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短編・実話怪談『心霊”未遂”事件』  ~碧い外灯~



 踏切や交差点、商店街の入口周辺といった場所で夜間に自動で点く『青い外灯』がたまにあるのって、見たことありますか?基本的にはオレンジや白の照明が普通なんだけど、部分的に真っ青なんですよ。

 色による心理的効果ってあるんですよね。赤は血の色だから興奮するとか、黄色は食欲が促進されるとか。
 青は空や海の色で大衆的には落ち着く色、精神安定とされている。カラーセラピー色彩心理学があるほどに色による心理的影響ってバカにできないらしいです。だから青の照明の実際に使用用途としては鎮静色、開放感なので
・犯罪防止
・注意特記
・自〇防止
 とかの効果が見込まれていて、どこかは忘れましたけど海外の犯罪が多発している地域での実験で外灯を青に変えるだけで犯罪率が下がったっていう、低コストで犯罪減少効果があったとして結構あちこちで取り入れられいるんですよ。なので事故や事件が起きやすい場所、踏切や交差点、若者が暴れたり喧嘩しやすい場所を青い照明に変えていっているとこも多く、低燃費でもあるLED照明に替えるついでにって計画している自治体もあるんです。

 まぁそれを知っていたとして、そんなそれらしい場所での設置ならまだ分かりますよね。

 僕の地元、まぁ結構な田舎なんですけど「なんでここに?」って今思えば意味が分からない場所に、しかもけっこう沢山あったなってこの「青いライト」の話を聞いた時に思い出したんです。
 何線かとかまでは言えないけど、田舎には無人駅って結構あるんですよね。この辺の人にはいまいちピンとこないかもしれませんが、人の乗車率が多い駅には点々と駅員さんが常駐していて、僕が小中学生だった時の学校の最寄り駅も無人でした。現に殆ど学校の生徒しか使わなかったし全校生徒が駅を多用する朝時は先生が駅で見張りをしたりして。

 あ、因みに僕は今の大学で「オカルト研究サークル」に入っていて、副部長なんです。まぁ部員がたった五名で、残り三名は他の部の勧誘とかがウザイって理由で入ってるようなものなんですがね。廃部にされないように人数稼ぎとしてこっちも使ってますが。

 何か新しい課題がないかなーと考えていた時に、この青いライト話を聞いてすぐに調べてみようと思いましたね。そんな事故や事件が多いと証明された青い照明。あ、ダジャレじゃないですよ。その周辺ならなにか心霊現象が多発しているんじゃあないか、とね。部長に言ってちょうど僕は夏休みに実家へ帰る予定だったんで誘ったんだけど、部長も帰省するって言うので、同じ部に形だけ所属してほとんど顔を出さない佐伯さん(仮)って女子がいまして、その子は地元が同じ県なんですよ。北の方と南の方で大分と離れているから完全なジモティーって訳でもないんですが、その佐伯さんに声をかけてみたんだ。そしたら意外とノリノリで。

「言っとくけど大体は他のスポーツ系の勧誘を簡単に断る口実でいるけど、一応に嫌いじゃないからここに所属してんだからね。断るだけなら別に写真部でも落語研究会でもいいんだから」

 とのことでした。
 佐伯さんは身長が170センチを超えていて、僕より大きいんです。だからバレー部やバスケ部から頻繁に声がかかるらしい。でも本人は筋肉が付くのが嫌だし爪が剥がれるからって言っていた。普段はバイトと個人で動画活動もしているらしく、サークルや部活をしている暇があるなら自分のしたいことをやりたいという主義だそう。

 まぁとにかく僕や部長程ではないけどオカルトに興味はあるらしく、帰省の交通費をこっちが出す条件で手伝ってくれることになりました。後、面白そうだったら個人の動画で心霊コーナーにしたいってのもあって。


地元


 地元へ帰省してすぐ、先ずは何のプランもなく僕が知ってる「青い外灯」が立ち並んでいたと記憶している母校の最寄り駅の裏道へと向かった。全校生徒が学校へと続く道とは反対側で、忘れ物を取りに学校へ戻った時に遅くなった夜にしか目にしていなかったので自分の記憶が正しいかと不安もあったし、佐伯さんはそもそもそんな青い外灯にピンときていなかったので、どんな物なのかを見せたかったのもあった。まだ明るいうちにその周辺がどうなっているのかの確認や個人的にノスタルジーに浸りたかったのもあって。
 自宅周辺もだけど学校周辺こそ本当に何もない田舎なので、中学になってもそこらで夜まで遊ぶってことは先ずない。無人駅が大半な線でもあるから、終電もめちゃくちゃ早い。確か22時ぐらいには上がり線は終了していたから、調子に乗って過ぎると親に面倒くさい程の小言が炸裂することになるからね。

