料理が「人の為の世界にデザインする」と共に、「自然との共生をする為の抽出」も同時に行う必要性

本当はこんなことはビフォアコロナ時代に書くべき案件かもしれない。
でも、料理人がフィジカルを使わなくても稼げるように生きる事を考えた先にはこのことも考えていかなくてはいけないんじゃないかと思ったので。

まず、「人の為の世界にデザインする」料理ということだが、これは今まで、(特にヨーロッパでは19世紀初頭から始まったと思われるが)食の工業化が始まったあたりから、人の為に料理や食は、その欲望を叶える為のはけ口と貧困と飢餓に対する対抗策として進まれていった。

これまでと同様、欲求が高まれば高まるほど、そうした欲求を満たすためのテクノロジーが開発された。(中略)
食の大きな変化には、ヨーロッパの軍事的な欲求も寄与した。軍隊は新たな狩猟法を考案するだけでなく(戦闘用の銃は、まだ狩猟用の銃の性能向上による恩恵を受けていた)、戦地の兵士を素早く効果的に食べさせる新たな方法を見出したのである。 引用:食の歴史 ジャックアタリ著 p145

ここでは、軍事で書かれているが、この食の変化の仕方は日本の高度経済成長の時にも同様に行われていく。

1955年以降急速に変化している我が国の食生活は、「離脱」「簡素化」「標準化」などの言葉で表現できます。これの主な要因には、食物と農業の分離によって引き起こされる食物と農業への関心の低下があります。このような状況のなかで、生産から切り離された暮らしを見直すと同時に農業のライフスタイルを選ぶ人々の登場が注目されています。(中略)
食生活の変化につながった他の主な要因は、「西洋化は現代の食生活に等しい」という概念によって定義される食事理論と、この理論に沿って準備されている学校の食事です。しかし、食生活に起因する子どもの問題が現実になり、地域に根ざした地域で消費型の学校食による食育が普及している状況です。この種の状況は、食事や農業における大人を含む人々の価値観を変えるのに役立ちます。

こうして、食の変容は人為的な都合に合わせて民衆の支持と利便性を求めてデザインされていったと思う。

これが、人の為の世界にデザインされていった食の変貌だけど、食だけでなく、それに付随し調理法や料理の考え方も「美味しい」という味覚的嗜好にデザインされていき、その結果、農業や物流の在り方、伝統的調理法保持(歴史や風土の影響を受けて保存食や土地ならではの料理が変容していく様、デザインではなく文化としての調理法保持)の観点、それから土地土地の植生に着目した食材の発見、調達等は蔑ろにされてきたのが現実ではないだろうか?

こうした食の変化から飲食店が人から価値を見出されるときは、
コミュニケーションの場、
味覚的嗜好からの「美味しい」、
安心と安全の食料、に限定されてきた。
この動きはもちろん貧困や飢餓に苦しむ時代から脱却し尚且つ、文化的、国力的に強い国を作る為には必要だったことだろう。
だがこの動きで、料理人という人たちはどんどん食のデザイナーとなっていき、古くは医者と同様に人の健康を考え、食料を確保し調理することで自然との共生を考え、社会を円滑に回すための会話や宴の場を整えていた人から、ビジネスと嗜好欲の奴隷になっているかもしれない。というのは言い過ぎだろうか?

今一度古き良き料理人に戻り!という事ではなく、今現在の料理人が、料理をするにあたり、多種ある専門家と手を組み、料理という観点から、その技術や、調理の歴史、調理の科学、アート性、食が及ぼす心理的効果、地理的植生などを専門家の人と学際的な交流をして、もっと料理人という職業が地位を高めていけるように努力をしていく必要性があるのではないかと思う。

それは、今までの料理人がこの自然界において有益な生物や植物を抽出し料理してきたように、
これからも料理人がやっていく事であればいいなと思う。

今、飲食店として大多数の人達に料理を使って食のデザインをしてきた僕らは転換期にあると思う。食のデザインだけでなく、アートやサイエンス、テクノロジーにも関心をもち、学術的な観点を持ち合わせることで、飲食店だけではない料理人の生き方や働き方は見つかるのではないだろうか?


もしかしたら、和食の料理人が切ったお造りはフリーズドライにしたら他の切断した食材より還元再現度が高く宇宙食に最適かもしれない。乳化を科学的に捉えてきたシェフが作るソースは乳化剤がいらず、テイクアウトしても分離していないかもしれない。野菜の火入れを探求してきた料理人が火入れした野菜を食べた時の栄養吸収率は他とは比較にならないくらい良いかもしれない。郷土料理を作りづづけた人がレシピを作りアーカイブして行ったら歴史の裏付けができるかもしれない。

そういった可能性を料理人は秘めているんじゃないだろうか?

テクノロジーは技術であり、サイエンスは自然を見つめ理を理解することだが、これは料理人がやってきたことではないだろうか?

そうして料理の大学ができ、人類にとって有益であれば料理人は料理をすることで生きていける。クリエイティブで素晴らしい仕事だと認識されるのではないだろうか?

もしかしたら海外ではやってるかもしれない。日本にも立命館大学に新しい食の学部ができている(入りたい(笑))。

料理の価値を上げていこう。

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