見出し画像

言の葉の庭を久しぶりに見返した話

とうとう夏休みの季節になってきましたね。
先週末に梅雨ももうそろそろ明けてしまう時期だな…と思い
“言の葉の庭”という短編アニメーション映画を見ました。
タイトルにある通り初めて鑑賞したのではなく、
三年前に二度見たことがあります。
新海誠監督のアニメーション映画の中でも言の葉の庭は、やはり大好きなもので何度も見返している…。

今ではこの作画は「綺麗」という認識だと思うが、
当時はこの作画の良さに全世界が驚いたであろうこと。

考察や想い

関係性から。
雪野と孝雄は似たもの同士で気が合った。
孝雄にとっては靴のことについて話せる唯一の人物。
雪野にとっては誰かと関わることのできる唯一の機会。
恋愛感情があったという事よりも二人が互いに必要なのだと…

短歌から。
«雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ» 
この短歌を雪野は孝雄に呟く。
意味は、
「雨が降らないかな、そうすれば君はここに居てくれるのに」。
雪野は実際孝雄とは近い会社をサボっているのではなく、
休職しており雨が降る日も降らない日も東屋の下に座っている。
そうした寂しさをそのまま短歌に表したとされる。
そしてこの短歌の返歌に気がついて欲しかったのだろう。
エモすぎる。

時間が経ち最初は意味を理解していなかった孝雄だったが、
国語の教科書にこの短歌が載っていたという。
そこで雪野が言った短歌の意味を初めて知ることとなった。
雪野が詠った短歌の返歌は、
«雷神の 少し響みて 降らずとも 我は留らぬ 妹し留めば»
意味は、「雨なんか降らなくても、ここにいるよ」。
雪野は元々国語の高校教師でこの短歌を知るタイミングが
分かっていたのだろう。
それを見越した上でのセレクト…
雪野さん、流石すぎます。

まとめ

短かったですが少しでもこの作品に対する考えが深まっていただけたら嬉しいです🙌
いくら見ても毎回毎回発見がある“言の葉の庭”。
ここまでに心に刺さった作品は本当に少ない…。
機会があったら梅雨の季節に聖地巡礼でもしてみたいものです。 

色々考えた上で、
キャッチコピーの「愛よりも昔、“孤悲”の物語」は的確で素敵。
「Rain」の曲を聞くたびにまたあの景色が浮かんでくる。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?