 ありがたいことに僕は私立に通わせて貰っていた。恐らくだけどその駅や周辺も僕が言っていた学校が支援していた可能性もある。それらの青い外灯も、もしかすると学校が設置したのかもしれない。当時の先生がまだ誰か残っててくれてれば学校側に取材したかったが、帰省した当日はもう夕方だったのもありアポも取っていないので大人になった僕は少しはばかることにした。
 電車を乗り継いでなんとか母校の駅まで到着したそのころには、もう太陽は沈もうとしていて丁度あちこちと外灯が点灯している時間だった。LED照明は十年ぐらい持つし省エネだから昼間も点いているのかもしれないけどね。
 この駅の周辺は他の無人駅と違い自転車置き場や駐車場、自動販売機と昔と変わらず不自然なほどに設置されている。でも売店とかコンビニは無いんだよね。駐車場周辺はオレンジ色の外灯で照らされていて駅周辺は明るい。尚更まるで学校があっ旋している空気を感じる。子供の頃はそんなのは一切気にせず感じることはなかったけど。
 通学路はここから左へ、主要道路を上がり徒歩三十分って場所にある。確か青い外灯は駅を出て右へ、踏切の線路を渡りそして左へと下る道がある。完全に周囲が暗くなる前にその下り道へと行くと、答えは直ぐに分かった。下り道の線路側は生い茂った草木が緩やかな斜面と共にあり、線路道は簡単なフェンスで囲われているだけでした。間違えたり、人生として良くないことを思い立ったり、酔っ払いや勢いで線路へと飛び出さないようにとこの道沿いに青い外灯を設置したという雰囲気を醸し出している。
 ・・・に、してもまぁ二、三十メートルは続く青い風景は少し気持ち悪い印象を受けた。踏切周辺で人の動線なんかを考えながら考察していると、どんどんと暗く夜になっていった。佐伯さんは

「へぇ、これかぁ、本当に青いね。ちょっと向こうまで行ってみるね」

 と言って恐れることもなく青い斜面を動画や写真を撮りながら一人で歩いて行った。僕はここで一人になりたくなかったから直ぐに佐伯さんを追いかけた。青い外灯が等間隔で並び道と佐伯さんの後ろ姿が真っ青に染まっている。スマホで撮影しながら振り返る佐伯さんの顔も真っ青で、そして色白な肌はまるで死人かのように見え、ぎょっ、とした。僕の顔も同じように見えたのだろう。スマホの画面を見ながら

「ぎゃあっ!」

 と可愛くない声が咄嗟に溢れた。お互いに道中、会話もそんなになくずっと気まずい雰囲気でここまで四時間以上きたけど、初めてお互いに爆笑してしまった。笑いながらお互いの顔をまた見ると、青白い笑顔がケラケラとしてキモ怖面白いというのはこういうことかと実感した。よく迷惑系っぽい動画配信者が許可も取らずにちゃんとしたお祓いや礼儀も無く、面白半分で心霊スポットへ行く動画を見ては胸くそ悪くしていたけど、その楽しさは分ってしまった。緊張からの緩和だ。
 そのまま二人で青外灯の終わりまで進み、引き返す。坂道の下から見上げる蒼道は、まるで異界への道のようにも見え、夏なのに寒気を感じた。僕はオカルトは好きだけど調べたり経緯や理由を調べる歴史的な要素が好きであって、けっして怖いのが得意って訳ではないんです。だからつくづくこの時、隣にいてくれる佐伯さんに感謝しました。一人では絶対無理だと思う場所に自分は立っているし、さっきの笑いの雰囲気が怖さを大分と和らいでくれていた。多分、今思えばこの時ちょっと佐伯さんのことを好きになっていたのかもしれない。「吊り橋効果」かもしれないけどね。


小川


 無人駅があるほどに、田舎の電車は終電が早いってだけでなく本数も少ない。この時間の次の電車を見逃すと次は終電まで待たなければならない為に、夕食が夜更けとなってしまうのも嫌だった。だから次の電車には必ず乗って僕の実家へと向かわなければならない。親に車を借りて佐伯さんを実家まで送り届けり必要があるからね。
 それからのその道中は、ここまでの道のりと違って和気あいあいと会話が弾み、お互いの好きなオカルトや現象、ホラー映画や妖怪の話で盛り上がった。

