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「外国人」という言葉について カナダと日本の人種差別

一般に、留学にはいわゆるキラキラしたイメージがあると思う。日本では出会えないような友達をたくさん作ったり、いろいろな場所に旅行行ったり、、、

これは別に完全に間違いではないし、人付き合いが上手で、要領が良い人なら実際にこういった"キラキラ”した生活を送っている人もいるとは思う。


ただ、私のように日本にいた時と同じくそこまで友達が多くない留学生も、インスタグラムで楽しそうなストーリーを投稿している留学生も、海外で生活していれば必ずその場所の「嫌な部分」を垣間見る場面に遭遇する。

例えば、私のいるトロントの地下鉄。定刻通りに来ないことが多く、突然運休停止になることすらある。イヤホンをせずに大音量で音楽を流している人をたまに見かける。また、駅や電車には大抵ホームレスの方がいて、「助けてください」とダンボールの板に書いて座り込んでいる人もいれば、紙コップを無言で掲げてお金を集めている人、電車内の人たちに手を差し出して周り、お金を要求する人もいる。


今回は、そんな留学で目にするかもしれない「嫌な部分」のうち、人種差別と、”外国人”という言葉について。


多文化主義国家カナダ

人口のほとんどが日本人である日本で20年生きてきた私にとって、カナダはとても面白い国だ。

外務省によるとカナダには実に200を超える人種が共存していている。1971年に世界で初めて「多文化主義法」が施行され、以降カナダはヨーロッパやアジア、中南米など様々な国と地域からの移民を受け入れてきた。


多文化を感じられる場所は至る所にある。ショッピングモールのフードコートには欧米のチェーン店や日本食レストラン、中東料理などなど様々な国の店が立ち並び、売られている食品の栄養表示は英語とフランス語での表記が義務付けられている。外を歩いていれば、何語かもわからないような言語で話している人がたくさんいて、もはや公用語である英語を喋っている人の方が少ないくらいである。

トロントでの人種差別

そんなカナダの大都市の一つ、トロントで生活し2ヶ月あまりが経過した。

大学内の寮に住んでおり、またキャンパスには飲食店やドラッグストアなどがあるため普段はキャンパス内で過ごしているが、週末などを利用して色々な場所を訪れた。

ナイアガラの滝はもちろん行ったし、有名な遊園地であるワンダーランドやトロントのタイムズスクエアと呼ばれるヤング・ダンダススクエア、センターアイランド、美術館、本屋、楽器店、セブンイレブンなどなど、、


振り返ってみると2ヶ月の間に割と様々な場所に訪れてきたが、人種差別にあったことは一回もない。今のところアジア人だからといって暴言を吐かれたりだとか、接客時に露骨に嫌な態度をとってくるといった差別は0である。

さすが多文化主義の国、カナダだなと感心していた。

麺を食べていたら「芋虫食べてるの?」と馬鹿にされた友人の話

あまりにも人種差別を受けないので、カナダでは人種差別が無いのだろうかと思い、現地で仲良くなった友人に、人種差別を受けたことがあるか尋ねてみたことがある。

彼は両親がアジア人で、見た目はアジア人だが、カナダで生まれ育ったそうだ。幼少期はトロントでは無く、もっと田舎の方に住んでいたそうである。

当時通っていたという学校は、田舎だったのもあってか数百人いた生徒のうちアジア人は彼を含めて数名しかいなかったらしい。そこでは差別は日常茶飯事だったそうだ。

手で目の左右を引っ張り、アジア人の細長い目を馬鹿にするジェスチャーをされたり、道ゆく車から「国に帰れ!」と叫ばれるなどなど。お昼に親が持たせてくれた麺類のお弁当を持って行った際、クラスメートから「あいつ芋虫食ってるぞ!」とからかわれ、それ以降はサンドイッチを作るよう親に頼んだという話は聞いているだけで心が痛くなった。

「外国人」って何?

そんな経験があれば差別してきた人たちを憎んでも無理はないと思うが、彼は、

「人種差別はしっかりとした教育を受けていないことが原因だから、人種差別をしている人では無く、教育がすべての人に行き渡っていないという状況を作り出したカナダに責任があると思う。」

と冷静に話していた。そういった面で、アメリカも似たような状況にあり、カナダもアメリカもクソだと冗談まじりに話していた。


そんな彼は、実は日本語の勉強を去年から始めていて、日本に友人がいたり実際に1ヶ月ほど日本に滞在した経験もある。

そこで、もしかしたら日本には好意的な印象を持っているかもと、日本について聞いてみたところ、

「日本は暴言みたいな表面的な差別は無いけど、見えない差別がある。外国人だというだけで家を借りにくかったり、仕事探しの際に不利になることがあるから、日本もクソだね。日本では問題があっても見ないふりをするように感じるし、G20の中でも唯一同性婚が認められてない。自殺も多いよね。」

と語っていた。ボロクソである。もっとも、完璧な国なんてないという彼からすればすべての国はクソなのだが、こういった意見は日本人として考えさせられるものがある。人種差別は太平洋を超えた大陸での対岸の火事では無いのだ。


特に心に残ったのは「外国人」という言葉について。彼にとって、この言葉は意味が大きすぎるようだ。

カナダでは外国人という言葉はそもそも意味をなさない。白人以外が外国人なのか?永住権を持たない者か?それとも植民地化される前からカナダに住んでいたファーストネーションたち以外なのか??

多様なバックグラウンドを持つ人々が集まるカナダでは、一口に”外国人”といっても一体誰を指すのかわからない。


一方日本では日本人以外が外国人という風に多くの人が思っている。外国人という言葉は、人口のほとんどが日本人であるからこそ意味を持っているように感じる。

しかし、そんな日本の人口は年々減少し続けている。総務省統計局のデータによると、2015年から2020年にかけて、日本人口は約95万人減少した。一方で、”外国人”の割合は増えたようだ。今年6月末には日本在留外国人は320万人を超え、過去最大になったことが報じられた。


果たして外国人という言葉は一体誰を指すのだろうか。外国人という言葉が死語になる日は近いかもしれない。

参考文献






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