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料理をするということ

それ自体を考える事に大切な意味があり、「料理をする」という行為は細分化が難しい程、いろいろな情報量が複雑に絡み合っている。

「料理」とは言語化することによる分断がしづらい。
かの魯山人は「理を料(はか)る」と言ったが正にそのように思う。
しかし、「理を料る」というのは結構難しい。
理をよく観察し理解し、物事を推し量り、こちらが良い様に進めていくことが「理を料る」ということではないだろうか。
だが、これができれば間違いなく、錬金術師や魔法使いになることができる。

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