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小論文・志望理由書では話し言葉は禁物!③ ら抜き言葉のケース

更新日:2024/09/09

 小論文・作文指導者の〆野が普段の添削・採点指導で教えている、文章作成における基本事項を紹介するのが、このシリーズ【文章作成の基本】。

(〆野の自己紹介はこちらから見られます。)

 以前から、小論文や志望理由書で話し言葉を使ってはいけないということはお話ししています。

(なお他の話し言葉については、以下の記事で扱っています。)

 しかし、今回挙げる、いわゆる「ら抜き言葉」は、正しい表現かそうした話し言葉(俗的な表現)かのボーダーライン上にあり、判断が難しいところです。ただし結論から言うと、「現段階では、小論文や志望理由書に『ら抜き言葉』は使うべきでない」と言えます。それについて、他の文章から引用しながら、お話をしていきます。


「ら抜き言葉」は、小論文や志望理由書でやはり使うべきでない。

文章で話し言葉はNG。では、「ら抜き言葉」は……?

 まず「ら抜き言葉」について説明します。助動詞の「れる・られる」がありますが、これらの使い分けは、何活用の動詞に付くかです。先行する動詞が五段もしくはサ行変格活用(サ変)の場合は「れる」、それ以外の上一段・下一段・カ行変格動詞(カ変)の場合は「られる」が付きます。これらは未然形接続の助動詞なので、先行する動詞は当然全て未然形になります。

 下一段動詞「食べる」を例に挙げると、これは「べ・べ・べる・べる・べれ・べろ(よ)」と活用しますから、未然形は「食べ」、そしてこれは下一段なので「られる」が付きますから、「食べられる」が文法的には正しいわけです。

 しかし、この「食べられる」を「食べれる」としてしまうケースがあり、これを一般的に「ら抜き言葉」と言います。

 これで文法的に「ら抜き言葉」が正しくないということはわかると思いますが、実はこの問題はそう単純ではありません。というのは、「ら抜き言葉」は現在正しい日本語か正しくない日本語かの間(はざま)に立っているからです。

「ら抜き言葉」は「正しい日本語」に変わりつつあるが……?

 まずはこちらの文章を読んでください。

  いわゆる「ら抜き言葉」とは可能の意味の「見られる」「来られる」等を「見れる」「来れる」のように言う言い方のことで,話し言葉の世界では昭和初期から現れ,戦後更に増加したものである。「ら抜き言葉」 (例:「見れる」)を専ら可能の意味に用い,受身・自発・尊敬(「見られる」)と区別することは合理的であり,五段活用の動詞(例:「読む」) における可能動詞(「読める」)と同様に可能動詞形と認めようとする考え方や,「ら抜き言葉」の増加は可能表現の体系的な変化であり,話し言葉では認めてもよいのではないかという考え方もある。書き言葉においても分野によってはその使用例が報告されている。
 しかしながら,この言い方は現時点ではなお共通語においては誤りとされ,少なくとも新聞等ではほとんど用いられていない。世論調査(平成7年文化庁) においても,「食べられない/食べれない」「来られる/来れる」「考えられない/考えれない」についてどちらを使うかを聞いたところ,3例とも本来の言い方(「食べられない」「来られる」「考えられない」)を使うという答えが,平均7割を上回った。
 国語審議会としては,本来の言い方や変化の事実を示し,共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねるとすべきであろう。さらに, 「ら抜き言葉」については,次のような観点から今後の動向を見守っていく必要があろう。
①話し言葉か書き言葉かによっても,違う面があること。
②一段動詞全体のどこまで及ぶか。語形の長さや使用頻度,また,活用形によって,「ら抜き」化の程度が異なると思われること。
③北陸から中部にかけての地域及び北海道など,従来「ら抜き言葉」を多く使う地域があるといった地域差の問題を考慮する必要があること。また,近年は東京語自体も様々な地域の言葉の流入によって変化しており,「ら抜き言葉」の方がリズムやスピード感があってよいとする声もあること。

第20期国語審議会における「新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)」

 これは、第20期国語審議会における「新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)」の「ら抜き言葉」について言及している項目です。識者が集まる審議会ではこのような報告があります。

・「ら抜き言葉」は、話し言葉として昭和初期から現れ戦後さらに増加した。
・「ら抜き言葉」は専ら可能の意味で用いられ、その使用は合理的である。そこから、「読める」のような可能動詞としてそれを認める考え方や話し言葉として認めてよいという考え方が出ている。
・書き言葉においても使用例がある。

「新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)」のまとめ

 つまり、「ら抜き言葉」がある程度日常の使用においては定着していることを認めてはいます。しかし、現段階の結論はこうです。

・共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は認められない。

「新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)」のまとめ

 「ら抜き言葉」を正式には認められないと言っています。その根拠として、以下のものを挙げています。

・共通語では誤りとされ、新聞などではほとんど使われていない。
・平成7年の世論調査でも、ら抜き言葉ではなく本来の表現を使うという人が平均7割を上回った。

「新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)」のまとめ

 つまり公のメディアがほとんど使っていないことと、約7割の人が「ら抜き」でない本来の表現をとることから、「ら抜き言葉」の改まった場(正しく用いる場)での使用は認められない、ということなのです。ただし、その後、こう続けています。

・今後の動向を見守っていく必要があろう。

「新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)」のまとめ

 「ら抜き言葉」が今後どのように受容され定着していくのかを見守る必要はあると結んでいます。

まとめ ~今の段階では「ら抜き言葉」は文章で使わない~

 言葉は生き物です。ですから、日本語もこの後の時代で変わり、やがては「ら抜き言葉」が正しい表現となるかもしれません。しかし、今の所は、話し言葉としてよく使われていても、文法的にも誤りがあり、また話し言葉である以上、文章に「ら抜き言葉」を使うのは避けた方がよいでしょう。小論文や志望理由書には、「ら抜き言葉」は使わないようにしましょう。

参考資料:文化庁HP


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