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インド旅行記①ビビりながらのインド初日~2日目

2016年に初めてインドに行った。友達と3人で(俺、男、女の3人)。当時のメモや写真が出てきたので、どんな旅行だったか振り返っていきたい。「人生観を変える」なんて体験はなく、ひたすらエネルギーが溢れているカオスな場所だった。

1日目:空港で待ち合わせ出来ない情報弱者、24時のインドで宿泊難民

関空発、クアラルンプール行き。インドに行くにはどこかでトランジットしなければならない。2016年時点の俺は海外旅行といえば台湾ぐらいしか行ったことが無く、しかもスマホはドコモのアンドロイドだった(Simフリーじゃなかった)。これからのインドへの10日に渡る旅行で、スマホが使えないならと家においてきてしまった(よく考えるとWi-Fiがあれば使えるのだが、何も考えてなかった)。ネットを使いたくなったらiPod touchをWi-Fiに繋いで何とかするつもりだった。

ここで一つ困ったことが起こる。スマホが無いので関空で同行者と待ち合わせできないのだ。馬鹿すぎる。

仕方がないのでウロウロしまくって気合で合流。そこからはひたすら飛行機で運ばれてクアラルンプール→乗り換え(チャーハン食べた)→コルカタ。到着したときには24時である。死ぬほど地球の歩き方(※ガイド本)を読んできたのに、もう見るものすべてが怖い。それでも気合で宿を見つけないといけない。※初日は必死すぎたのと暗かったので写真が1枚もない。

プリペイドタクシーのおっちゃんに声を掛けられる。なんだかいい人そうだ。もうこの人に全て託してみるか、となる。その後空港から市街まで、全ての車線ガン無視で爆走するおっちゃん(なんだか俺でも運転できそうだ)。遠くにパトランプが見えた時だけシートベルトをする周到さで夜のコルカタをかっ飛ばし、地球の歩き方に相場200ルピーと書いていた道程で2800ルピーを請求してきた。これがインドか。同行者が事前にメッセージでやり取りをしていたホテルは余裕で閉まっていた上、なぜかタクシーも数十匹の野犬の群れに囲まれていたので出るに出られず、タクシーのおっちゃんの提案に従ってサダルストリートの宿へと連れて行ってもらうことに。なんとか宿が確保できた、人間こっからでもなんとかなるんですね。相場より高かった割に、シャワーは水しか出なかったし、エアコン付きって言ってたエアコンは超巨大扇風機でしたけど??ああ…俺が情報強者なら、疲れた体に冷水を浴びることもなかったのだろうか。

2日目:ついにインドの景色と対面

普通に道端にいる牛、ここはインド第三位の経済都市・コルカタ

翌朝・大量のクラクションの音が鳴り響く市街へついに繰り出す。朝ごはんなのか、ランチの仕込みなのか、そこら中で山羊が屠殺されており、その血が排水溝に流れ込んでいる。子供は解体されていく山羊をガン見している。ここでは生活と生命の循環がリンクしているような感じがした。

特に蛇口などもなく、謎の穴から無限に水が出続けている場所。流れた水は道を水浸しにしているのだが、特に誰も気にしていない。そして道を伝う山羊の血と混じって排水溝へ。海外旅行慣れしていない自分にはインパクトが強かった。

朝食はビリヤニ(インドのチャーハン)。インド初の食事だ。ナンは手で食べるイメージがわくが、こういう米料理になると、どうやって食べたらいいのか分からない。苦戦していると、隣の席から「こうするんだ」とニコニコしながら教えてくれるおっちゃん。どうやら中指と人差し指をスプーンのようにして米をすくい、それを親指で押さえて口に運ぶようだ。「インド人でも難しいよ」的なことを言いながら気さくに笑うおっちゃんに、昨日のタクシードライバーが重なる。このあと、何度も感じていくのだが、インドの人たちは人懐っこくて愛らしい。

念願のチャイと、ホテルマリアへの道

1杯10ルピー(15円)

インドでは食後にチャイをたしなむ文化があるという。これはぜひやってみたいということで、さっそく手近なチャイ屋さんへ。カップのサイズから考えるとエスプレッソのような感覚だ。

