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高学歴ニートはなぜ生まれるのか?〜彼らが就職しない理由

 苦労していい大学に入り、ある程度の企業への就職が見込まれている中で、働かないニートを選択した、いわゆる高学歴ニートたち。にわかにその考えは理解しがたいが、彼らは腹の中でどのようなことを考えているのだろうか。

Youtube上に上がっている動画で、「橋下徹と高学歴ニートたち」というものがある。この動画は、様々な事情で定職に就かない高学歴ニートたちと元大阪府知事の橋本徹が対話をしながら、「人生とは何か」を考えていくという内容である。

それぞれがニートになった理由や働かない理由を表明していく中で、やはり彼らにはある考えを持っている傾向があった。彼らが共通して考えることは、「画一的な生き方を嫌い、自分だけの生き方を模索している」という点である。

ここでいう「画一的な人生」とは、普通に企業に就職をし、賃金をもらいながら、普通に安定した人生を送ることである。このような人生の送り方は一般的な人なら誰もが考えるものであり、社会的な「スタンダード」とされている。

しかし、この「スタンダード」をつまらない「型」であるというように捉えているのが、件のニートたちである。企業に縛られ、結果や地位に縛られる生き方を彼らは受け入れない。これは、単に彼らが社会での荒波に耐えられる強さを持っていないからというわけではなく、自分の人生を、その終わりの瞬間まで想像してみたときに、何か生きている意味があった、と思えるような人生を送ることを欲しているからである。自分なりの生き方を探し、他の人とは違う自分なりの「生きた意味」を探したい。誰かから、社会から強制されるような画一的な人生は、彼らの中では「意味のない」人生に映っているのだ。

事実、動画のインタビューでは、仕事はしていないが、震災ボランティアに積極的に参加するなどの能動的な行動をしている学生がみられる。これは仕事ではない場所で自分の生きる意味を見つけようとしているのだろう。

彼らは仕事をせずに、自分なりの生き方を模索していくことを選択したが、それは決して楽な道のりではない。「画一的な生き方」では、企業に就職し、たくさんお金を稼ぎ、場合によっては家族を作って安定した生活を送ることが良いとされているので、人々はそれに向かって日々生きていけばよい。しかし、高学歴ニートたちは、自分の生き方を模索するが、「何が良いのか」「どうしたらよいのか」という基準や行動規範のようなものはないため、自分自身で一から作り上げる必要がある。これには、相当の労力を要するであろう。

高学歴ニートたちは、単に「めんどくさいから」「働きたくないから」という理由で働かないわけではないのだと筆者は思う。彼らは、仕事をしている人たちとはまた別の面での、彼らなりの苦労を抱えているのである。

なお、ニートを積極的に肯定することはしない。親のすねをかじっても、きっと色々な意味でいい味はしないのだろうというのが、私のスタンスである。