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孤独と愛情と葛藤

それぞれ、全く違う意味合いに取れるこの3つの言葉

孤独、愛情、葛藤

私の言葉は結構拙いけど、誰に届けるでもなく、私が私自身に伝えたいことがあったから、ここに書記す。

約3000文字の文章なので、目次も付けておく。


私は孤独が嫌いなのに裏切ってくる人が嫌いだから、最初から孤独を選んでた。そんな私が人を愛することを学んだ。これを無償の愛と呼ぶのか、見返りを求めてるのかは分からないけど、ただひとつ言うなら「その人以外に愛されたいと思うことができない」という、なんとも言えない状態にいる。

生きててよかった。ただ、連絡が来ただけでそう思える人に出会えた。そしてこれからもこの人と関係を続けていきたいと思うからこそ、今回こうやって書く。少しズレてきたので、戻す。

孤独はひとりよがり?

孤独と愛情と葛藤

孤独は、多様な意見が出てきそうだが文字通り「孤立した独り」のことを指すだろう。
その「孤立した独り」の状態を好き好んで受け入れる人もいれば、受け入れたくないけど孤独にしがみつく、そっちの方が楽だからと感じる人もいるだろう。私は前者よりの後者だ。「人が嫌いだから、裏切られるのも怖いから、受け入れたくないけど楽だから、独りを選ぶ」私と同じような理由で選択する方も多いのではないだろうか。

孤独は独りよがりだと感じる方も多いが、それなら愛情はどうだろうか。狂気的な愛情も独りよがりにはならないか。そして、ほんの小さな恋心も独りよがりにならないだろうか。恐らく私がひねくれているからこんな考えに至るのだろうが、狂気的な愛情も小さな恋心(愛情)も、他人を巻き込んでいないならまだ大丈夫な方だろう。

でもその「孤独」、他人を巻き込んでいる場合は少し注意をした方が良いのかもしれない。1人になりたくても1人にさせてもらえない、もしくは1人になりたいのに、気持ちが邪魔してなかなか1人になれない。こういうことはないだろうか。

それは、紛れもなく誰かの愛情があなたの心に宿っているからだと私は思う。1人になりたいのに、なり切れない。元気か気になる、1人にさせてしまって申し訳ない、1人を選択してる期間、相手に愛想を尽かされないだろうか。

孤独と愛情は葛藤が起きやすい?

話は少し変わるが、私は裏切られるから人が嫌いだと話した。でもこういった精神的なもの、人の気持ち、感情を織り成す「人間」の分析は大好きだ。
そして、1人になっても大丈夫か不安に陥る私を含め、そういう人たちにまずひと言いいたいことがある。

あなたの心に宿った愛情の持ち主は、あなたを拒絶することはないだろう。それよりも、寧ろ「あなたを受け入れ、あなたの意見も聞くし譲歩してくれる」はずだ。なぜなら1人を選択していることを既に受け入れているのだから。別れでは無い、なんとも言えない一人の時間を相手は受け入れているのだ。
それは紛れもない愛情であり、その人が持つ無償の愛なのではないか。恐れることなく前へ一歩足を踏み出してみればいい。それが怖いと思うなら、それでも難しいと思うなら、会いに行ってみればいい。

多少は驚いた顔を見せるだろうが、きっとその人はあなたを受け入れる。中には罵る人もいるだろうが、それは「1人になることを選択した」あなたが、相手にひと言いわないでいなくなってしまったことから来る正当な防御だ。それでも相手からの愛情が自分の心に宿っているならあなたも素直になってみればいい。

孤独と愛情と葛藤と上手く付き合うには

さて、またしても話がズレたが私を含め、こうしてみると孤独と愛情は密接に絡み合っていることがなんとなくわかるのではないだろうか。
そして、現在1人を選択してる人は、正に葛藤しているだろう。「孤独と愛情と葛藤」は間接的でありながらどれも直接的に絡み合っているのだ。

