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僕の考えてる「表現」という矢印の大まかな方向について

こんにちばんわ 
前回、「食の表現」についてつらつら書いたけど、いうなればそれはツールであってじゃあ自分がどういう「表現」の方向性なのかを書いていきたい。

多分、ここが肝心なところだ。
だけど、本当は「表現」に方向性なんかは決める必要がない。それは、作品を作るうえで大きな障害になることがあるし、自分の首を絞める行為になると思う。ただ、あまりにも自由な世界はかえって不自由さを感じてしまうし、不自由の中の自由を楽しむことが今は心地いい
だからこそ、「食の表現」の方向性をある程度、ざっくばらんに決めよう。
旅で例えるなら、「インドに行く」とか「イギリスに行く」とか決めずに「あー、とりあえず西に行こうかなあ」くらいのモチベーションといったかんじだろうか。



方向性は「自然」、「世界」、「螺旋」


これがどういう方向性なのかを説明しよう。
まあ自然とか世界、螺旋ってすごく曖昧だ。しかも数多の先人がテーマとして問い続けたところであり、出し尽くした感はある。

それでもこの方向にしたのは、綺麗で美しくて神秘的で「理」すべてを解明するのが不可能に近く、単純に魅力で溢れているから。

で、最近の「食」はエル・ブリのお陰で科学的アプローチが随分増えて、食材をコントロールすることが本当に容易になってきている。温度、水分量、形状、火入れやソースを作る際の化学反応の分析、アルギン酸ナトリウムや液体窒素などを取り入れた化学反応を利用した調理法(まあ従来の切る、焼く、煮るなどの概念の中にないという意味であり調理って大体が化学反応だけども)などなどが良い例だ。
※ちなみに職人技の巧みで崇高な料理に関しては別物です。多分いくら科学的に分析しても再現できない領域だと思っている。本物の料理人とはそういうものだと思っている。天ぷらとか寿司とか、凄すぎてわからん。

そこまで出来た世の中になぜ今「自然」をテーマにしたいのかというと、プリミティブな食材に対するアプローチ(炭火や焚火等の原始的調理方法、貯蔵、発酵、自然の中の普段食材として起用されないものの探索)を用いて、科学的な側面からの検証をすることにより人の根源的な本能的欲求と文明を発展させたときに得られる本能的多幸感の再現(発見の再認識)を起こしてみたいと思ったからだ。

根源的な本能的欲求というのはなんだろうか。要はどこに根源があるかを認識してその中にある本能的欲求とはなにかを分析してみたいという事だが、例を上げるとするなら焼肉がいいかもしれない。

焼肉の魅力は肉をその場でジュウジュウと焼いて食べる行為だ。
本能的に肉を焼くという行為は、頭の中で滅多に食べることの出来ない”肉”という御馳走を”火”という人類のなかで文明の象徴と呼ばれるものを間近で使い、食べることで狩猟文明の頃から変わることのない遺伝子に組み込まれた根源的な幸せを感じることができる。(と僕は考えている。)
それを深堀したものがBBQだと思っている。野外で行い、火種は炭や薪を使い、野性的かつ本能的な「食」を楽しむことができるから。
だから理性や文明度が高い都心の方がキャンプやBBQが流行っているのかなと考えている。

ここまでで「自然」を表現に何故組み込みたいのかというとテクノロジーを使って「自然×人×テクノロジー=文明の再認識と今後の課題の発見」をしてみたい。敵を知るならまず己から。

つまりは環境問題やプラネタリーバウンダリー、人類存続のテーマに対して人が「ヒト」を知ることで解決の糸口に出来るためのツールになるのではないだろうか。
人×自然=自然農や自給自足 人×テクノロジー=最先端の技術 とかのアプローチではない方法かなあって最近は考えたりしてます。
それを「食」というフィルターを通すことで考えると楽しい美味しい面白いながらに課題が解決するという風にはならないだろうか…。

なにより新鮮な食材を炭や薪で焼いたら美味しいし。
食べれない食材が食べれるようになったら新しい食材の発見の嬉しさや楽しさが出てくる。

このなかで「自然」(ネイチャー的意味合い)だけでなく、「世界」も入ってくるのは何故かというと。世界を通して「自分のいる場所」をみたときにそれが素晴らしい場所だと認識できるから。もちろん世界のありとあらゆるプリミティブな調理法とその食文化を知ることがめちゃくちゃ大事だ、そしてその文化を知りたい。


ただそこの世界の表現は僕ではないその世界にいる誰かが同じように考えてやってくれれば嬉しいなあと思う。
そして、その世界にない自分がいる場所が、どこの世界にないものだと認識して「自分のいる場所の素晴らしさ」を表現してみたいので「世界」という方向性もでてくる。

「自分のいる場所」はまぎれもなく世界の一部であって繋がっているから最終的には大いなる問題の解決の小さい糸口になてくれればいい。

最後は「螺旋」だ。
結局ここで言ってることをなにも説明を受けずに動作だけみると、もしかしたら「森で木を焚き、肉を焼く」とかっていう何の変哲もないものになってしまう可能性がある。
動作だけみることは「螺旋」を上から見ることで、本質を知り中身を知ってから見ることは「螺旋」を横から視ることだと考えている。
なので前時代の「回帰」ではなくプリミティブな要素を用いた「時代の螺旋の1段階上」への到達というイメージだ。
今、発酵がブームになっているのはその側面もあるからかもしれないな。

アンコントロールの中のコントロールというか、不自由の中の自由というかそういうものに魅力と可能性があるからだと思う。

(まあ、全然設備も仲間もいなくて僕自身、横から視れてないけど…。
横から視れるようになったら世界が新しい視点がまた持てるようになるんじゃないかと思っています。)

僕の「表現」という矢印の方向性はこんな感じだ。
全くテクノロジーを使わないってことではないし、表現にガッツリよっておよそ料理というものを作らないとかそんな感じでもないし、自然を人の力でコントロール可に置きたいというのもなんか違います。


テクノロジーはツールであって忌み嫌うものじゃない。
表現に重きを置いて食べれない物を作るのは「食の表現」ではない。
自然は学ぶものであって依存することじゃないと考えています。


2021/0529
語尾、トンマナを訂正しました。自分の記事を読むと、なるほど根底は変わっていないようです。引き続きよろしくお願いします。

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