成果物だけが注目されるデザインされた食と「モノ」に固執する食
今、料理の本質的な価値を理解し、その工程や研究、過程を楽しんでいる人は少ないかと思う。
先日投稿した「料理をする事」に書いたが、デザインされた食のなかで、「美味しい一皿」という成果物だけが注目され、あたかもそれが「料理」というモノのように常識が出来上がっている。
すると、「美味しい」は一定の基準を持ち、区分され、工業化が進んだ。
「料理」は自然に寄り添いながら創造性を発揮させるモノから、自然に負荷をかけながら大量消費するための「作業」になってしまった。
そこから、作業は