恐ろしく熱くて甘い。きっとこの量でないと飲み干せなかっただろう。でもクソ熱いインドの気候と相まって、なんだか力が湧いてくる。器は素焼きの陶器で使い捨て。その辺の地面に叩きつけて捨てていくのが習慣なのか、チャイ屋周辺には大量の陶片が散らばっているのだが、自然と土にかえっていくらしい。再利用しない前提なので、底が尖っていて机に置くにはあまりにも不安定だ。日本の道徳観がこの時はまだ残っていたので、その辺で叩き割るというのはかなりドキドキする行いだった。

安宿街・サダルストリートの一角にあるホテルマリアは、日本人に親切なことで有名だ。飛び込んでみると、今日の部屋が空いているとのこと。一人数百円で一部屋借りることが出来てしまう驚異の価格設定だった。もちろんシャワーは水しか出ないし、人生で一番汚いシャワー室だったが、暗くてよく見えないのでOKなのである。

全体的に黄色くてなんだかお洒落な宿で、オッドアイの綺麗な看板ネコが出迎えてくれた。絶妙な三毛ぐあいが美しい。ところでここまでの道中、数十匹の野犬の群れと何度もすれ違ったり、交通の妨げになろうと全く関係が無いように寝そべっている大量の牛を目にしてきた割には、野良猫をほぼ見ていない。もしかすると天敵の多いインドは、野良猫には生きづらい環境なのかも。

洗濯物を手洗いし、ロープで部屋につるして、さぁ街に繰り出そう!というタイミングでホテルの出口で目にした張り紙。実はここまでの道のりでもかなり日本語でインド人に話しかけられていたのだが、あれってそういうことだったの?(結局この張り紙を目にしたにもかかわらず、この後の旅程でも日本語を操るインド人にたくさん話しかけられ、何度もついて行ってしまうのだが…。)

マーケットへ繰り出そう!

部屋に荷物を置いて身軽になったので、地球の歩き方に書いてあったマーケットへと向かう。なんとなくレンガ造りの洒落た建物なのだが、中は大量の商品と商人渦巻く混沌である。

内部はこんな感じ。

サリーを売ってる店が固まって50店舗ぐらいあったりでカオスだが、1着200ルピー(約300円)ぐらいとかなり良心的。なぜか同行者(女)が地元のおじいさんに(こっちが持っているカメラで)記念撮影を求められたり、多言語で繰り出される営業トークをかわしたり情報量が多い。このあたりで気づき始めたが、インド、基本的に値札が無い。買い物するときは水一本ですら値段交渉から始まるのでとにかく面倒なのだが、コミュニケーションの機会が多いのは何となく面白い。

写真撮っていいか聞いたら「3秒待って」といって、めちゃキメてくれたお兄ちゃん。インディゴブルーに満たされた1畳半ほどのお店が美しい。

その後、人にもみくちゃにされながら量販店で当面の着るシャツなどを確保。ちょっと人多すぎるんですけど…。あとその頭にでかい袋乗せて運ぶのすごいね。

その時70ルピー(100円)くらいで買ったシャツには「MY MUSIC IS INTERNATIONAL」の文字が。インドの人たち英語分かるのに何でダサめのメッセージつけちゃうんですかね。このあと、一旦ホテルに戻り荷物を置いて、ショッピングモールに行ってみたり本屋に行ってみたり(インドの聖書エロ本だった)。BLUE SKY CAFEという最高に落ち着く場所を見つけて、そこで新婚旅行の舞台にインドを選んでしまった中国人夫妻に出会ったりした(今日が初日で、本来は何週間かいる予定だったが、妻が耐えられないので明日帰りますと言っていた、コルカタの悲劇である)。

香港飯店とインドの酢豚

もうすでにカレーに飽き始めていた俺たちは、夕食に中華料理をチョイスした。HONG KONG(中国語表記は香港飯店)という大層期待できそうな名前のレストランに行って酢豚をオーダーしたら、酸っぱいカレーが出てきた。インドでは、誰もカレーから逃れることは出来ない。

というわけで激動のインド旅行記、イントロダクションはここまで。次回は、ありえんぐらい苦戦して、3回くらい死にかけた列車でのブッダガヤへの旅路を書きます。

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