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📄市政報告168号 - 四條畷の約110〜90年前(絵葉書より) -

明けましておめでとうございます。
本年最初の投稿です。
今年も宜しくお願いします。

今月号は記事が3つ+4コマ漫画。その中から1つを報告します。

しでうなはて今昔②

先月号に続き所有する絵葉書です。今回は四條畷神社参道で、絵葉書の作られた年代は、前号同様に宛名面からの推定と市史を参考しました。その内容を記した前号は、下記の前号よりご確認下さい。

戦前の四條畷駅名標のイメージ図

戦前の写真を元に
長畑が作成

戦前の写真を見ると、現在の駅名であるJR四条畷駅の「条」が、市名の四條畷市と同じ「條」が使われています。つまり、元は「條」だったのです。

市政報告に載っていない内容

昔の絵葉書

1907〜1911年と推定

宛名面の通信欄サイズが1/3であったことと市史( ※1) より、明治40年(1907)4月 〜 明治44年(1911)と推定。
約110年前、民家はわずかで電柱も無く、当然電気は通っていません。また、飯盛山を見ると、大きな木が少ないように見えます。当時、調理や暖を取るための薪を、燃料として大量に消費していたのかも知れません。

1930年1月2日に購入

9枚セットの絵葉書が入っていた封筒の裏面に「昭和五年壹月貮日」とゴム印が押されており、昭和5年(1930)1月2日に購入したものと断定。
約90年前、民家は少ないものの電柱も写っており電気も普及しています。

参考資料

参考資料より関連する内容を引用します。

「ふるさと四條畷」93頁より

大正天皇の御大典の祝賀行事が大正4年に行われた折には、四條畷神社宮司と相談の上、記念の植樹を参道にと決定。一の鳥居から神社石段までの参道の両側に200本の松を植樹することになったのです。大正4年10月19日より22日まで、学年毎に植樹の穴掘り作業。23日には龍間に求めた松の苗木をそれぞれ運び、用意の穴には散髪で保管した髪の毛を埋めて植樹は完了したのでした。・・・ <略> ・・・ 現在大鳥居より少し東にある松のみが当時の松ではないかと思います(平成22年10月残った松が枯死し伐採されました)。

「四條畷市史第一巻」676頁より

京阪電車の電気供給事業兼営によって、明治45年には甲可村の家庭に電灯が入った(※1) 。田原村の場合は、村民共同による電柱寄贈の形で、早期開設となり、大正3年には送電線が清滝峠をこえて、各家庭に点灯される。
※ 昭和7年4月1日、甲可村は四條畷村に改称。

現在の参道

2022年11月3日に撮影

市政報告の画像

データ

PDFのリンクです。上記画像がダウンロード出来ます。

http://nagahata.jp/pdf/Vol168.pdf

<了>

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