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HSPだからこそ自分らしく生きることを諦めたくなかった話し No.15


HSPって聞いたことありますか?


HSPとは生まれつき
【非常に感受性が強く敏感な気質をもった人】
という意味で「Highly Sensitive Person (ハイリー・センシティブ・パーソン)」の略称です。


HSPの中にも種類があって
わたしの特性はどうも
HSS型(外に向かって刺激を求める気質)
HSE(外交的な気質と繊細な気質をもちあわせている)
かなと今は思っています。


加えてエンパスや巫女気質もあると
自分と仲良くなりはじめた頃から
はじめて聞く言葉や
人からそう言われることが多くありました。


だけど!
今日はそんな話しがしたいのではなくて
タイトルに書いた通り
【HSPだからこそ自分らしく生きることを諦めたくなかった】とゆうことです。



興味ない方はどうぞここから
画面を閉じちゃってください^^




🐬💫🐬





HSPだから、、、エンパスだから、、、と言って同情してほしいわけではありません。
その言葉をはじめて知った時
HSPに関しては確か2020年頃だったと思います。それまで
なんでこんなに生きづらいのだろう?
なんでみんなが普通に馴染める社会に
私は馴染めないのだろう?
なんでこんなにも敏感に
言葉や態度を受けとってしまうのだろう?
なんで自分の心の声に正直に生きると
こんなに反感や怒りを喰らうのだろう?
なんでそれをやるの?なんでそこに行くの?
なんの為にやるの?と
ひとつひとつ正解や理由を求められるのだろう?
沢山のなんで?をわたしの中で感じて生きてきました。繊細すぎる自分のことが嫌いでした。



強くなりたい!変わりたい!
小さなことを気にしない自分になりたい!
といつも思っていたと思います。
だからHSPとゆう言葉と出会い
自分がそれに当てはまると分かった時
ものすごく安心したのを覚えています。
HSPに限らず、自分と向き合い自分をより深く知ることは今よりも生きやすくなる為の
ひとつの手段だと思います。



だけどもだけども
自分はこうだと
偏りすぎず
縛りすぎず
決めすぎず
適度な曖昧さも必要だったりもする
バランスだよね。やっぱり。







HSPやエンパス、加えて巫女体質
(スピリチュアルな話しが
したいわけではありません。)だと知った時
今まで感じてきた疑問が晴れて
安心したのと同時に
この特性を活かして自分らしく生きる方法
無意識のうちに探していたのだろうなと
今振り返れば思います。




わかりやすくHSPと公言したけれど
私たちって多かれ少なかれ
悩みとか想うこと考えることって
あると思っています。
それこそが生きている醍醐味だから。

わたしは相反する特性が強すぎて
そのことを自分自身でわかっていたからこそ
うまれる矛盾や葛藤を自分で受けいれることが
とっても簡単ではありませんでした。
ややこしいよね。わかってますとも😊
それでも自分は正しいって正当化していた時が
いちばん息苦しいもの。
善悪でジャッチせず
ただややこしや〜ってことを
自分で受けいれて認められたとき
世界は優しくなりました


自分で受けいれることができないものを
他人に受けいれてもらおうとしていた時は
本当に辛かったなぁ〜
そしてなんて自分は傲慢だったのだろうと
経験したからいえます。
自分自身で受けいれることができない限り
みんなから受けいれてもらえることは
ないんだよね。




話しが脱線してばかり
ごめんね




何が言いたいかってゆうとね
✨すべて個性であり唯一無二のカラー
✨これを短所にするのも長所にするのも
自分で選べるってこと




わたしは〇〇だからと
(〇〇のところはなんでもいいのだけど)
公言して
自分らしく生きることから逃げたくなかった
自分の特性を活かし上手に使い
生きることを諦めたくなかったのです。
せっかく与えてもらった
この特性 特徴 は最大のギフト
それをどう自分らしく
この社会で輝かせることができるかを
探求していたのだと思います。
果てしなくその作業はひたすら地味です。
自分と向き合い続けてきたこと
きっとこれは命あるかぎりずっと続いていくことだろうなと感じています。




もちろん
誰にもわかってもらえない時もありました。
やっぱりわたしは孤独なんだと何度も何度も
ひとりで涙を流した日もあります。
深く傷つけてしまった方もいると思います。
だけど
誰にもわかってもらえないのは
わたしがわたしをわかってあげてなかったから。

孤独なんだと涙を流すのは
わたしがわたしを抱きしめて愛してあげることができていなかったから。

深く傷つけてしまったのと同時に
わたしも深く傷ついていたのだと思います。





自分を愛する
セルフラブってよく聞くけれど
自分を愛することって
わたし達のような特性をもつ人達にとっては
そんな簡単にできるものでもないし
容易にできてたまるものかとも思うし
生半可な優しいものではないんだよなぁ。





誰かに幸せにしてもらおう
誰かに愛してもらおう
他人に自分の価値や幸せを預けていたときでも
自分をとことん愛することができなかった時も(自分を愛する。
自分と仲良くなるは永遠のテーマです

