アイドル』『ゾンビ』、ついでに『佐賀県』を盛り込んだMAPPA+エイベックス・ピクチャーズ+Cygames共同制作のオリジナルアニメだ。Cygames制作のアニメと言うと神バハGENESISもウマ娘も良かった。若干期待して観始めると、開始1分14秒で主人公が軽トラに轢かれた。何事だよ。


・ギャグアニメじゃないかも

ゾンビランドサガのあらすじは、一度死んでゾンビとして蘇った7人の少女(一部を除く)が佐賀県を救うためアイドルになるというものだ。書いてて合ってるのか不安になってくる。救済を必要とするほど悲惨なのか、佐賀県の現状。

蘇ったゾンビたちは一筋縄ではいかない奴らばかり。ゾンビ主人公は頭部に裂傷の縫合痕とヒップホップの才能があるが死ぬ前の記憶がない。ゾンビ特攻隊長はたまごっち世代で不良なので態度も柄も悪い。ゾンビ天才子役はやたら明るいがたまに心臓がハミ出しているし、ゾンビ花魁に至っては新撰組とかの時代の出身な上、首に縫合痕がある。ゾンビ山田たえは人間らしい意識がなくオランウータン並みの行動を繰り返す。あと鶏の真似が上手い。

ここまでリセマラだったら引き直しを考えて差し支えない感じのメンツなのだが、SSR枠の『昭和伝説のアイドル』と『平成伝説のアイドル』は思考回路もまともで、身体のパーツも比較的大丈夫。が、思考がまともなだけあってゾンビがアイドルをやるということに懐疑的である。当たり前だ。メイクで外見を整えても頭が取れるんだぞ。ポロリという言葉で済ませていいことではない。

そんなゾンビが大渋滞な新生ゾンビグループは思った通り思い通りにはいかず、プロデューサーである巽によって半ば無理矢理持ってこられた仕事も、なんとかギリギリ失敗とは言えないくらいにはやっていけているかなぁ? みたいな感じでしかないというのが5話までのハイライトだった。なかなか上手いこといかない原因は彼女らがゾンビであることだったり(何しろ頭や腕が取れるので)、そもそも彼女たちがアイドルグループとして未熟であることだったりした。

だが5話で転機が訪れる。『ドライブイン鳥』という飲食店のCMキャストに抜擢されたグループは撮影をなんとかこなし、事実上の地上波デビュー。ささやかながらファンを獲得することに成功する。

ファンを獲得してしまったことが、おそらくこのアニメのターニングポイントとなる部分だったのだろうと個人的に思っている。その理由は当たり前で、今までの「知名度ゼロのゾンビ7人組が失敗スレスレのところで低空飛行しつつも何とかささやかに成功する」というフォーマットはもう過去のものになってしまうからだ。7人組がファンのついたアイドルグループである、という下地をしっかりと獲得した以上、7人組は次のステップへと進まざるを得ない。進まなかったら続き観ない。

そしてゾンビたちのアイドル活動が平穏にいくはずもない。それどころかアイドルグループとして成立してしまったからこそ、彼女たちは目の前のこと、ファンの数や仕事の是非だけじゃない、もっと大きな問題に立ち向かわないといけなくなる。そんな予感を提示したのがゾンビランドサガ第六話「だってセンチメンタルSAGA」だ。

・ゾンビだし、アイドル

第六話「だってセンチメンタルSAGA」は前述した生前アイドルだったふたり、平成アイドルの愛と昭和アイドルの純子に焦点を当てている。愛はサバサバ系で自己が強く、純子は虫も殺せないタイプだ。

6話でゾンドル7人組はささやかなファンとチェキ会を開催する。が、昭和に生き昭和に死んだ純子は「アイドルが舞台から降りてファンと触れ合う」という行為をすんなり飲み込むことが出来ない。彼女にとってアイドルとは文字通り象徴であり、ファンを魅了こそすれどファンと一体になることは決してない存在だからだ。チェキ会を生前行なっていた愛は、昔と今では事情が違うと純子に言い聞かせるが、アイドルに人生を捧げた純子にも純子の意地がある。

結果的に口論になり、純子は屋敷(注釈:家です)を飛び出してしまう。飛び出した先で主人公と会った純子は、自分がアイドルとしてまさにこれからだったこと。そんな最盛期を目前にして飛行機事故で死んでしまったことを告白する。

アイドルの在り方とか死因とか突然真面目な話が始まったな、と驚いている暇もなく、今度は愛へと焦点が映る。そこで語られるのは「ライブ中にステージで事故死した」という過去。愛の死因はステージへの落雷で、今までのゾンビランドサガならギャグで流されそうなものだが、回想は非常に重苦しくショッキングなものとして描かれた。なんというか、笑ってもおかしくないような絵面だったけれど笑えなかった。

そして愛は「もう一度ビッグなアイドルとしてステージに返り咲いてやる」という情熱を吐露するのだ。愛はまさに『起死回生』のチャンスとしてゾンビ化を捉えている。一度は理不尽にも墓標の下に沈んだ自分が、ふたたび這い上がる絶好の機会なのだと。

だが彼女だって無敵のメンタルを持つわけではない。怪我どころか自分の死因となった雷は未だに恐怖の象徴だし、本当に今の7人でやっていけるのかもわからない。

けれど「私はまだ終わってない。私はここにいる。過去なんかじゃない。ゾンビでもなんでももう一度あのステージに立って……」と語る、そんな愛の姿は脆くも美しいものに見えた。第2話で「ゾンビだからといって腐ってんじゃねぇぞ」とシャウトした主人公が彼女の胸の内に火をつけ、それが溜まりに溜まっていた無念とか怒りとかに引火して、愛の内で弾けたのだ。

ゾンビランドサガって、こんなに真面目なアニメだったっけか。

俺の知ってるゾンビランドサガは、なんか腕が取れたり、犬が噛み付いたり、首が取れたり……。

とか考えていると、巽の口から佐賀の音楽フェスの新人枠として7人組が出演することが決定したと告げられる。まだ愛と純子は全く仲直りしておらず、しかも野外ステージだ。野外ステージといえば、愛の死因である。重苦しい雰囲気を残したまま、第6話の幕が閉じる。


死をギャグとして流していたゾンビランドサガはその化けの皮を剥がし、死を取り返しのつかないものとして、ゾンビを逆転の機会として再定義した。「ゾンビのドタバタコメディ」は「人生の絶頂を直前にして死んでしまった少女たちが、現世に蘇り今度こそ栄光を手にしようとするリベンジストーリー」へと進化しようとしているのかもしれない。「ゾンビ」や「アイドル」といったコテコテのコンテンツを、違った側面から描こうとする、そんなアニメがゾンビランドサガなのかもしれない。

今はただ、続きを待つのみである。次回予告では在りし日を彷彿とさせる、雨降る野外ステージが描かれていた。きっと雷も鳴るのだろう。

早く第七話が観たい。

(三楼丸)

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