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寅吉とじいちゃんの約束【ある春の物語】


風がひとひらの花びらを運んできた。

私は、髪に付いた桃色のそれを指でそっと摘む。

そして、寅吉の頭の上に置いてみた。

うん。よく似合う。



寅吉は、じいちゃんが飼っている柴犬だ。

正確に言えば、“飼っていた“柴犬だ。


今日はじいちゃんの葬儀で、朝から母さんと叔母さんが準備に追われている。
もうすぐばあちゃんも施設から一時帰宅するそうだ。

私はなんだか居場所がなくて、大きな桜の木が鎮座する庭にでて、寅吉とおしゃべりしていた。

「寅吉、じいちゃんはね、もう帰ってこないんだよ。」

《そっか。そんな気がしてたよ。》

寅吉はそうつぶやくと、目を細めて遠くを見た。


《出会いは桟橋だったんだ。釣り船から降りたじいちゃんが、痩せ細った野良の僕を見てね。
『腹へってんだろ?』って言って、家に招いてくれたんだ。》

「じいちゃん、優しかったもんね。」


《うん。そう、僕には特にね。
でも、最初から甘やかされてたわけじゃないんだよ。
僕とじいちゃんの絆が深まった、ある事件があったんだ。》

「あ、それちょっと聞いたことあるよ。近所の犬に襲われたんだっけ?」


《そう。あれは本当に死ぬかと思ったよ。

じいちゃんと散歩してたら、近所のハスキーが2匹脱走してて、急にじいちゃんに向かって突進してきたんだ。

僕は必死に戦ったよ。

相手は2匹。勝ち目はなかったけど、ヤツの足に嚙みついてやったさ。

そしたら、すごい剣幕で怒って追っかけてきて、反対に噛まれまくったね。
いやほんと、情けない話さ。


気づいたら僕は真っ暗な山の中に倒れてたんだ。

(きっとじいちゃん心配してる。早く帰らなきゃ。)

最後の力を振り絞って山を降りて、ようやく家の近くまで帰ってきた。
暗い夜道をよたよたと歩いてると、向こうから大声をあげて駆け寄ってくる人がいたんだ。

すごい勢いで近づいてきたと思ったら、痛いぐらいぎゅっと強く抱きしめられた。

(あ、じいちゃんの匂いだ。)


そう、じいちゃんは僕の帰りをずっと待っててくれたんだ。

うれしかったね。

誇らしかったね。

だって僕はじいちゃんを守ったヒーローだから。

でも、じいちゃんは「ごめんな、寅吉。」って言って、ずっと、ずっと泣いてたんだ。


そんなじいちゃんを元気づけたくて、僕は奇跡的な回復を見せた。

だって、またじいちゃんを守らないといけないからね。》


「そっか、それで寅吉はいつも、じいちゃんの側で護衛係してたんだね。」


《うん。 だって、じいちゃんと約束したんだ。
『どんな時も、何があっても、僕がじいちゃんを守るから。』って。》


寅吉はそう言うと、空に向かって力強く吠えた。

《ワンワン ワオーン》


寅吉の頭に置いた桃色のそれが、風に運ばれ空に舞った。

まるでしゃぼん玉のように、美しく、儚く。





翌朝、穏やかな春の陽気に誘われて、散歩に行こうと寅吉の小屋をのぞくと、じいちゃんが使ってた毛布にくるまった寅吉が、覚めることのない眠りについていた。


寅吉は、大切な約束を守るため、じいちゃんのところへ行ったんだ。


うれしそうに寅吉を連れて散歩するじいちゃんの姿。

じいちゃんの隣で誇らしげに歩く寅吉の姿。

1人と一匹の幸せそうな姿を想いながら、満開の桜を眺めた。


* * * * * *

これは、yuca.さんの企画です。

小説を書くのは初めてだったので不安でしたが、お題があるので書きやすかったです。

祖父から聞いた愛犬の話を元に書かせてもらいました。

今ごろ祖父は、天国で愛犬たちに囲まれながら、私たちを温かく見守ってくれていると思います。


企画の記事はこちらです。
yuca.さん、春らしい素敵な企画をありがとうございました!

そして、この企画を知るきっかけをくれた、もつにこみさんの記事もぜひ読んでみてください。

もつにこみさんのおかげで、小説にチャレンジできました。
ありがとうございます!