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「生きる」だけならシンプルなのに(2021年?)

虐待とか虐めとか、心の傷を克服していない人が親になると毒親になりやすかったり、機能不全家族の再生産が起きてしまったり。虐めの被害児童が泣いているけど加害児童も大抵は家庭環境が悪くて心の中では泣いていたり。その家庭環境の親も社会や職場で理不尽に泣いていたり。社会や職場でそれなりの立場の人も、より上の上司なり権力なりの理不尽に泣いていたり。悪循環の川の流れのように、より弱い人へ世の中の負が流れていってしまいます。

その下流にいる人達にとっては、私は助かっていないのに、私より恵まれた立場や生い立ちにいる人が何を夢物語のような事を主張しているんだ、といった気持ちや。不成功防衛や認知整合性のように、慣れた環境である不幸から離れられなくなっていたり、不幸であっても慣れた環境を維持する為に敢えて批判する事もあると思います。また、アンチ活動をしていないと、見たくない自分自身の心と向き合ってしまうから、それから逃れる為の脊髄反射のような本能のような反応である場合もあると思います。理不尽と感じる攻撃とか中傷とか批判とか、そういった加害者の背景って元被害者である事が殆どなんですよね。そして恐らくは世界の急進派の人達の中にも相応に何かしらの元被害者であったのだろうなと思います。

現在自分を不幸だなと思っている人にとっては、現在幸せそうにしている人が例え背景に様々な逆境や努力があったとしても、自分に無い何か恵まれた部分があったからと妬む気持ちが湧く人も相応にいますね。その論調が強調されたのが、全ては遺伝や家庭環境で決まるとか、努力出来るのも才能とか、反出生主義とか。実際に境界知能などの人で苦しんでいる人達もいるから解る部分もあってしまって、でも同時にそう主張する人達への努力も全て無駄だと言われている気もして…。難しいですね。

「生きる」ただそれだけならとてもシンプルなのに、より良くを考え出すと、とても深淵で螺旋迷宮に迷い込んでしまいます。

※コメントしたもの


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