では、これらの3つを上手く共存していくためにはどうしたら良いのか。これまで生きてきた中で最もらしい答えを述べるならそれは「自分に素直になること」だろう。

さも簡単に、当たり前のことのように述べたがそれが難しいことは私もわかっている。でもよくよく考えてみて欲しい。

「自分に素直になること」とは、自分の不満や不安、寂しさ、悲しさを理解して押え付けることではない。まずは認めることだ。自分が自分を愛することだ。それが「自分に素直になること」の先駆けになる。

そしてこれも難しいと感じる方は多いだろう。
だからこそ試して欲しいことが「あなたが今1番したいことが何なのか」を、自分の心に聞いて欲しい。
それは相手を巻き込むことではない。愛されてるから巻き込んでもいいは大きな間違いとなるので、そうではなく「自分一人だけで出来ること」の中で、今1番したいことがなんなのかを聞いてみて欲しい。

それでも相手になにか伝えたい、連絡したいと思うなら、してみるといい。悪い方向にはきっといかないだろう。表面上では悪いことのように感じるだろうが、心の奥底でその「したいこと」を決行したあなたは、心からスッキリしているはずだ。

私は葛藤に約20年悩まされた。今もたまに悩まされる、というか一生モノだと思う。
上手く付き合う方法はこのご時世なかなか見つけることも難しいのではないかと思うこともある。
でも自分を愛することが出来て、自分が欲しいことは自分が知っているからこそ、自分を味方につける必要があるのだ。

そして、愛してくれる人、愛したい人を味方につけることを人は学んでいくんだと思う。

誰かの心に愛情を灯している人へ

孤独は自分のために孤独を選んでいるのであって、愛してると感じるあなた方は憤慨してしまうことも多いだろう。でもどうか待ってあげて欲しい。
私を含め、「孤独と愛情と葛藤」に悩まされる人の多くは精神的に毎日が修行だ。気持ちを言語化できないことに嫌気がさしてる事の方がほとんどだ。

あなたへの愛情を持ちつつも、自分の感情を外に出すことが出来ない。その多くは大体が「恐怖」だ。
認めることの恐怖、拒絶されることの恐怖、失うことへの恐怖なのだ。
(私は一歩前へ踏み出したが、「失うこと、拒絶されること」が怖いならなおさらまずはなあなあでもいいから、前へ踏み出してみるべきと感じるがそれは人それぞれ感じるまま動いてみるといいだろう。)

これらの恐怖は人から教えて貰ってもなかなか前に踏み出すことは出来ない。信じていながら、信じていないからだ。もし、あなたがその人を本当の意味で許せるならば、1人にされてる事実をそのまま相手に伝えてあげると良いかもしれない。言われないと気が付かない人もいるのだから。しかし気をつけて欲しいのは、そういう時の文章は基本的に圧が強くなってしまうので「連絡ないけど大丈夫?」はだいたい大丈夫じゃないから送らないで欲しい。甘えるなと思う人もいるだろう。

実際問題甘えてるのでなんとも言えないが、「連絡ないから、1人になってて寂しい。待ってるね」くらいで良いと思う。
そして、誰かの心に愛情を灯している方々に、全孤独を選び気持ちを言語化できない人を代表してお礼を言う。

選んでくれて、待っていてくれて、ありがとう。
あなたがしていることは無駄ではなく、心から感謝していることだけど、なかなか動き出せないのは申し訳ない。折り合いはいつ付けられるか分からないけど、もう少し待っていて欲しい。ごめん。

まとめ

私のつたない文書で伝えたいことは以上だ。
私は私のために書いたが、私が書いた文章で救われる人がいれば、それもまた嬉しいと思う。生きにくい世の中だけど、生きやすくするのも自分次第。
葛藤したっていい。孤独を選んでもいい。でも心の奥底で少しでもなにか思うことがあるなら、それは孤独の時間は終わりに向かっている。前へ踏み出すチャンスなんだ。孤独から抜け出せるチャンスになるんだ。


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