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「天国の郵便ポスト」 折原みと


「このポスト、天国に手紙が届くんだよ」



「天国の郵便ポスト」 折原みと



わかっているのです。


亡くなってしまった大切な人と、もう話をするのは無理なことだと。


わかっていても、それでも話をしたいもの。


僕の父は3年前に亡くなりました。生きているときは照れくさくて、それほど話ができませんでした。


もともと寡黙な父でしたし、とくに話をしなくても、なんとなく心は通じていると思っていました。


病気になり余命がわかってからも、「今までありがとう」とは言えませんでした。


なぜなら


今生きているのに、死を予感させたくなかったし、今、生きているのに、別れを認識させたくなかったから。


亡くなってからは、生きていた頃より身近に父に語りかけるようになり、問いかけるようになりました。


たとえ返事がなくても、話がしたい。語りたい。叱られたい。褒められたい。子どもの頃のように。

         
         ◇


伊佐美真人(まこと)は、息子の誕生・その命と引き替えに、妻の来夏(らいか)を失いました。


来夏は真人にとって守り神でした。


来夏と出会ってから、仕事や生活において、あらゆるツキがやってきました。


大学時代に知り合った、2つ年上の長いストレートヘアの美しい女性・来夏。


来夏は真人がノートにラクガキしていた犬のイラストに、とても興味を持ちました。


「いいね、その犬。なんか、味がある」


来夏は大手広告代理店に就職が決まっていて、その会社でアルバイトをしていました。


会社で募集していたCMのキャラクターに、真人の犬のイラストを使わせてほしいと来夏は頼みました。


その絵は見事コンペに通り、CMキャラクターに採用。真人はツキはじめます。


2人は急接近します。


真人は来夏の名前の由来を訊ねます。
「ライカってお父さんがカメラが好きだから?」


カメラじゃなくて、宇宙に行った犬の名前だと来夏は言いました。ライカ犬のライカだと。


1957年、旧ソ連がスプートニク1号
という人類初の無人人工衛星の打ち上げに成功。


その1か月後、無重力状態で生物の身体に及ぼす影響を調べるために打ち上げられたスプートニク2号に乗せられた犬がいました。


通称ライカ犬。2歳くらいのメスの犬。


狭い人工衛星の中に閉じこめられ、ひとりぼっちで宇宙に放り出されて死んでいったライカは、どんなに心細く、苦しかったことだろう?


犬好きの真人はライカ犬の気持ちに感情移入してしまい、満員のドトールコーヒーで、周囲を気にせずボロボロ涙を流しました。


そんな真人に、来夏は


「好き」

来夏は、その生まれたての衝動を、すぐさま行動に移した。

(中略)

そう直感した瞬間、彼女は、彼にキスをした。『ドトール』のカフェテーブルを乗り越えて、来夏は、涙でしょっぱい真人の唇にキスをした。


愛する妻・来夏が亡くなってからの真人は、イラストの仕事をしながら海辺の街で、来夏がつくったカフェ「nagie」の経営を行っています。


逗子に住みたいと言ったのは、来夏だった。


ある日のことです。


カフェに来ていた三上さんの家族と、愛犬シェリーの姿がありました。


真人の息子、湊人(みなと)もシェリーの来店をよろこんでいました。真人の家族は、みんな犬が好きなのでした。


しかし


三上さんの家族が次に来店したときに、シェリーが亡くなったことを知らされました。16歳の高齢だったので予想はされていましたが、娘の彩音ちゃんは、シェリーの死を受け入れることができませんでした。


真人はそのとき、来夏が言ったことを思い出したのです。


「ねえ、まこっちゃん。信じる? このポスト、天国に手紙が届くんだよ」


この家の玄関の横には、レトロな赤い郵便ポストがありました。


来夏のお父さんは、来夏が3歳のときに亡くなりました。


そのとき来夏のお母さんが、「このポストに手紙を入れると、お父さんに届くんだよ」と言ったのです。


天国から返事がきました。


実はお母さんが書いたものだったのですが、来夏は振り返ってみて、「そのときにお父さんから手紙が届いて、とてもうれしかった」と真人に告げました。


そのときのことを思い出して、彩音ちゃんにこう言ったのです。


「ねえ、彩ちゃん。シェリーに手紙を書いてごらん」

「お手紙?」

「それをね、表のポストに入れると、天国のシェリーに届くかもしれないよ」

「ホントに!?」


彩音ちゃんは、シェリーに手紙を書きました。


真人は、シェリーの気持ちになって返信しました。


彩音ちゃんは「シェリーから手紙がきた!」と喜びました。


その話がまわりまわって、都市伝説化するのです。天国に手紙が届く郵便ポストだと。


宛先は天国。


いろんな人が投函します。亡くなった奥さんへのラブレターや、おじいちゃん、おばあちゃんへの手紙。ペットへの手紙も。


みんなわかっているのです。本当は天国に手紙は届かないということ。でも書くことで、想いを届けることで、心が浄化されるのです。


真人は気持ちが純粋で、辛い人がいるとほっとけません。彼のやさしさを来夏は好きになりました。


来夏の死後、そんな真人の周りの人たちが彼をほっとかないのです。全力で彼を支えます。


来夏は、とても魅力的でモテる女性でした。
地元の商店街のつきあった男性3人が元カレ。
その3人が真人を支えるのです。


そして


真人は知ります。


妻を亡くした悲しみを拭えないのは自分だけではなく、他のみんなも口にはしないが、ひとりひとり辛い悩みを持っているということを。


真人は、彼らのために動きます。


幼くして息子を亡くした、痴呆の症状があるおばあちゃんとの文通もおこないます。天国からの手紙をおばあちゃんに宛てて。


この小説を読んで、人は人のために何かをすることでしか、真の喜びを得る
ことができないのではないかと思い当たりました。


簡単に言うと、人のために生きていると。


真人は、人のために尽くします。
そうすることで、真人も支えられていたのです。


         ◇


僕は心の中で、父に手紙をしたためました。


「自分の好きな人のために動きなさい。」


父がそう言ったように聞こえました。


生きているときに、父に伝えたかった。
「育ててくれてありがとう」と。


ただそれだけなのに、生きている時には伝えられなかった。


今日は、その思いが天国に届くことを祈ります。



【出典】

「天国の郵便ポスト」 折原みと 講談社


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