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📄市政報告167号 - 四條畷の約110年前(絵葉書より) -

今月号は記事が2つ+4コマ漫画。その中から1つを報告します。

しでうなはて今昔①

この市政報告を手にした時点で終わっているかも知れませんが、12月11日まで四條畷市歴史民俗資料館において第37回特別展「シデウナハテ」が開催され、その中で四條畷神社を中心に昔の絵葉書が多数展示されていました。私も同様の古い絵葉書を十数枚持っていますので、その中から「景全畷條四」と題したものを載せます。

昭和13年(1938)頃の四條畷駅名標
特別展で展示していたものを撮影

特別展で配布していた冊子より、絵葉書についての箇所を一部引用します。

明治33年(1900)の私製葉書認可を受けて、国内でも絵葉書が作られはじめました。明治37〜38年ごろには絵葉書ブームが起こり、このころには四條畷でも絵葉書が土産物として販売されるようになったとみられます。

昔の絵葉書は、宛名面より印刷された年代が推定することができ、これも冊子より一部引用します。

当初絵葉書の宛名面には通信欄がなく、通信文は絵や写真の空いている部分に書く必要がありました。明治40年4月に1/3の通信欄が許可され、大正7年(1918)4月にはそれが1/2に広がりました。昭和8年(1933)2月には「きがは便郵」と濁点が表示され、昭和21年に「郵便はがき」と左書きになりました。昭和43年7月に3〜5桁の郵便番号が採用され、平成10年(1998)2月からはそれが7桁になりました。

以上のことから、下画像の絵葉書が作られた年代は、明治40年(1907) 〜 大正6年(1917)と推定されます。

橋より右に写っているのは
四條畷神社参道と飯盛山
絵葉書の宛名面
上部に「 きかは便郵」 の表記と
点線で区切られた1/3の通信欄

絵葉書に写っている橋の現在です。名称は楠公橋と言い、昭和35年3月に竣工されました。欄干のデザインは絵葉書の時代のものに合わせたのでしょう、とても良く似ています。

現在の楠公橋と参道

市政報告の画像

データ

PDFのリンクです。上記画像がダウンロード出来ます。

http://nagahata.jp/pdf/Vol167.pdf

<了>

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