399円のとりめしに詰まった、ささやかな思い出。
たかが、とりめし。
されど、とりめし。
“とりめし“に詰まった夕焼け色の思い出を
私は突然知ることになりました。
* * *
日が長い夏の休日。
明るいからとのんびりしていると、
気がつけばもう18時!!!
「ご飯の準備しなきゃ。」
と、言いつつもエンジンかからず。
見かねた旦那さんが…
「今日はほか弁にする?」とひと言。
ん?晩ごはんにほか弁?
頭の中を葛藤と疑問が、巡り巡ります。
休日で時間があるのに、
そんな手抜きをしていいんだろうか?
今日は朝からほとんど野菜を食べてないし、
(ラーメンにのってたメンマとネギぐらい)
食事のバランス悪すぎない?
晩ごはんの食卓にほか弁って寂しくない?
そもそもほか弁ってなに?
ほか弁に馴染みのない私は、
未知の晩ごはん提案に戸惑ってしまいました。
「とりめしが美味しんだよねー。
ま、昨日も夜勤前に食べたんだけどね。」
えっ?昨日も食べたの?
連日でも食べたくなる“とりめし”って…。
そんなに魅力的なの?
好きなものを共有したい旦那さんが
見せてくれたのは、ほっかほか亭のホームページでした。
そこには、ごはんの上にカットされた唐揚げが
お行儀よく整列した、“唐揚げめし”と呼びたく
なるような写真が載っていました。
これが“とりめし“?
私のなかのとりめしは、
「鶏肉の炊き込みごはん」でした。
イメージとはかけ離れていたけど、
鶏肉を使ってるから、とりめしには違いない。
「昔ね、家族でほか弁食べるとき、
僕と父さんはいつもとりめしだったんよね。」
そう、懐かしそうに旦那さんは言いました。
短い言葉のなかに、思い出の片鱗が見え隠れ。
旦那さんのお父さんは、1年半前
結婚のご挨拶へ行く前に、なんの前触れもなく
病気で他界してしまいました。
私は一度も会うことができませんでした。
厳しくも面倒見のいい優しいお父さん。
きっとその昔、お疲れのお母さんを気遣って、
お父さんが「ほか弁にしよう!」と提案したのかもしれません。
私に旦那さんが提案してくれたように。
西日が差し込み、夕焼け色に染まるリビングで
とりめしを美味しそうにほおばる親子の姿が
目に浮かびました。
そんな、お父さんの思い出に触れたくて、
とりめし案に一票を投じることにしました。
そして、初めてわが家の食卓にほか弁がやってきました。
唐揚げと甘辛タレとごはんのハーモニー。
とりめしを巡るよもやま話。
笑顔が重なる楽しい夕食となりました。
たまにはとことんラクする日があってもいい。
野菜不足は明日補えばいい。
満腹感とともに、おおらかな気持ちに満たされました。
思い出は日常のひとコマにいる。
特別なイベントがなくても、高級フレンチを
食べなくても、思い出になることってたくさんある。
ふと思い出す日常の光景こそが、その人をつくる
大切な心の記憶になっていくんだ。
今は気兼ねなく旅行も帰省もできない。
だからこそ、当たり前と見過ごしがちの
日常をもっと大切にしよう。
そう思えた夏の夕暮れでした。