 実家まで行き車を拾い、有名チェーン店のドライブスルーで夕食を買って空腹を補い、色々と話していくとこのまま帰るのも勿体ないということになり、別の「青い外灯」がありそうな場所を探しながら向かうことにした。佐伯さんも別に急いで帰る用事はないということだったので、先ずはその線路沿いを平行している主要道路を進んでいった。
 地方は開発予算が都心と比べて無いのだろう。殆どが黄色く日焼けした外灯がくすんだ光で道を照らしている一方でした。やっぱり母校の駅は私立の資産を使って設置したんだろうなと実感しながら進んでいくと

「ねぇ、あったあった!あれ見て」

 と佐伯さんがまた駅横の踏切で青い明かりを見つけました。
 そこは母校駅とは違い、踏切の場所だけピンポイントに青いスポットライトが当たっていた。さっきの青が乱列していた全体的な世界観とは違い、そして周辺が確認できないぐらいに真っ暗だったのもあるがしましまの遮断桿が手前と奥と照らされ、他には何もない空間の足元に線路がある。これはこれで踏切の一画だけが舞台のようになり雰囲気があって不気味でした。
 佐伯さんは写真を撮りに一人で降りて踏切へと向かった。何枚か取った後に戻ってきて

「ここの道、入って行かない?道路沿いとかじゃなく山道とか川沿いとかの自然地帯にあったら、ヤバくない?」

 僕は半ば、もうオカルト現象は諦めていた。ここもだけどさっきの場所も”事故防止”のための設置ということが事前に調べていた僕には分ったから。でもどちらかというと佐伯さんと仲良くしたかったのがあって、二つ返事で踏切の線路を四つのタイヤで踏みしめて真っ暗な脇道へと進んでみた。

 ヘッドライトをハイビームにして、少し進むと白いガードレールが右手から進行方向へと合流してきた。家庭用上水の排水用にもなっていそうな小さな小川が現れて、それを沿う様に道が続いていた。すると

「あ、また在った。けっこう探してみると在るんだね」

 車を停めて今度は僕も降りて見に行った。先ほどの踏切同様、暗闇の中に突然の青。空き地や民家が所々と見られ微かな室内灯の零れ明かりがあるだけで、月と星空が目立ち小川のせせらぎの音がなんだかもの悲しい雰囲気を感じた。
 僕らは外灯の近くまで到着すると二人ともほぼ同時に青照明の下、小川を横切る車が一台分だけが通れそうな橋の足元に『花束』『オモチャ』が供えてあるのを見つけた。佐伯さんは撮影を止めて、無言で手を合わせて目を瞑りだす。僕はそれを見てハッとしたように後に続き手を合わせ合掌した。

 僕は車のダッシュボードにあった飴玉を取りにいって、気持ち程度だがそれを供えた。他に何もないことに申し訳なさを感じながら、僕らはこの橋の青外灯については一切触れずに帰っていった。


消失


 翌日、昼過ぎまで寝てしまっていた僕はすぐスマホをチェックすると、佐伯さんから夜中にDMが何件か来ていた。

【ヤバイ・・・・・・めっちゃ写ってる。五?六体ぐらい】
【○○駅のあっこにはもう行かないで】
【ごめん、もう行けない】

 僕は焦ってすぐにコール架けど、佐伯さんは出なかった。【どうしたの?なにがあった?】って返事も何件かして、折り返しを待ったけど何日経っても音沙汰が無い。心配になって佐伯さんの家まで行って見るけど、誰も居なく返事もない留守が続いた。


 学校が始まって大学で佐伯さんの姿を探すけど、見つけられない。佐伯さんの友達に聞いても誰も知らなかった。
 数か月後、もうこれで最後にしようと思いながらもう一度だけ佐伯さんの実家にまで行って見ると、玄関先に佐伯さんのお母さんが出てきてくれた。

「ごめんね、あの子いま入院しているのよ」

 それを聞いて驚いた。どうしたのかを聞いてもはぐらかされ、お見舞いに行きたいからと入院先を聞いても

「ありがとうねぇ。伝えておくから、あの子が大丈夫だったら連絡があると思う。ごめんなさいねぇ」

 具体的な情報は得られなかった。無事ではなさそうな事態ではあったけど、でも完全に消えたわけではないことに少し安堵した。どんな容体かも分からないが、回復する可能性があるから入院しているわけで、僕は佐伯さんの言いつけ通り二度とあそこには行かないようにした。

 ただ、なぜ踏切や小川の方ではなく母校の方なのだろうか・・・・・・
 謎は分からないまま、僕は今でも佐伯さんからの返事を待っている・・・・・・


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