きっとわたしだけはわたしの味方で
あり続けたかったし
わたしだけはわたしを裏切りたくなかったから
今ここにこれを
書き綴らせてもらうことができています。




わたしは幼い頃から身近な人達とのお別れが
同年代の子よりも多く、
生きるってなんだろ?と死生観について
考えることも多かったと思います。
介護施設で働かせてもらっていた時に
いつも寄り添わせてもらっていたおじいちゃんやおばあちゃんが突然亡くなられた時
先輩達に割り切りなさいと何度も言われたけれど、涙は止まらないし数日間ずっと考えてしまうほど。いつだってどんな時も
何者でもないけれど生きることを生きて
生きることと向き合い続けてきたひとです。





寄り添えあえる世界になっていくことを
夢見てるのではなく
そうなっていくと今ここから信じています。
その1人にまずはなろうと思って
いつも生きています。

社会も相手も変えられないけれど
自分の考え方や捉え方はいつでも変えられる。



そして、心にとめていること。
自分があたりまえにできることが
みんながあたりまえにできるとは限らない
誰かの普通とわたしの普通が
同じである必要はないし
みんなができて
わたしにできないことがあっても大丈夫。
個性を尊重しあえる世の中になってほしいって
ずっと心の中で思っていたことを
つい最近思い出しました。




補いあい助けあい寄り添えあえる世界
🌈




そしてね
願わくば
生きずらさを感じ
それを隠して生きてきたわたし
そんなわたしの創造から生み出されるなにかで
クリエイションしていけるものって
なんだろう?って考えてきたし
今も試行錯誤しながら生きてる。
たしかに世の中そんなに甘くない。
のかもしれません。
何十回と言われてきました。
だからこそ
同じように感じている人が
もがいている人が
わたしが先輩達の光る背中を見ていたように
わたしも誰かのひとつの灯火になれたら
最高やん!と密かに思ってます。
(もう言っちゃたね😂)




誰かの基準ではなくて
わたしが心から豊かで幸せやなぁ〜って
微笑みあえる暮らしを体現し続けること
だからまずはわたしが想う
ちいさな幸せをこれでもかってぐらい
紡いで気持ちよく生きること✨





だけど、ひとつ言えることは
もう今すでに小さい循環だけど
それははじまっていて
わたしは胸はって
今が一番しあわせと言える自分になりました😊
ありがとう ありがとう





わたしは生きるのが器用ではありません
器用に生きることができる人達が
ずっと羨ましかった。
ときに、器用に生きている人達の真似を
してみたこともありました。
だけど心に正直にしか生きられないわたしは
うまく笑えなくなるのです。




そしていつもわたしが言っていること
自分のネガティブはポジティブに変えられる
HSPで巫女体質でエンパスだからこそ
紡ぐ言葉はうまれると思っています。
きっと見てる景色ひとつでも
誰かが綺麗と想うひとつの切り取りを
わたしは身体中からわぁ〜〜〜ってなるぐらい
美しいと感じています。
ちいさなちいさなしあわせを
生きててよかったーと感じるぐらい
毎日味わっています。


大丈夫。
ギフトだから。全部ね。
あなたにしかない。唯一無二の。




本当の強さって
自分の弱さを見せないことでも
見て見ぬふりをし続けることでも
ないんじゃないかなって思います。
弱さも強さも受けとめることができて
弱さも全て自分の中で
認めてゆるせて愛せた先に
また立ち上がれること
それが真の強さだとわたしは思います。




自分を生きることを選んだのなら
毎日いろんなことあるけれど
それを自分で選択したのなら
自分を生きることを諦めてほしくないなって
わたしは思います。
辛くなったときは
わたしはここにいること思い出してね。




最後に!
本当はずっと悔しかったのです。
ものすごく。
ひとりで泣いちゃうぐらい悔しかったから。
今でも心ない言葉や態度に
胸がギュッて苦しくなります。
だけど、その悔しさは
わたしじゃない人達に向けても
なにも変わらないのです。
全部わたしの反映だから。
相手は変えられない。
相手の気持ちはコントロールできない。
じゃあ、自分は変われる
自分の考え方はコントロールできる。
わたしはわたしがより愛になる為の
バネにしてきました。
小学生の時担任の先生に言われたのです。
「琴音ちゃんの負けず嫌いは他人を蹴落として
這い上がるものではなくて
自分と向き合い続けるものだね」と。
小学生の頃からなにも変わってないね〜笑




ある方に言われた言葉があります。
「琴音ちゃん!誰に何と言われても突き抜けるんだよ。突き抜けるか抜けないかの時こそが
一番辛いと思うけど、あなたは大丈夫だから」
この言葉がふとしたときに
その方の声の音となり
わたしに飛んできてくれます🕊✨



だからそのまま
必要な方に届くようにここにも
書き残しておきます。



誰に何と言われても突き抜けるんだよ。
突き抜けるか抜けないかの時こそが
一番辛いと思うけど、あなたは大丈夫だから。



きっといつかこれを読み返した時の
自分にとっても
応援コラムになるはずだから☺️




何者でもないわたしだからこそ
一緒に今感じあえる歓びとか
同じ目線からみえる景色があります。
わたし達らしく輝ける美しさ
味わえあえるし 
寄り添えあえると思っています。
一緒に成長していこうね
今日もわたしはわたしが想う
しあわせを紡いで 楽しく生きていくよ

\わたしはいつでもここにいます/





最後まで読んでくださり
ありがとうございます😊



活動内容はこちらから

https://lit.link/hearttoheart2525

お気軽にメッセージください^^





今日もありがとう
愛しています



〜はじまりはちいさな安らぎから〜
Little calm  🌻 乾 琴音



ありがとうございます🥰